映画「永遠の0」のロケ地!筑波海軍航空隊記念館へ行こう!!

映画「永遠の0」のロケ地!筑波海軍航空隊記念館へ行こう!!

更新日:2014/03/14 14:23

スノードロップのプロフィール写真 スノードロップ フリーランスライター
茨城県笠間市には旧筑波海軍航空隊史跡が、司令部庁舎、滑走路、地下戦闘指揮所、号令台など、日本最大規模のスケールで残されています。そんな同市では岡田准一さん主演映画「永遠の0」のロケも行われ、公開記念として期間限定(2014年5月6日まで)で筑波海軍航空隊記念館が設置されました。「永遠の0」の世界を体感しながら、戦争の記録やここを巣立った多くの若者の想い、平和について、もう一度考えてみませんか?

ほぼ当時のままの状態で残されている司令部庁舎

ほぼ当時のままの状態で残されている司令部庁舎

写真:スノードロップ

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今回の映画を機に筑波海軍航空隊記念館として公開されているのは、敷地内にある旧司令部庁舎。昭和20(1945)年、太平洋戦争終戦と共に、その役割を終えた筑波海軍航空隊の多くの若者は、ここで飛行訓練をし、青春を語らい、そして旅立っていきました。

入り口正面に飾られている、爆撃機の風防(コックピット)のガラスで作られた2つのペンダント。そこには、先生に勧められ兵隊さんを励ます目的で手紙を書き始めた女学生と、神風特別攻撃隊員・少尉との手紙を巡るエピソードが添えられていました。200通にも及ぶ手紙のやりとりをしながら、実際に会えることはなかった2人。

享年23歳で特攻した少尉から女学生への最後の贈り物は、この手彫りのペンダントだったそうです。これから自分が搭乗すると思われるゼロ戦をかたどった飛行機と、2人のイニシャルが彫られたハート形のペンダント。

言葉に詰まります。

「永遠の0」の世界!

「永遠の0」の世界!

写真:スノードロップ

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「永遠の0」では、主人公・宮部久蔵が筑波海軍航空隊の教官だったという設定でロケが行われました。教え子を特攻へ向かわせることに対する宮部(岡田准一さん)の苦悩が描かれた、重要なシーンに登場します。

上官に殴られ、顔を腫らせた宮部が頬を抑えながら階段を上がってくる場面や、宮部に敬礼する大石(染谷将太さん)や武田(三浦貴大さん)たちの場面がこの階段で撮影されました。

ロケシーンが再現された部屋!

ロケシーンが再現された部屋!

写真:スノードロップ

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この部屋は海軍病院の設定で、宮部が怪我をした大石を見舞い、自分の外套を渡す場面が撮影されました。

廊下は、怪我をした大石が担架で運ばれるシーンで使われ、旧司令室は、宮部が訓練中の事故で殉死した部下をかばい、上官に殴られる場面で使われています。

沈没から70年!戦艦「金剛」のカップが発見され展示

沈没から70年!戦艦「金剛」のカップが発見され展示

写真:スノードロップ

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「永遠の0」の主人公・宮部は、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦まで空母「赤城」の乗組員という設定です。

展示室では、空母「赤城」や戦艦「金剛」に関する資料や九三式中間練習機(赤トンボ)のプロペラ、飛行兵の方々の遺品などが展示されています。

写真は、戦艦「金剛」のカップ。
1944年に台湾沖で沈没してから70年を数え、金剛に関わるものは一部を除き海の底へ沈んでしまいました。このカップは「金剛」に実際にあったもので、大変貴重な物。

「軍艦 金剛」の銘が入っており、当時「金剛」砲撃手だった故関口富坂さんが、射撃競技で優秀な成績を収めた際、船内で頂いたそうです。リキュールグラスの様な形状で、海軍の錨のマークも描かれています。

多くの隊員が集合した号令台!

多くの隊員が集合した号令台!

写真:スノードロップ

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この号令台を前に、たくさんの隊員が集会を行いました。現在も当時のままの姿を残しており、裏側から内部に入れる構造になっています。

このグラウンドに併設された兵舎には、終戦間際の4月、2500人以上が在籍していたと言われています。

おわりに

昭和20年、戦況悪化により「神風特攻隊筑波隊」が発足され、学生ら約70人の尊い命が特攻により失われました。

映画「永遠の0」では、天才パイロットでありながら、「海軍一の臆病者」と呼ばれるまでに生に執着した宮部。そんな彼がなぜ特攻を志願し、死んでいったのか?

映画の中の謎を、ロケ地「筑波海軍航空隊記念館」で紐解いてみませんか?

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/03/10 訪問

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