写真:乾口 達司
地図を見る寺伝によると、壷阪寺の創建は大宝3年(703年)。清少納言の『枕草子』のなかで「寺は壺坂。笠置。法輪」と綴られているように、平安時代には多くの貴族の尊崇を受けたお寺でした。しかし、中世に入り、兵火などで衰退。江戸時代に入って次第に復興していきますが、その名を全国にとどろかせたのは、盲目の夫・沢市とその妻・お里の夫婦愛を描いた人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の上演によってでしょう。戦後は社会福祉活動を推進。昭和36年(1961)には、日本で最初の養護盲老人ホーム「慈母園」も設立しています。
壷阪寺といえば、まずは境内に屹立する巨大な天竺渡来大観音石像を挙げないわけにはまいりません。壷阪寺は昭和39年(1964)からインドでもハンセン病患者の救済活動をおこなっており、その活動が取り持つ縁で、インドから写真の大観音石像が招来されたのです。像高は約20メートル。インドから運ばれた66個の巨石を積み重ねて作られており、全重量は何と1200トン!その堂々たるお姿を拝すると、壷阪寺の慈善活動に対して、インドの人々がいかに深く感謝をしてきたかがうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見る壷阪寺の国際慈善活動は、大観音石像の招来以降も継続して展開されています。それを物語るように、境内の各所には、インドから贈られた数々の彫刻が安置されています。画面手前の坐像は平成19年(2007)に開眼した大釈迦如来石像。台座もふくめると、その像高は15メートルにおよびます。御前立として鎮座する十一面千手観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩の坐像も5メートルにおよぶ巨像です。隣の建物は納骨永代供養堂として建立された大石堂。インドのアジャンタ石窟寺院をモデルとして建てられており、内部の壮麗さは必見!その背後には国の重要文化財に指定されている三重塔や禮堂、本堂に当たる八角円堂などが建っていますが、インドと日本、近代と前近代の建造物が何の違和感もなく共存しているのは、壷阪寺ならではの特色であるといえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂にもお参りしましょう。八角形の本堂の中央に鎮座しているのが、やはり巨大な御本尊・十一面千手観世音菩薩坐像。室町時代の作で樫材の寄木造り。元正天皇が壷阪寺に参詣して眼病の治癒を祈ったという逸話にもとづき、特に眼病に霊験あらたかな仏さまとして知られています。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂と連結している禮堂では、写真の巨大絵馬にも注目!眼病に霊験あらたかな御本尊にあやかり、「眼」を意味していた「め」がやがて「運のめ」を意味するようになり、さまざまな祈願を叶えてくださる絵馬となっています。壷阪寺にお参りしたら、この「め」の字に絵馬を奉納し、ご自身の運気をアップさせてみませんか?
写真:乾口 達司
地図を見る壷阪寺を訪れたら、奈良盆地を見下ろしてみましょう。なかでも、全長8メートルの天竺渡来大涅槃石像が安置された広場からの眺めは抜群!天気がよければ、生駒山地と二上山とのあいだから大阪平野を望むこともできます。大涅槃石像の背後には上で紹介した大観音石像が屹立しており、仏さまたちが私たちの暮らしを山の上から見守り続けていることがうかがえます。
いかがでしたか?古刹といえば、自国の歴史遺産だけを代々守り伝えているという印象を受けるものですが、壷阪寺のように、海外と積極的に交流し、慈善活動に邁進している古刹もあることが、おわかりになったのではないでしょうか。境内にはほかにもお釈迦さまの生涯を描いた巨大なレリーフなどもあり、まだまだ見所が満載です。壷阪寺で新旧の仏さまに触れ、その魅力を堪能してみてください。
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(2024/4/18更新)
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