実は超巨大城郭?小田原城への旅では総構の見学もお忘れなく

実は超巨大城郭?小田原城への旅では総構の見学もお忘れなく

更新日:2014/02/06 13:50

戦国時代の小田原での出来事といえば豊臣秀吉の小田原攻め。15万の軍勢が城を包囲した籠城戦でした。小田原城跡は城址公園として整備されていますが、大戦役があったことは、現在の城址公園ではなかなか想像できません。実は城址公園となっているのは城のごく一部。小田原攻め時には全長9kmにわたる「総構」(そうがまえ)が完成し、超巨大城郭となっていました。遺構は各所にありますが、特に見応えのある部分を紹介します。

小田原城の旅はまず城址公園から

小田原城の旅はまず城址公園から
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小田原城への旅なので、その中心となる城址公園に行ってみましょう。一時は広大だった小田原城ですが、江戸時代には縮小して、三の丸以内が城域となりました。現在の城址公園はさらに縮小して二の丸以内の部分です。写真は正面入口付近から堀ごしに隅櫓などを見たところですが、お城の建物は残念ながらすべて復興・復元によるものです。古い城郭建築がないとはいっても史跡としての価値が低いわけではなく、縄張は古い時代のものがよく残っているし、地中にもかつての姿を知る手掛かりが多く残されています。最近では御用米曲輪で北条氏の時代の庭園の遺構が発見されたことがニュースにもとりあげられました。

城址公園で一番目立つのはやはり天守閣(写真には入れてませんが)。これは昭和35年につくられた復興天守です。小田原城は元禄16 (1703)年の地震で被害をうけており、宝永3 (1706)年に天守が再建されました。この天守が明治の廃城まで残っていました。この天守についての資料はいくつかあり、どのような建物だったかはよくわかっています。重要な資料の一つに再建の際につくられた雛型がありますが、復興天守内に展示されているのでぜひ見ていって下さい。最近の傾向では史実にできるだけ忠実に再建するところですが、この天守は観光面を意識して最上層に高欄付廻縁が付けられています。こういう復興はあまりいいものではないと思うのですが、小田原の丘陵部を眺めることができる点は評価できます。実はこの丘陵部こそが、最初に城がつくられたところなのです。

天守からも見えた八幡山古郭に行ってみよう

天守からも見えた八幡山古郭に行ってみよう
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小田原城の15世紀中頃、大森氏による築城です。明応4 (1495)年頃(諸説あり)に伊勢宗瑞(北条早雲)が奪い、北条氏(後北条氏)の城になりました。築城時の城は八幡山とよばれる丘陵部にあり、天守から眺めた八幡山の南東端部には、広い空き地のようなところが見えます。これが「八幡山古郭東曲輪」とよばれるところ。八幡山古郭は歴史公園として整備されていていつでも見学できます。市街地の展望がよく、秀吉の小田原攻めの拠点となった石垣山もよく見えます。眺めがよいということは戦略的に重要な場所ということなので、小田原城の歴史を知る上で価値の高い場所です。発掘調査では建物跡や石垣など発見されています。

堀が状態よく残る谷津山尾根筋北西部(城下から稲荷森)

堀が状態よく残る谷津山尾根筋北西部(城下から稲荷森)
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町をぐるっと囲む大外郭の遺構を見に行ってみましょう。遺構がとびとびだったり、案内表示などが少なかったりしてわかりにくいので、「小田原城総構を歩こう」という市のパンフレットをもっていくことをおすすめします(下の「小田原城関連パンフレット」のリンクからダウンロードできます)。八幡山古郭東曲輪から小田原駅北口方面へ歩き、県道74号線を北上して、丹羽病院前のバス停付近から西側の坂道を登ると、城下(しろした)張出、山ノ神台東の堀、山ノ神台西の堀、山ノ神堀切、山ノ神堀切西の堀、稲荷森の堀などを見ることができます。写真は稲荷森とよばれるところで、丘陵の地形に沿った堀がよく残っています。現在は竹林の中にあって幻想的な雰囲気です。

城下張出は総構から方形に張り出した平場で、敵方の動向を観察し、また、横矢掛りの効果も生んでいます。この付近から稲荷森の間は堀がよく残っています。堀の一部は茶畑として利用されていますが、こういった土地利用が堀を残すことにつながってます。堀の中に茶畑があるちょっと変わった景色です。

鉄壁の守りを誇る小峯御鐘ノ台の大堀切

鉄壁の守りを誇る小峯御鐘ノ台の大堀切
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稲荷森からさらに300mほど進んだところが、総構一番の必見ポイント。小峯御鐘ノ台大堀切とよばれるところで、丘陵の尾根を分断する大堀切です。総構ではもっとも規模の大きい遺構で、堀の幅は20〜30m、堀の両側に積まれた土塁頂上と堀底との高低差は12〜15mもあります。こんな大きな堀切自体が珍しいのですが、この写真の東堀の他に中堀と西堀があったという三重構造の大堀切をなしていたという点でも極めて珍しいです。この付近は尾根筋が合流する地形なので、ここを敵にとられると尾根づたいに城の各所を攻められてしまいます。現在の中堀は道路になっていて、西堀も埋められてしまっているので、昔のままの規模を見ることができるのは東堀だけですが、それでも重要な場所に見合った重厚な守りが実感できます。

早川口遺構で二重戸張を見る 〜 平野部に残る総構遺構

早川口遺構で二重戸張を見る 〜 平野部に残る総構遺構
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丘陵部に比べると平野部の遺構はあまり状態がよくありませんが、ところどころに総構の遺構を見ることができます。その中での特に必見の場所が早川口遺構です。ここで特徴的なのは土塁と堀を二重にした二重戸張(ふたえとばり)とよばれる構造です。二重戸張は総構の各所にあったのですが、現存するのはここだけです。平野部の遺構は都市化の流れであまり状態がよくないのですが、ここは明治時代に庭園とされたことで保存されました。

平野部の遺構でもう一つ見てほしいのは蓮上院土塁。町の西側にある早川口遺構とは反対側にあり、100mほど土塁が続いています。ちなみに小田原攻めの際にこの土塁の外側で陣をおいたのは徳川家康です。

最後に

小田原城というと城址公園に行くだけの人も多いようですが、小田原城の魅力は城址公園以外のところをいろいろまわらなければ理解することができません。範囲が広いので、1日かけてじっくりまわることをおすすめします。総構の遺構では見学者用の駐車場が整備されているところがほとんどないので注意して下さい。平野部をまわる際には城址公園内の小田原城歴史見聞館前で借りられるレンタサイクルが便利です。丘陵部の坂道は徒歩の方がいいかも。広大な城域を体感するためにも、全体を徒歩でまわるというのもおすすめです。わかりやすい案内標識のようなものはあまりないので、「小田原城総構を歩こう」というパンフレットが便利です(下のリンクからダウロードできます。スマートフォンやタブレット端末に入れておくと便利ですよ)。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/11/23 訪問

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