備前福岡歴史探訪!西国随一の商業地は黒田官兵衛や宇喜多直家とも深い関わりを持つ!

備前福岡歴史探訪!西国随一の商業地は黒田官兵衛や宇喜多直家とも深い関わりを持つ!

更新日:2014/01/21 13:50

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
瀬戸内市長船町には「備前福岡」と称される地区があります。当地は、中世以降、「福岡の市」と呼ばれており、西国有数の市場・宿場町として繁栄をきわめました。そして、ここは大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛とその一族、さらには岡山の戦国大名・宇喜多直家と深い関わりを持つ地でもあるのです。今回は備前福岡に点在する名所旧跡を紹介し、当地がいかに豊かな歴史を有しているかをご紹介しましょう。

水運によって繁栄をきわめた「福岡の市」

水運によって繁栄をきわめた「福岡の市」

写真:乾口 達司

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かつての「福岡の市」は、現在のJR長船駅の北西、吉井川沿いに広がっていました。吉井川に隣接していることからも推察できるように「福岡の市」は水運によって支えられており、その賑わいは西国随一ともいわれました。それを記念して、現在、「福岡の市跡」と刻まれた石碑が建立されています。

石碑に「一遍上人巡錫の地」と刻まれていることに注目して下さい。一遍上人の生涯を描いた中世の絵巻物に『一遍上人絵伝』があります。『一遍上人絵伝』には、一遍上人が、市場で武士に斬られそうになっているシーンも描かれています。歴史の教科書でその描写を目にした人も多いのではないでしょうか。そう、あそこに登場する市場こそ「福岡の市」なのです。

江戸時代以降、商業の中心地が岡山に移されたせいで、いまではかつての賑わいはありませんが、それでも市場・宿場町ならではの古い町並みを目にすることができます。

「福岡の市」をめぐる攻防戦をいまに伝える福岡城跡

「福岡の市」をめぐる攻防戦をいまに伝える福岡城跡

写真:乾口 達司

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吉井川の河川敷に広がるゴルフ場の一角に、小高い丘が残されています。「福岡の市」と深い関わりを持つ福岡城跡です。莫大な財力を持つ「福岡の市」は、周辺の諸大名にとって、ぜひとも手中におさめておきたい交通の要衝でした。そのため、当地の支配権をめぐって、諸大名のあいだでしばしば抗争が繰り広げられました。なかでも、もっとも知られているのが、文明15年(1483)、松田元成と浦上則国とのあいだで繰り広げられた福岡合戦です。このときは城に立てこもった浦上氏を松田氏が打ち破り、勝利をおさめています。備前福岡の地が、当時、いかに重要視されていたかが、ここからもおわかりになるでしょう。

大河ドラマ『軍師官兵衛』ファン必見!黒田家墓所

大河ドラマ『軍師官兵衛』ファン必見!黒田家墓所

写真:乾口 達司

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繁栄をきわめた「福岡の市」には、当時、さまざまな人たちが集まってきていました。そのなかには、現在、放映されている大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公・黒田官兵衛の曾祖父・高政もいました。高政の詳細な足取りには不明な部分も多いのですが、中央政界の混乱のさなか、都から流れて来た高政は「福岡の市」に身を寄せ、再起を誓ったといいます。後年、高政の子・重隆は播磨国の有力大名・赤松氏や小寺氏に仕え、やがて官兵衛の登場を見ます。いわば、当地は黒田氏にとって、第二の故郷というべきところなのです。

写真は、妙興寺境内の墓地に残る、黒田家の墓所。そのなかには高政や重隆のものといわれる墓石もふくまれています。ちなみに官兵衛の子・長政は、筑前国の拝領後、みずからの居城を「福岡城」と命名します。居城に「福岡」の名をつけたのは、みずからの父祖と深い関わりを持つ備前福岡の名にあやかったためであるということです。福岡県の名の由来が、ここ、備前福岡にあったということには、驚かされますね。

再起を誓った武将がもう一人!戦国大名・宇喜多直家の父・興家の墓

再起を誓った武将がもう一人!戦国大名・宇喜多直家の父・興家の墓

写真:乾口 達司

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黒田家墓所の斜め前には、宇喜多興家の墓石も残されています。興家は備前国の国人で、戦国時代、主君である赤松氏を凌駕し、播磨から備前、美作にまで勢力を伸ばした浦上氏の重臣でした。天文3年(1534)、父・能家が砥石城で討たれた後、我が子・直家をともなって、当地の豪商・阿部氏のもとに身を寄せました。興家は当地で没しますが、興家の遺志を継いだ直家がやがて浦上氏を打倒し、備前を中心に美作・備中にまで勢力をのばす戦国大名へと成長します。黒田高政と同様、ここにも「福岡の市」で再起を誓った歴史上の偉人がいたのです。

名刀輩出の地!その歴史を伝える備前長船刀剣博物館

名刀輩出の地!その歴史を伝える備前長船刀剣博物館

写真:乾口 達司

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鎌倉時代以降、当地は日本刀の一大生産地でもありました。その伝統をいまに伝えるのが、備前長船刀剣博物館です。館内には、当地ゆかりの名刀が数多く展示されている上、日によっては、刀作りの工程を実際に見学することもできます。当地で作られた刀剣が全国に流通していたことからも、備前福岡が商業ネットワークの一大拠点であったといえるでしょう。

おわりに

備前福岡の地がいかに豊かな歴史をたたえているか、おわかりになったのではないでしょうか。地区内には備前福岡の歴史を紹介した備前福岡郷土館もあり、実際の史料にもとづいて、当地の歴史を学ぶこともできます。大河ドラマ『黒田官兵衛』の放映によって、備前福岡に対する関心が高まっている今日、当地を訪れ、その歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/01/03 訪問

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