奈良百遊山トップの3秀峰「大和三山」を一日で完全制覇!

奈良百遊山トップの3秀峰「大和三山」を一日で完全制覇!

更新日:2014/03/12 18:16

日本百名山に対し、奈良百遊山が制定されているのをご存じだろうか。その百遊山の中でも標高の低い順の上位4位までにランクされる秀峰が大和三山である。トップを耳成山、2位に香久山、ひとつおいて4位が畝傍山。
これら大和平野のトライアングル・サミットの一日完全制覇は決して夢ではない。

三山トライアングルの旅は標高の高い畝傍より。

三山トライアングルの旅は標高の高い畝傍より。
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わが国に名山は数々あるが、大阪北港の天保山をのぞいて、低さの点では他の追随を許さない大和三山。高い順に並べても畝傍山199.2m、天香久山152m、耳成山139.7mと、いささかひるむ低さを誇っている。大和平野は海抜約70mなので実際の高さは推して知るべし。

平野の中央部に三角形の3点を成す三山の最寄りの駅は、畝傍山に近い近鉄橿原神宮駅か耳成山に近い近鉄耳成駅、あるいは八木駅が便利だ。僕は、標高の高い畝傍山から香久山、耳成山と、時計の反対回りにめぐるコースをおすすめする。

近鉄橿原神宮駅下車。時間に余裕があれば駅の西側出口より5分の久米仙人で名高い久米寺をのぞこう。早春の頃なら梅、とりわけ梅雨時の紫陽花は有名だ。加えて、ここの虫塚は是非お参りしておいてほしい。日頃は無視されている虫だが、無視できない存在になると害虫として駆除の対象にされる。そんな虫たちの供養塔は、全国的にもめずらしい。

三山中最高峰の畝傍山

三山中最高峰の畝傍山
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畝傍山へは駅前通りを北上、まもなくの橿原神宮に詣で、本殿の東へ回り畝傍山登山口の標識から取り付く。畝傍山の東麓には神武天皇陵、北西麓に綏靖塚、南西麓に安寧天皇陵、南に懿徳天皇陵があるが、畝傍山は皇国神話とないまぜになったそうした地上的な世界とは全く無縁に、霞たなびく国原のへその部分にしずかにその存在感を示している。
登山口の標識から山腹を巻き徒歩30分。畝傍山山口神社社殿跡と三等三角点のある頂上(199.2m)からは二上山、葛城、金剛山へと続く稜線が望める。

途中の山道では冬苺のつぶらな赤い実が印象的だ。口にすれば甘酸っぱさが広がる。畝傍山の山腹は鎮守の杜でもあり、寒の季節でもきのこが見られ、ここでは野性のヒラタケが数株出迎えてくれた。

山頂からは東へ下る山道をとり、国道へ出てやや北の神武天皇陵をのぞこう。鳥居の向こうに茫漠としたみささぎの森が広がる。

神武天皇陵からは香久山までは、三角形の底辺に当たる東西線を東へとる。畝傍御陵前駅を突き抜け、畑の中の飛び地めく本薬師寺跡を越え飛鳥川にかかる新河原橋まで来ると「香久山公園・1.8キロ」の表示に出会う。橋を渡り川沿いの道を右へたどれば香久山のふもとに着く。
神武天皇陵より約1時間の間の道中は、ほんとうに何の変哲もない民家が連なりがらんとした空がひろがるのみ。この往古よりいささかも変わらぬたたずまいが大和の魅力でもある。

三山中もっとも目立たない天の香久山

三山中もっとも目立たない天の香久山
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「香久山は畝傍を男らしく立派な山だと思って耳成山と互いに争った。神代の昔からこのようであるに違いない。昔もこのようであったからこそ、この世の人も嬬(配偶者)を争そうにちがいない」
中大兄皇子(のちの天智天皇)は、万葉集で三山のツマ争い伝承をこのように歌い上げた。

大化の改新以後、我が国の中央集権国家成立の前夜まで王権のシンボルとなった香久山は、三山の中ではもっとも目立たない存在だが常に特別視されてきた。

耳成、畝傍が独立峰で火山であったのに対し、香久山は多武峰・音羽山へと連なる龍門山塊の一部を成す小高いこぶのような前衛峰で面積もわずか9ヘクタールと狭い。
今となってはただの小山に過ぎないこの山のどこにそんなオーラが立ち込めていたのかを探るためには登ってみるのが一番だ。

麓の天の岩戸神社に程近い登山口のとっつき付近の埋もれ木からは、この山の歴史をじっと見つめてきた冬のきのこ・野性のエノキタケが僕にささやきかけてきた。スーパーで売られているもやしのエノキタケとは異なり雄々しいこと畝傍山の如し。
登山口から頂上までは10分とかからない手頃さも魅力だ。

火山が陥没・頂上部のみが残った耳成山

火山が陥没・頂上部のみが残った耳成山
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香久山からは、三輪山を東に、畝傍山を西に見ながら北進して、今となっては貴重な単線のJR桜井線踏切を越え、さらに近鉄踏切を越えれば耳成山だ。
かってはもっと高い火山だったが、大和盆地の陥没で火山の頂上部のみが残されたと言われている。
耳成山公園から山口神社の石灯籠に沿い10分ほど登り、その社殿脇の小道をさらに少し登ったところが頂上。標高139.7mの三等三角点がいささかはにかみながら訪れる人を迎えてくれる。
傍らには「明治天皇大演習御総監之地・明治百年記念」の石碑が建つ。

かっては湖底だった大和平野でこその秀麗さ

かっては湖底だった大和平野でこその秀麗さ
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かっては湖底であった大和平野は、いまでも湿原の名残りが随所にみられる。大和三山は列島誕生のころから噴火、陥没、隆起を繰り返しゆっくりと今の景観となったのである。

鉄とコンクリートの高層建築物が皆無な大和平野にあって、標高こそ低いが、この秀麗な三山は常におとずれるひとたちを慰めてくれ、「そらみつ大和」という枕詞そのままにあっけらかんとした空のひろがりを感じさせてくれるランドマークなのだ。

最後に

三山巡りの途中には神武天皇陵をはじめ元薬師寺跡があり、それぞれの山にはゆかりの深い神社も数多く残されているが、そうした旧蹟もさりながら、まほろばの普段着の姿を体感する三山を結ぶ道中こそが大切だ。歌にしばしば登場する飛鳥川も、香久山のほとりでは細い流れの町川にすぎない。
所要時間もどんなに寄り道しても約5時間で、午後3時〜4時には近鉄八木駅にたどり着ける。
橿原神宮駅を午前10時過ぎに出て、標高の高い順に時計の逆回りに巡るほうが近鉄八木駅から耳成山を起点とするよりもやや心理的には楽だ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/02/09 訪問

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