群馬の古墳は入門者にもおすすめ 〜 巨大な墳丘や精巧な石室を見にいこう

群馬の古墳は入門者にもおすすめ 〜 巨大な墳丘や精巧な石室を見にいこう

更新日:2014/05/02 10:31

古墳の有名どころというと、大阪や奈良などでしょうか。しかし、全国の各地にも多様な古墳が造られていたことも重要です。特に群馬県では古墳時代を通じて大きな古墳が造られ続けていて、見応えのある古墳が多く残されています。さらに博物館などの学習施設も充実していて、入門者にもおすすめです。おすすめは無数にあるのですが、本記事では、東日本最大の古墳や、東日本唯一の特別史跡の古墳など、5つの古墳を紹介します。

太田天神山古墳は東日本最大の前方後円墳

太田天神山古墳は東日本最大の前方後円墳
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最初に紹介するのは太田市の天神山古墳です。史跡指定の名称は「天神山古墳」ですが、同名の古墳は各地にあるので、市名をくっつけて「太田天神山古墳」と称することもあります。大型の前方後円墳で墳丘長は210mにもなり、東日本では最大の古墳です。全国では第26位なのでそれほど大きいものと感じない人もいるかもしれませんが、この規模でも世界的にはかなり大きな墳墓です。このような100 mを超えるような大きな古墳が各地に存在することは、日本の古墳の特徴のひとつ。中国や朝鮮では都の周辺にしか大きな墳墓はつくられてないのですが、日本では各地にいた有力者が同盟を組んで、それぞれが大きな古墳をつくっていたんです。太田天神山古墳の被葬者もヤマト王権と同盟を組んだ大首長と考えられています。

古墳の出現期は3世紀後半ですが、超巨大古墳の造営は古墳時代中期の4世紀末頃からで、全国各地に大きな古墳がつくられたのもこの時代です。太田天神山古墳はこの時代を特徴づける古墳のひとつで、5世紀中頃の造営です。

さて、東日本最大の巨大な墳丘は一見の価値のあるものですが、大きすぎて全容を捉えにくいと感じるかもしれません。ただの森のようで、造られた当時のことはイメージしにくいかも。ということで、築造当時の墳丘がどのような姿だったかを知るために高崎市に行ってみましょう。

築造当時の姿に復元された保渡田八幡塚古墳

築造当時の姿に復元された保渡田八幡塚古墳
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保渡田八幡塚古墳は高崎市の古墳で、井出二子山古墳、保渡田薬師塚古墳とあわせて保渡田古墳群とよばれています。先に紹介した太田天神山古墳とはだいぶ雰囲気が違いますが、この古墳は調査結果に基づいて築造時の姿に復元されているんです。築造時の古墳はこのように葺石に覆われていたものが多く、森のようになってしまった現在の古墳とはだいぶ印象が違います。写真は、墳丘をぐるっと囲む周堤から撮っていますが、後円部手前には周濠内の中島が写っています。周濠の中の中島というのは非常に珍しい事例なので何のためのものか明らかではないものの、祭祀に使われていたなどと考えられています。

この古墳の調査では多くの埴輪が出土していて、写真のような円筒埴輪の他に人物埴輪や動物埴輪なども見つかっています。動物埴輪が作られるのは5世紀中頃からですが、保渡田古墳群も5世紀後半から6世紀初頭の築造です。三基の古墳はいずれも墳丘長が100mをこえる大型の前方後円墳ですが、30年ほどの短期間で三基が造られたようです。

訪問時には古墳群の他の古墳もぜひ見学していって下さい。保渡田薬師塚古墳は寺院の境内となっているので未整備ですが、井出二子山古墳もきれいに整備されています。また、古墳群のすぐ近くに「かみつけの里博物館」があり、関連する展示があるのでこちらも必見です。

広々とした石室の綿貫観音山古墳

広々とした石室の綿貫観音山古墳
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こちらも高崎市の古墳。墳丘長約100 mの大型の前方後円墳で、保渡田古墳群よりは新しく古墳時代後期にあたる6世紀末から7世紀初頭の築造です。この時代になると大陸や朝鮮半島の影響をうけて、埋葬施設は横穴式石室がほとんどですが(古い時代では竪穴式が主流)、この古墳では特に見事な横穴式石室を見ることができます。精巧に加工した切石を巧みに積み上げています。この写真では比較対象がないのでわかりにくいですが、石室奥壁高は2.68mなので立ち上がっても頭をぶつけることはないぐらいに高いです。石室全長は12.65mでそのうちの玄室部分は8.1mもあるので、かなり広々としています。石室内に今は何もないのですが、埋葬時のままの状態が発見され、500点以上の副葬品が発見されています。出土品は全て重要文化財で、南に1kmほど行ったところにある「群馬県立歴史博物館」にその一部が展示されています。

ちなみに、石室内部は入口の格子戸越しに見ることはできますが、中に入る場合は事前に群馬県教育委員会事務局文化財保護課に申し込みをする必要があります。

精巧な石室をもつ宝塔山古墳

精巧な石室をもつ宝塔山古墳
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もうひとつ石室が見事な古墳を紹介します。前橋市にある総社古墳群の中にある宝塔山古墳です。7世紀末から8世紀初頭に造られた方墳です。1辺が約50m、高さが12mある方墳は全国的に見ても最大規模。古墳時代終末期の新しい古墳なので石の加工技術も優れていて、石が隙間なく積まれています。

さて、古墳時代終末期というとすでに仏教が伝来しています。古墳への埋葬にも仏教の影響がみられるんですが、この古墳では石棺下部の曲線状の装飾が仏教由来のものです(現在おかれている石棺はレプリカ)。近くに同時代の寺院跡が見つかっていることからも、この近辺で仏教が盛んだったことがわかります。石材の加工技術も仏教とあわせて伝わったのかもしれません。この寺院跡は「山王廃寺跡」として史跡指定を受けていて、塔心柱根巻石や石製鴟尾といった当時の石製品を見ることができます。

山上古墳 〜 東日本唯一の特別史跡の古墳

山上古墳 〜 東日本唯一の特別史跡の古墳
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ここまでに紹介した4つの古墳はすべて国指定の史跡で、大切な文化財として保護されています。この文化財区分としての「史跡」ですが、さらに高い価値が認められると「特別史跡」になります。特別史跡の古墳の半数以上は奈良県にあるのですが、奈良県以外では4件、東日本では1件だけです。その東日本唯一の特別史跡の古墳がこの山上古墳です。

一見しただけでは高い価値があるようには見えませんが、実はこの隣に古墳築造の由来が記された石碑があるのです。こういう古墳は非常に珍しいということで、石碑とあわせて「山上碑及び古墳」の指定名称で特別史跡になっています。石碑によると放光寺という寺院のお坊さんの長利という人が、そのお母さんを供養するために造ったとのこと。石碑に記された「辛己」の干支は西暦681年を示していて、時代も明らかです。

最後に

群馬県の古墳というちょっと大きなテーマでおすすめの古墳を紹介してみました。今回紹介した5つの古墳は見た目にインパクトがあるので、あまり古墳の知識がなくても楽しめると思います。とはいえ、知識があった方が楽しめるので、博物館で詳しい人と話をしてみるとかするとよいと思います。もうひとつの古墳の旅を楽しむコツは数をこなすことです。そうすることで自然と知識もついてきます。群馬県内では史跡指定の古墳(古墳群)は18件(特別史跡を含む)もあるので、手当たり次第まわってみてはいかがでしょうか。近くに展示施設があったり、史跡公園として整備されているところも多いので、そういうところを利用して各々の古墳について深く学ぶのもおすすめですよ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/12/14−2013/12/15 訪問

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