写真:乾口 達司
地図を見る大念佛寺(だいねんぶつじ)は大阪市平野区にある融通念仏宗の総本山。日本最初の念仏道場とさるています。創建は大治2年(1127)。良忍上人が鳥羽上皇の勅願により開きました。
7300坪におよぶ広大な敷地には数多くのお堂が立ち並んでいますが、なかでも、写真の本堂は東西約 50メートル 、南北約40メートルにもなり、大阪府下最大の木造建築物として、現在、国の登録有形文化財に登録されています。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂を正面から見上げてみましょう。そのスケールの大きさに驚くはず。総欅造りの細部も精巧で見応え充分。堂内への立ち入りも認められているので、ぜひ堂内も拝観してみてください。
写真:乾口 達司
地図を見る広い慶大には、さまざまなお堂が立ち並んでいます。この機会にそれぞれのお堂をめぐりましょう。
写真は経蔵。堂内には巨大な経庫が安置されており、その正面には平安時代の僧で、融通念仏宗の開祖である良忍上人の像が置かれています。
写真:乾口 達司
地図を見る両手を広げたように、左右に大きくのびる写真の建物は円通殿(観音堂)。内部には最澄(伝教大師)の作と伝えられる聖観音立像が安置されており、その左右の棟にはたくさんの位牌が並べられています。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらのお地蔵さまは地蔵堂に安置されています。弘化元年(1844)、第52世教彌大僧正の創建で、こちらのお地蔵さまは江戸時代後期に活躍した融通念佛宗の念仏行者・楽山(ぎょうざん)によって地蔵堂にまつられたもの。現在、大阪市指定の有形民俗文化財に登録されています。
写真:乾口 達司
地図を見る大念佛寺を拝観したら、本堂の裏手に広がる墓地にも足を運びましょう。墓所に入って10メートルほど進むと、目の前にご覧のような石棺が現れます。こちらは奈良出身の実業家・吉村長慶(よしむらちょうけい)の墓所。正確にいえば、長慶が生前に作った幾つかの墓所(寿墓)のうちの一つで、長慶自身が実際に葬られているわけではありません。
長慶は奈良出身の実業家。安達正興の『宇宙菴吉村長慶』(奈良新聞社刊)によると、長慶は文久3年(1863)に奈良で生まれました。家業を継ぐようになると、本業のかたわら、北浜や堂島で相場師として活躍。莫大な財を築きました。そして、昭和17年、享年78で他界するまで、みずからの財産をもとに畿内各地の神社仏閣におびただしい数の石碑や石像を寄進しました。このような篤信家がかつていたこと、ご存知でしたか?
写真:乾口 達司
地図を見る石棺のそばには、ご覧のような円柱も建てられています。円柱には長慶が大念佛寺に墓所を作ることになった由来も刻まれており、それによると、吉村家が代々融通念佛宗の信徒で、長慶自身も第59世法主管長・山上戒全と親交を結んでいたことにちなんでいるようです。
円柱のなかほどには、長慶自身を模したミニ像も刻まれており、吉村長慶という人物がどのような姿形をしていたかを知ることも出来ます。
写真:乾口 達司
地図を見るあわせて側面に開いた穴から石棺の内部も覗いてみましょう。なかを覗くとあら、びっくり!こちらにも長慶の坐像が鎮座しているではありませんか。この風変わりな趣向からは、長慶の強烈な個性が感じられるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂と向き合うように建つご覧の建物は「わた博物館」。当地を含む河内地方(大阪府南東部)は河内木綿の本場として、近代以前より木綿(わた)の一大生産地でした。「わた博物館」はそんな河内木綿の伝統を現代に紹介するため、毎月第4日曜日にだけ開かれています。地元の有志によって営まれるミニ博物館ですが、この機会に河内木綿の歴史を学んでみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る館内では袋に入ったわたを手渡されます。それを伸ばし、最終的には1本の糸に仕上げていきます。その工程を昔ながらの器具を使って指導していただけるので、はじめての方も心配ご無用。糸がどうやって作られていくのかをはじめて知る方も多いことでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るこちらでは、実際に糸を編み、製品を作っていく作業を教えていただけます。もちろん、付きっきりで教えていただけるので、わからないことがあれば、どんどん質問してみましょう。
いかがでしたか?大念佛寺が単なるお寺以上の魅力のあるスポットであること、おわかりいただけたでしょうか。JR平野駅からだと徒歩5、6分のところにあり、アクセスも快適。大念佛寺で数々の思いがけないものと出合い、見識を深めてください。
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(2024/4/25更新)
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