写真:乾口 達司
地図を見る伊賀上野城の歴史は、室町時代にまでさかのぼります。天正13年(1585)、大和国より筒井氏が入国。筒井氏は、天守閣の築造など、城郭としての本格的な整備をはかりました。関が原の合戦の後、当地の戦略的重要性を認識していた徳川家康は、筒井氏に代わって、信頼を寄せる戦国武将・藤堂高虎を入国させ、大坂の豊臣方への備えに当たらせます。高虎は筒井氏時代に築造された天守閣を思いきって西側に移動させるなど、城の構造を大幅に改変。築造の名手とたたえられる高虎によって改修された伊賀上野城は、より大規模で堅牢な城郭に生まれ変わりました。
現在の天守閣は、昭和10年(1935)、当地出身の衆議院議員・川崎克が私財を投じて再建したものですが、上野盆地の中央、標高184メートルの高台に屹立するその威容は高虎時代を髣髴とさせ、戦国好き、城郭好きには、ぜひ、訪れていただきたいところです。
写真:乾口 達司
地図を見る天守閣を見学した後は、石垣の上に立ち、伊賀上野の街を眺めてみましょう。眺望のよさに驚かれること、間違いありません!それもそのはず、天守閣の位置する本丸は石垣を高く積み上げられて造られており、石垣の高さは何と30メートル!大阪城の石垣と並んで、日本一の高さを誇っています。石垣を高く積み上げるのは高虎の築造術の特徴であり、ここからも高虎の並外れた手腕を見て取ることができます。
写真:乾口 達司
地図を見るこの不思議な構造の建物、何だと思いますか?これは国の重要文化財に指定されている俳聖殿と呼ばれる建物で、当地出身の俳人・松尾芭蕉の生誕300年を記念して、昭和17年に建立されたものです。八角形から成る下層と円形から成る上層の二層構造となっており、屋根はいずれも檜皮葺。笠をかぶり、蓑と衣を身にまとった芭蕉の旅姿を表しています。
その大胆で奇抜なアイデアを打ち出したのは、天守閣を建立した川崎克。近代を代表する建築家・伊東忠太が川崎のアイデアにもとづいて設計しましたが、戦時中の厳しい時期に、よくぞこのような特異な建物を建造できたものであると、感心させられます。
ちなみに、堂内には伊賀焼きで作られた松尾芭蕉の等身大の坐像も安置されているため、ぜひ、内部ものぞいてみて下さい。
写真:乾口 達司
地図を見る芭蕉にちなんだ施設としては、ほかにも、芭蕉翁記念館が設置されています。館内には、芭蕉ゆかりの品が数多く展示されているほか、中世から近代にかけての連歌や俳諧に関する史料も紹介されており、俳諧の魅力を学ぶのに格好の施設となっています。芭蕉になった気分で、一句、ひねってみませんか?
写真:乾口 達司
地図を見る伊賀市といえば、もう一つ、忘れてならないのは、伊賀流忍者!城内には伊賀流忍者の歴史や魅力を紹介した伊賀流忍者博物館も設置されていますが、今回、私が紹介したいのは、城内に設置されたトイレ!男子トイレ、女子トイレの区別が忍者姿で表示されており、伊賀流忍者のふるさとならではの特徴が見られます。忍者をモチーフにしたものはほかにもあるので、実際に当地を訪れ、ご自身の目でお確かめ下さい。
藤堂高虎・松尾芭蕉・伊賀流忍者・・・。伊賀上野城が伊賀市の歴史を凝縮させたスポットであることが、おわかりになったのではないでしょうか。街の中心部に位置していることもあり、そのアクセスも便利!伊賀市をめぐる際、最初に訪れ、伊賀市の歴史を学ぶのが最適でしょう。戦国マニアから城郭マニア、忍者マニア、俳句愛好者まで、みなさん、伊賀上野城へおこし下さい。
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(2024/3/29更新)
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