奈良県「櫟本地区」探訪!和珥氏から柿本人麻呂、在原業平まで

奈良県「櫟本地区」探訪!和珥氏から柿本人麻呂、在原業平まで

更新日:2023/03/20 10:49

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
奈良県天理市の名所といえば、国宝の本殿を有する「石上神宮」や日本最古の幹線道路とされる「山の辺の道」を思い浮かべる人が多いでしょう。では、もっとも知られていないところはどこでしょうか。その代表格に挙げられるのが「櫟本地区」です。しかし、櫟本は大和王権を支えた古代豪族の本拠地であるとともに、誰もがよく知る歌人たちと深く関わる、由緒のある地区なのです。今回は櫟本地区の知られざる歴史をご紹介しましょう。

巨大な前方後円墳の上に鎮座する和爾下神社

巨大な前方後円墳の上に鎮座する和爾下神社

写真:乾口 達司

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奈良県天理野の北方に位置する「櫟本(いちのもと)」の集落は、西名阪自動車道天理インターの出入口周辺に広がっています。一見、どこにでも見られるひなびた集落のように見えますが、かつては「上つ道(かみつみち)」と「北の横大路」とが交差する古代交通の要衝地として、大いに栄えました。

なかでも、当地を支配した「和珥氏(わにし)」は大きな勢力を築き、古代の大和王権を構成する有力豪族ともなりました。当地が和珥氏の勢力下に置かれていたことは、地区の鎮守社が「和爾下神社(わにしたじんじゃ)」と呼ばれていることからもうかがえます。現在、和爾下神社の本殿は国の重要文化財に指定されています。

巨大な前方後円墳の上に鎮座する和爾下神社

写真:乾口 達司

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注目したいのは、本殿の鎮座する小高い丘!和爾下神社は、実は「和爾下神社古墳」と呼ばれる巨大な前方後円墳の上に鎮座しているのです。古墳の全長は120メートル。4世紀末から5世紀初頭にかけて造られたと考えられており、その東方に築かれている東大寺山古墳ともども、当地の盟主的な古墳に位置づけられています。土地柄、和珥氏の族長が埋葬されていることは、間違いないでしょう。

本殿の西方にはかつて柿本寺と呼ばれる古代寺院がありましたが、その敷地跡には、ご覧のような加工石が安置されています。これは古墳から出土した石棺の蓋石で、一説には、和爾下神社古墳から出土したものであるとされます。

柿本人麻呂ゆかりの歌塚

柿本人麻呂ゆかりの歌塚

写真:乾口 達司

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和珥氏の後裔にはいくつかの支族が知られていますが、柿本氏もそのうちの一つ。柿本氏といえば、歌聖とたたえられる万葉歌人・柿本人麻呂を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

境内に立つご覧の歌塚は、石見国で亡くなった人麻呂の遺髪を埋めたところであると伝えられています。円墳状の盛り土の脇には「歌塚」と刻まれた石碑が立っていますが、これは、1732年(享保17)、人麻呂を尊崇する歌人で医師でもあった森本宗範らによって建立されたもの。「歌塚」の文字は、後西天皇の皇女・宝鏡尼によってしたためられています。

柿本人麻呂ゆかりの歌塚

写真:乾口 達司

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歌塚のそばには、近年に建立された人麻呂の石像も安置されています。人麻呂になった気分で和歌を詠んでみてはいかがですか?

<和爾下神社の基本情報>
住所:奈良県天理市櫟本町2490
アクセス:JR櫟本駅より徒歩約5分

在原業平ゆかりの在原神社(在原寺跡)

在原業平ゆかりの在原神社(在原寺跡)

写真:乾口 達司

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西名阪自動車道天理インターの南側には「在原神社(ありわらじんじゃ)」が鎮座します。

当地には1876年(明治9)まで在原寺と呼ばれるお寺が存在していました。創建は835年(承和2)とも880年(元慶4)ともいわれており、平安時代を代表する歌人であり、当代きっての美男子であったとされる在原業平と深いかかわりを持っています。一説には、業平は当地で暮らしていたともいいます。

在原業平ゆかりの在原神社(在原寺跡)

写真:乾口 達司

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中学・高校時代、古典の授業で業平を主人公とした『伊勢物語』23段(筒井筒)を読んだ人も、多いのではないでしょうか。実は、境内には、その「筒井筒」とされる井戸も残されています。

人麻呂といい、業平といい、櫟本の地が、歴史上、著名な歌人たちと深い関わりを持つ土地であったということ、意外ですね。

<在原神社の基本情報>
住所:奈良県天理市櫟本町3916
アクセス:JR櫟本駅より徒歩約5分

子授けと安産の神さまである楢神社と長林寺

子授けと安産の神さまである楢神社と長林寺

写真:乾口 達司

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地区の北方に鎮座しているのは「楢神社(ならじんじゃ)」。創建は奈良時代後期で、かつては地区の東方に位置する宮山に鎮座していました。

祭神に五十狹芹彦命と並んで鬼子母神が名を連ねていることもあり、古来、子授けと安産の神さま、子どもの守護神として、近郷近在の人たちから信仰されています。

境内には、8代目市川團十郎が奉納した井戸も残されています。

<楢神社の基本情報>
住所:奈良県天理市楢町443
アクセス:JR櫟本駅より徒歩約5分

子授けと安産の神さまである楢神社と長林寺

写真:乾口 達司

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写真の長林寺には、本尊の聖観音菩薩立像が安置されています。その制作年代は9世紀頃と考えられており、天理市における最古級の仏像と位置付けられています。

<長林寺の基本情報>
住所:奈良県天理市櫟本町2079
アクセス:JR櫟本駅より徒歩約3分

天理市櫟本地区をめぐろう!

和珥氏を筆頭に人麻呂や業平の事績など、櫟本のたたえる豊かな歴史性をご理解いただけたのではないでしょうか。ほかにも、かぼちゃをそなえる風習を伝える「かぼちゃ薬師(興願寺)」や古代寺院「長寺(おさでら)」の跡地と考えられている高良神社など、櫟本地区にはまだまだ見るべきところがたくさんあります。櫟本地区をぶらりと散策し、その知られざる歴史をご自身で再発見してみてください。

2023年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2022/12/31 訪問

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