JR長船駅から妙興寺は徒歩10分程、車道とほぼ平行の、田んぼや農地の中をやわらかくうねる小径を歩くのがオススメ。散策に適した道幅と共に遠景の山々ののどかさに癒されることでしょう。
やがて妙興寺の目印の大イチョウ(写真左手)がくっきりと視界に入ってきます。写真中央の大きな館が仲崎邸です。
更に少し歩くと、備前福岡の表示のある通り。入り口付近から、豪邸の仲崎邸へと風情あるお屋敷が続いています。
「福岡千軒」と呼ばれたこの街の繁栄の名残を引き継いでいるのが豪邸の仲崎邸。明治から大正にかけて建築された和風と洋風の融合した住宅です。土曜と日曜の10時〜15時に入場できるので立ち寄ってみてはいかがでしょう。
贅を凝らした仲崎邸の蔵は、「烏城」と呼ばれる黒漆喰で囲まれた岡山城を彷彿とさせる黒色、この地域の特色の焼き板の囲い。福岡界隈でもシックな焼き板囲いの外観の家を多く見ることが出来ます。
江戸時代の風情を伝えるのが、仲崎邸と妙興寺の間に建つ、七つ井戸。福岡界隈に七つあったといわれる井戸の一つです。北側を流れる清流吉井川の地下水の為、水量豊富かつ水質良好と云われ、酒造用などにも使われていました。井戸越しに望む山並みは江戸情緒をたっぷり感じることが出来ます。
妙興寺は1403年開山の古刹。どっしりとした山門が出迎えます。
教意山妙興寺の山門をくぐると、歴史が刻まれた仁王門。阿吽(あうん)一対の金剛力士立像。1626年の造立を誇ります。幕末から明治初期に行われた彩色修理により、筋骨隆々に生命力に満ちた輝きを放つ二体は必見の迫力です。
奥にそびえる大イチョウに向かいまっすぐに進む石畳が、黒田官兵衛の曽祖父(黒田高政)と宇喜田秀家の祖父(宇喜田興家)の墓がある墓地へ導きます。
宇喜田興家、直家、そして秀吉政権末期に五大老となった秀家を擁した宇喜田家3代は戦国時代を謀略と政略をもって生き抜きます。直家と秀家は岡山城を大改修し、烏城と呼ばれる黒漆喰で有名な天守閣を築きます。宇喜田秀家は、豊臣家に忠義を尽くし関ケ原の戦いでは西軍の主力。その後逃亡先で捉えられ、流刑地の八丈島で没します。
黒田家の墓の一画に黒田官兵衛の曽祖父高政の墓。表示がでているのですぐにわかるでしょう。時間が止まった様な静けさが漂う一画。高政から重孝、そして官兵衛の父、職隆(もとたか)とその子の官兵衛は姫路へ移るのです。黒田官兵衛は秀吉の軍師として、その長男の黒田長政は家康に仕え、関ケ原で東軍で活躍の後、九州福岡52万石の大大名になります。その地名は、黒田家五代にわたる繁栄の出発点の備前福岡にちなみます。
2本の大イチョウは黒田高政の墓の一画の真裏にどっしりと立っています。10月は、大イチョウが銀杏で紅葉前から黄色く見えるほど。完熟期にはひっきりなしに落ちる銀杏で地面が更に黄色く見えます。
妙興寺正面から30m程にあるのが「福岡一文字派」の碑。妙興寺のある備前長船は備前刀の故郷。刀鍛冶の一派で鎌倉時代から南北朝にかけて繁栄したのが福岡一文字派です。近いので立ち寄ってみてはいかがでしょう。
大河ドラマとなった「軍師官兵衛」のおかげで、妙興寺界隈には案内板が多く、歩きやすくなっています。
「妙興寺の基本情報」
住所:岡山県瀬戸内市長船町福岡684
電話:0869-26-2024
「仲崎邸の基本情報」
住所:岡山県瀬戸内市長船町福岡688
電話:0869-34-9500
開館日:土曜日、日曜日 10時〜15時
2017年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。関連情報をMEMO欄に入れておきます。
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(2024/4/26更新)
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