「西の比叡山」と称される書寫山圓教寺は、姫路城から北西約6kmに位置します。標高371mの山上にあるため、麓から参道までロープウェイで行き、楓などの木が立ち並ぶ参道を歩くとちょうど参道の半分くらいのところでしょうか、仁王門が見えてきます。この仁王門からが圓教寺の境内。
圓教寺は康保3年(966年、平安時代)、性空(しょうくう)上人により開かれた天台密教のお寺です。圓教という寺号は花山法皇により賜り、鎌倉時代には様々な伽藍が建てられ巨大化していきました。
天正6年(1578年、室町時代)、豊臣秀吉による毛利攻めの際、黒田官兵衛は豊臣秀吉に居城であった姫路城を譲ります。しかし三木城主・別所長治が反旗を翻し、播磨の諸将も同調。毛利攻めの最前線であった上月(こうづき)城も毛利軍の攻勢により陥落したため、官兵衛の進言により秀吉が姫路城からこの圓教寺に本陣を移すことになります。
官兵衛が進言した理由としては、対立する赤松氏の置塩城方面がこの圓教寺の十地坊から一望できる、といった地の利にあったようです。
しかし摩尼殿の柱に小刀で落書きをしたり、仏像を多数持ち去るなど秀吉軍の兵士はかなり狼藉を働いた様子。さらに秀吉により寺領の多くを没収されてしまいました。
明治維新後も、国に寺領すべてを没収され、太平洋戦争で荒廃してしまいますが、戦後制定された文化財保護法により修理が行われ、現在では古刹として自然と歴史の重みの調和が素晴らしい名刹となっています。
書寫山圓教寺
入山料:500円
アクセス
電車:JR・山陽電鉄 姫路駅〜バス「書写山ロープウェイ行」終点下車(約30分)
車:山陽自動車道 姫路西IC〜県道545号経由約6.5km(ロープウェイ書写山麓駅に駐車場)
電車・車ともロープウェイ
山麓駅〜山上駅 往復大人900円 小人450円(姫路駅からバス乗車券とのセット券有)
仁王門を過ぎ、さらに暫く歩くと突然目に飛び込んでくるのが巨大な伽藍の摩尼殿。(ロープウェイ山上駅から摩尼殿まで約20分)
性空上人が桜の木に天人が礼拝する姿を見て、生えている桜の木に如意輪観音を刻みました。その周囲に柱を建て、屋根を付けたのがこの摩尼殿の始まりで天禄元年(970年)の創建。生えている桜の木を覆うため、山の中腹に建つ舞台造りの建物となりました。梵語で「如意」という意味を持つ「摩尼」。承安4年(1174年、平安末期)に後白河法皇よりその名を頂戴したと伝わっています。
しかし延徳4年(1492年、室町時代)の火事で摩尼殿・桜の生木の如意輪観音とも焼失。生木の如意輪観音を直接目にしたのは後白河法皇と一遍上人(時宗の開祖)の二人のみとか。
明応3年(1494年)摩尼殿は再建され、同木で造られた如意輪観音がご本尊として安置されますが、このご本尊は秀吉が陣を置いた際に長浜(当時の秀吉の居城)へと持ち帰ります。その後、返却されましたが現在安置されている六臂如意輪観音は、大正10年の火事で焼失した摩尼殿を昭和8年に建てなおした際に作られたものになります。
この圓教寺の本堂にあたる大講堂は、寛和2年(986年、平安時代)花山法皇の勅願により創建。現在の建物は室町時代の再建。経文の講義を聴いたり、座禅・論議などをした場所で、ご本尊は平安時代作の釈迦如来。脇侍として普賢菩薩・文殊菩薩がいる釈迦三尊像の形をとっています。
食堂(じきどう)は承安4年(1174年、平安末期)後白河法皇の勅願により創建。修行僧の寝食に使われた場所と考えられています。日本全国見ても2階建てのこの食堂は他に類がないそう。僧形文殊菩薩がご本尊です。
大講堂・食堂・常行堂とも元徳3年(1331年、鎌倉末期)全焼し再建されましたが、この食堂だけはなぜか未完成のまま放置されていて、昭和38年の解体修理の際に完成されました。
常行堂(じょうぎょうどう)に関しては詳しい創建年などはわかっていません。大講堂に対した舞台が造られていて、釈迦如来に奉納するための舞や雅楽が行われていました。ご本尊は阿弥陀如来。
この大講堂・食堂・常行堂がコの字型に並び、三つのお堂を総称して「三之堂(みつのどう)」。見事に掃き清められた、コの字の真中に当たる空間部分は大きな伽藍3つに囲まれ、何か世界が違うような…不思議な静寂を生み出しています。
正直、筆者はラストサムライを見るまでこの圓教寺を知りませんでした。しかし、ラストサムライを見たとき「このロケ地はどこ?」と気になりました。それはトムクルーズと渡辺謙が英語で挨拶を交わすうシーン。こんな大きな伽藍、歳月を感じる重厚な建物、セットで作れるわけがないと…。
そしてそのシーンのロケ地がこの圓教寺の常行堂。最初、圓教寺はロケ地の予定になかったそうですが、姫路城を視察に来たスタッフが時間が余ったためこの圓教寺を訪れ、エドワード・ズウィック監督が一目ぼれしてここでの撮影を決めたそうです。
撮影された場所と主なシーンは…
食堂
勝元(渡辺謙)と氏尾(真田広之)がオールグレン(トム・クルーズ)を生かすか斬るか、話すシーン。
オールグレンがこの食堂の縁側に大の字に寝転がり、その後勝元と敵の大将について話しをするシーン。
他にも勝元が考え事をする1カットなど、この食堂で撮られた絵は、細かく効果的に映画に組み込まれています。
常行堂
勝元が阿弥陀如来の前でお経を唱え、その後勝元とオールグレンが英語で挨拶を交わすシーン。
本多家廟所
勝元がオールグレンと桜の中、敵の黒幕や武士道について語るシーン。
開山堂
ほんの一瞬の雪の風景。
十地院
トム・クルーズの休憩所。
NHK大河ドラマの軍師「官兵衛」のロケでは、毛利攻めの陣中の様子が収録されました。
秀吉の命を受けた石田光成が本陣づくりを指揮する様子を、官兵衛が見て高く評価するシーンや、織田信長の命で味方が籠る上月城を見捨て後悔した官兵衛が、竹中半兵衛に諭されるシーン。使用された場所は常行堂や食堂。
特に石田光成が本陣づくりを指揮する様子は、三之堂に囲まれた空間が活かされた映像になっています。
第16話、17話(4月20日・27日)で放映されました。
境内には他にも護法堂や開山堂(奥ノ院)、金剛堂など多数のお堂が点在しています。
西の比叡山と称されるほどの古刹、名刹でありながら静寂を保った境内は、自然も多く残されていて、時代劇を撮影するのにうってつけの場所なのでしょう。
ドラマや映画の1シーンで使われたという、ちょっと違った古刹の楽しみ方ができる圓教寺。ぜひ訪れてその1シーンを思い浮かべてみてはいかがでしょうか。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索