写真:井伊 たびを
地図を見る東京都台東区上野桜木にある「浄名院(じょうみょういん)」は、山号を東叡山と称し、天台宗のお寺だ。当初は、浄円院といい、寛永6年(1666年)寛永寺の36坊のひとつとして創建された。こちらの表門は、享保年間(1716〜35年)の建立である。
写真:井伊 たびを
地図を見る「浄名院」が地蔵信仰の寺となったのは、第38世地蔵比丘妙運和尚の代からである。妙運和尚は、日光山星宮の常願庵にこもった25歳のとき、「地蔵信仰」を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願をたてた。
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地図を見る妙運和尚は、明治9年(1876年)浄名院に入り、明治12年(1879年)一千体地蔵の願いが満ちると、さらに八万四千体地蔵の大誓願に進んだ。明治18年(1885年)には「地蔵山総本尊」を建立。各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けている。
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地図を見る当山の地蔵巡りの第一番の地蔵菩薩像である。
写真:井伊 たびを
地図を見る「浄名院」は全国的に「地蔵信仰」で有名なお寺。境内に入ると、ところ狭しとお地蔵さんが奉納されている。特に外国人観光客に、人気あるスポットだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る地蔵菩薩の生まれ変わりとも言われた妙運和尚が、八万四千体地蔵菩薩像建立!を発願したが、現在では約半分の四万八千体の石地蔵が安置されている。
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地図を見る江戸時代中期に著された江戸の地誌「江戸砂子(えどすなご)」によると、「江戸六地蔵」には、「始の六地蔵」と「後の六地蔵」とがあるが、こちらのお地蔵さんは、「後の六地蔵」の一体に属する。
「始の六地蔵」は、元禄4年(1691年)、空無上人(くうむしょうにん)が開眼供養したものであり、一方「後の六地蔵」は、江戸深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706年)に発願し、江戸市中から広く寄進者を得て、江戸の出入口6ヵ所に地蔵菩薩像を造立したものである。
ところで、こちらの地蔵菩薩坐像は、当初の六地蔵の六番であった「深川永代寺」が、明治維新のとき廃寺になったためと、日露戦争の戦没者を弔うため、明治39年(1906年)に新たに建立され、江戸六地蔵に代仏として加わったものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見るへちまの蔓に囲まれ“へちま”を抱く「へちま地蔵」には、たん・咳・喘息に、ご加護があるとされる。毎年、旧暦の8月15日に、ここ浄名院では、「へちま供養」が行われている。よって、通称「へちま寺」と呼ばれている。
「へちま供養」とは、天台宗の秘法で、中秋の名月(十五夜)の日に、加持祈祷をした“へちま”を使用して、作法にのっとり真言を唱えると喘息が治るというもの。
ちなみに、“へちま”には、せき・たん、ぜんそく(気管支ぜんそく)、心臓病、むくみ(浮腫・水腫)、小便不利、美容・美肌、腹痛などに対して薬効があることは、すでに科学的にも証明されている。
写真:井伊 たびを
地図を見る「安産・子育て地蔵」に、「水子地蔵」。
写真:井伊 たびを
地図を見る他にも、「うかがい地蔵」がいらっしゃる。男性用と女性用があり、迷いのあることを思い浮かべながら石造地蔵菩薩像を持ち上げ、思っていたよりも軽ければ思っていた通りに進めばいいし、思っていたよりも重ければ、思っていたことは間違いだ!という。
また「導き地蔵」も。さらには、「あらい地蔵」もいらっしゃる。痛い部位やよくしたい箇所があれば、こちらの“お地蔵さん”のその箇所をゴシゴシ洗えばいいのだとか。とにかく、御利益の多いお寺である。
「へちま供養」は、ここ浄名院では「ぜんそく・病封じ へちま加持祈祷会」という。敷地内の建物でお御影とへちま加持の一式入ったお札を購入し、本堂の方へ入り御祈祷いただく。軽い喘息だと1年目で、重くても2〜3年で治るといわれている。ちなみに、今年(2017年)の「へちま供養」は、10月4日(水曜日)に行われる予定である。
「浄名院」へは、JR線「鶯谷駅」より徒歩10分。駅の北口を出て、線路沿いを北西に進めば、頭上の「言問通り」に上る階段を見つける。その階段を上りきれば、すぐにJR線に架けられた跨線橋がある。この橋を渡り、言問通りを進めば約200m先の右側に見つけることができる。
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(2024/3/29更新)
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