南知多、源氏ゆかりのパワースポット「野間大坊」へ

南知多、源氏ゆかりのパワースポット「野間大坊」へ

更新日:2014/05/28 18:18

名古屋から南へ車で1時間程のところにある南知多は、海や美味しい海鮮料理、温泉などがあり、たくさんの観光客が訪れています。中でも、特に訪れる人が多いのが美浜町の野間地区です。ここ野間地区は、平安時代の武将源頼朝や義経の父、源義朝の最期の地というのをご存知ですか?中でも「野間大坊」には源氏にまつわる歴史や伝説が多数あることから、近年ではパワースポットと言われ、歴史ファンやコアな旅行者を喜ばせています。

風光明媚な南知多にある「野間大坊」とは?

風光明媚な南知多にある「野間大坊」とは?
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「野間大坊」が建立されたのは680年頃と言われており、その後750年頃に行基によって発展し、空海も訪れて祈ったという大変歴史ある真言宗のお寺です。
こちらは、義朝の廟。お墓です。1159年、平治の乱に敗れて逃げ落ちた義朝は、野間の長田忠致の許に身を寄せましたが、忠致は平家からの恩賞目当てで入浴中の義朝を謀殺。この時、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだと言われています。これにちなんで義朝のお墓には幅約3センチ、長さ約40センチの木刀が沢山供えられています。同じ敷地には、織田信長の三男・織田信孝の墓もあります。

源義朝の首を洗った「血の池」

源義朝の首を洗った「血の池」
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こちらは、入浴中だまし討ちにあった義朝の首を洗ったと言われる「血の池」です。国に異変があると、池の水が赤く染まると言うおどろおどろしい伝説があります。他には、義朝の息子、頼朝が亡父のためにこの地を訪れ、長田親子を磔にしたという松の木などがあり、戦国時代を物語る壮絶な歴史ロマンに想いを馳せることができる場所です。
こういった歴史や伝説を元に、美浜町は2013年から源義朝を主人公にした動画などを作成し「美浜幕府」と銘打った町おこしを行っています。境内にも義朝などの主要な武将のアニメキャラクターが描かれた看板が設置されています。

延命と願いが叶う、「延命地蔵菩薩」にお参り

延命と願いが叶う、「延命地蔵菩薩」にお参り
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境内の東寄りには源頼朝が1190年に創建した大門があり、その正面には本堂があります。本堂の現在の建物は3度の火災等にあい1754年に鎌倉様式に再建されたものです。本尊は、快慶作の阿弥陀三尊像で県の重要文化財に指定されています。
そして、西寄りの客殿には「延命地蔵菩薩」が祀られています。こちらは、源義朝の息子、頼朝が祈願して鎌倉幕府を開いたと言われるほどのパワースポットなので心を鎮めてお参りを。

四国八十八カ所のご利益、「お砂踏み」

四国八十八カ所のご利益、「お砂踏み」
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こちらは境内の西にある「お砂踏み」です。四国八十八ヶ所のお砂が埋まっており、各寺院の名前を見ながら通ると、四国に行くことができない人でも四国八十八か所霊場巡りと同じ徳をつむことができるそうです。何とも強いパワーですね!近くには、たくさんのお地蔵さんが供えてあり、ここを訪れる人の想いの強さが伺えます。

様々な願いを叶えるパワースポット

様々な願いを叶えるパワースポット
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他には良縁をさずかる縁結びの「弁財天」や悩み不眠除けの「稲荷」、子授けや成功の神様などが祀ってあり、様々なお祈りをする事ができます。
また、本殿には江戸時代初期に幕府御用絵師、狩野探幽が描いた「義朝公最期図」が残されています。前日までに予約すれば、有料で義朝最期の様子のわかりやすい解説を受けることができます。料金は1〜5名 3000円、6〜30名 1名につき500円、31〜40名 1名につき400円、41名以上 1名につき300円です。

野間大坊
愛知県知多郡美浜町大字野間字東畠ケ50
0569-87-0050
名鉄野間駅から徒歩10分

心も身体も癒される旅へ

鎌倉幕府が倒れた後も「野間大坊」は豊臣秀吉や徳川家康の庇護を受けてさらに発展、現在に至ります。この地で戦国武将の想いと共に歴史を重ねてきたパワースポットにあなたの願いを託してみてはいかがでしょうか。
南知多エリアには、海沿いのドライブコースがあり、常滑や師崎など近隣のエリアにも見どころが散在しているため、車で訪れるのがオススメ!紹介した「野間大坊」は国道から近く、広い駐車場もあり立ち寄りやすいです。
せっかくの休日、日常の悩みやモヤモヤをリセットすれば、きっと良い事があるはず。周辺の海や温泉、レジャー施設も合わせて訪れて、更にリフレッシュしたいですね!

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/05/20 訪問

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