理想の上司!聖徳太子の町でミカン狩り&古墳観光「大阪・太子町」

理想の上司!聖徳太子の町でミカン狩り&古墳観光「大阪・太子町」

更新日:2017/09/03 17:41

沢木 慎太郎のプロフィール写真 沢木 慎太郎 放送局ディレクター、紀行小説家
「上司やカレシにしたい」「予言者」で人気の歴史上人物、聖徳太子。法隆寺や四天王寺は有名ですが、聖徳太子が眠る大阪・太子町のことはご存知でしょうか?

推古天皇や孝徳天皇が眠る地でもあり、関西で最大級のミカン園「上の太子観光みかん園」がある町です。万葉集に歌われた二上山、日本最古の国道「竹内街道」もあり、歴史ロマンとハイキングを楽しみたい方におすすめの観光スポット。日本の原風景へと旅しましょう。

みんな素敵な笑顔に!関西最大級のみかん狩り「上の太子観光みかん園」

みんな素敵な笑顔に!関西最大級のみかん狩り「上の太子観光みかん園」

写真:沢木 慎太郎

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飛鳥時代の皇族、聖徳太子。女性天皇の推古(すいこ)天皇に仕え、「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めました(諸説あり)。仏教を取り入れ、日本国家の基礎づくりに貢献。一度に10人の話しを理解できたと言われている賢者です。

「上司にしたい」「カレシにしたい」という歴史上の人物ランキングで、上位に位置するほどの人気。そんな聖徳太子に関係深い町が、大阪府太子町です。そこで、おすすめの観光スポットが「上の太子観光みかん園」。大阪府下で自然をたっぷり満喫できる、眺望抜群のミカン園です。

みんな素敵な笑顔に!関西最大級のみかん狩り「上の太子観光みかん園」

写真:沢木 慎太郎

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「上の太子観光みかん園」に植えられたミカンの木は1万本以上で、関西最大級。一つの山全体が、みかんです。太陽の光をいっぱい浴び、おいしさがギュッと詰まったミカンは甘くてジューシー。澄んだ秋の光が眩しく、楽しく自然とふれあうことができるので、思わず笑顔になってしまいます。

みんな素敵な笑顔に!関西最大級のみかん狩り「上の太子観光みかん園」

写真:沢木 慎太郎

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みかん山には、山頂広場やアスレチック、バーベキュー施設(食材・道具など一式)もあるので、ファミリーやカップル、友だち同士で、一日中、楽しく遊ぶことができます。みかん山からは、万葉集に歌われた二上山を見ることができ、遠い歴史ロマンに思いをはせることも。

【上の太子観光みかん園への行き方、場所、アクセス】
■電車/近鉄南大阪線「上ノ太子駅」下車(徒歩約20分、駅から送迎バスあり)
■乗用車/南阪奈道路太子I.C前(有料駐車場あり)
■みかん狩りの期間/10月1日〜11月30日(休園なし)
■みかん狩りの営業時間/9:30〜16:30(みかん食べ放題)

悲劇のプリンス!大津皇子が眠る二上山へハイキング

悲劇のプリンス!大津皇子が眠る二上山へハイキング

写真:沢木 慎太郎

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こちらは、さきほどのミカン山から見えていた「二上山」の山頂。「雄岳(517m)」と「雌岳(474m)」の2つの山頂があり、大阪府と奈良県にまたがる山です。写真は雌岳の山頂。手軽に登れる山で、ハイキングコースとしておすすめ。雌岳山頂は日時計が置かれていますが、戦争中には高射砲陣地が築かれていました。

悲劇のプリンス!大津皇子が眠る二上山へハイキング

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一方、雄岳の山頂には「葛木二上(かつらぎふたかみ)神社)」があるほか、若くして悲運の死を遂げた飛鳥時代のプリンス、「大津皇子(おおつのみこ)の墓」があります。

その死は、万葉集に、「うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」と、悲しく歌われています。

悲劇のプリンス!大津皇子が眠る二上山へハイキング

写真:沢木 慎太郎

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二上山のハイキングコースを歩いていると、ちょっと変わった看板を見かけることもあります。「山火事注意」。ホースを持ち、放水しているのは聖徳太子です。

二上山の西側(大阪府側)に位置する町が「太子町」。この太子町付近は古くから「近つ飛鳥」(河内飛鳥)と呼ばれ、陵墓(りょうぼ)や古墳などが数多く残っています。古墳博物館とも言える「大阪府立近つ飛鳥博物館」も、このエリアに立地。聖徳太子の墓があるのも、太子町です。

【二上山へのへの行き方、アクセス】
■電車/近鉄南大阪線「二上山駅」「二上神社口駅」「当麻寺駅」

「実在しなかった」「いなかった」説も浮上!理想の上司・聖徳太子が眠る「叡福寺」

「実在しなかった」「いなかった」説も浮上!理想の上司・聖徳太子が眠る「叡福寺」

写真:沢木 慎太郎

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聖徳太子のお墓がある場所が、太子町にある「叡福寺(えいふくじ)」。静かで簡素な仏教寺院です。聖徳太子のお母さん(穴穂部間人皇女)、太子の奥さま(膳部菩岐々美郎女)も眠っているとされ、「三骨一廟」と呼ばれています。

「実在しなかった」「いなかった」説も浮上!理想の上司・聖徳太子が眠る「叡福寺」

写真:沢木 慎太郎

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さきほど見えていた階段をあがると、写真の「聖徳太子御廟」が見えます。参拝ができるのはここまで。御廟の後ろは、大きな古墳となっています。太子廟には、「大雨が降っても御廟の土が崩れない」などの七不思議が残されています。

「実在しなかった」「いなかった」説も浮上!理想の上司・聖徳太子が眠る「叡福寺」

写真:沢木 慎太郎

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聖徳太子の本名は、「厩戸皇子(うまやどのみこ)」。貴族の蘇我馬子(そがのうまこ)と協調して政治を行い、随(中国)に「遣隋使(けんずいし)」を派遣するなど、国際緊張緩和にも努めました。旧1万円札で馴染みの聖徳太子ですが、「実在しなかった」「いなかった」という説が浮上。

聖徳太子が主に書かれている「日本書紀」の内容が疑わしいことや、冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作という説によるもの。写真は、お茶目な聖徳太子をイメージしたキーホルダーのお土産ですが、歴史上の人物は良くも悪くも脚色されていくものなのでしょう。

【叡福寺へのへの行き方、アクセス】
■電車/近鉄南大阪線・長野線「喜志駅」下車 バスに乗車し、「太子前駅」で下車

遣隋使で華道家元の池坊始祖、小野妹子が眠る塚「いもこさん」

遣隋使で華道家元の池坊始祖、小野妹子が眠る塚「いもこさん」

写真:沢木 慎太郎

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遣隋使として知られる「小野妹子(おののいもこ)」も、太子町に眠っています。7世紀の飛鳥時代に、聖徳太子によって随へ派遣された人物。100段ほどの階段があり、小さな丘の上には、古くから地元で「いもこさん」と呼ばれる塚があります。眼下には、「近つ飛鳥」の里をぐるりと見渡すことができ、眺望の良いスポット。

遣隋使で華道家元の池坊始祖、小野妹子が眠る塚「いもこさん」

写真:沢木 慎太郎

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「いもこさん」は神秘的な雰囲気が漂う聖地。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉が美しい観光スポットです。「日出処天子(ひいづるところのてんし)」の文言で知られる国書を携えた小野妹子。

しかし、華道家元の池坊(いけのぼう)の始祖であることはあまり知られていません。聖徳太子から観音像の守護を任され、小野妹子が坊を立てて仏前に華をお供えしたのが池坊の始まり。この小さな塚は、生け花の聖地でもあるのです。

遣隋使で華道家元の池坊始祖、小野妹子が眠る塚「いもこさん」

写真:沢木 慎太郎

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「いもこさん」の階段下にある神社が、「科長(しなが)神社」。毎年7月24日〜30日の間の日曜日(例祭)には、だんじりが出されて賑わいます。秋には紅葉が美しい穴場の観光スポット。

【科長神社へのへの行き方、アクセス】
■電車/近鉄南大阪線・長野線「喜志駅」下車 バスに乗車し、「御陵前」で下車

「近つ飛鳥」で古墳めぐりの旅!孝徳天皇陵など「梅鉢御陵」/近つ飛鳥博物館/竹内街道

「近つ飛鳥」で古墳めぐりの旅!孝徳天皇陵など「梅鉢御陵」/近つ飛鳥博物館/竹内街道

写真:沢木 慎太郎

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太子町は、隣接する羽曳野市と並んで、天皇陵の数が大阪府下で最も多いエリア。写真は「孝徳天皇陵」です。ほかにも、「敏達天皇陵」「用明天皇陵」「推古天皇陵」があります。この4つの陵墓に加えて、「聖徳太子御廟」の5つの古墳は、梅の花びらになぞらえて「梅鉢御陵」と呼ばれています。「近つ飛鳥」の古墳をめぐり、古代王のパワーを感じられてみてはいかがでしょうか?

「近つ飛鳥」で古墳めぐりの旅!孝徳天皇陵など「梅鉢御陵」/近つ飛鳥博物館/竹内街道

写真:沢木 慎太郎

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太子町の隣町「河南町」では、「近つ飛鳥博物館」があり、古代の歴史を楽しく知ることができるのでおすすめ。「聖徳太子の時代の国際交流」「古代国家の源流(埴輪、石室)」「現代科学と考古学(修復・保存)」の3つのゾーンに分かれています。見どころは、直径10メートルの大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の復元模型(写真)。埴輪や石室などの展示物も魅力があります。

「近つ飛鳥」で古墳めぐりの旅!孝徳天皇陵など「梅鉢御陵」/近つ飛鳥博物館/竹内街道

写真:沢木 慎太郎

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最後のご紹介は、竹内街道(たけのうちかいどう)。大阪湾に面した堺市から、二上山の南端の峠(竹内峠)を越えて、奈良県葛城市に続く約26キロメートルの街道です。推古天皇によって整備された道で、ここは日本最古の国道。

小野妹子はこの道を通って大陸を目指しました。街道沿いにある「竹内街道歴史資料館」では、竹内街道や太子町の歴史がよくわります。また、近くには「太子温泉」「道の駅 近つ飛鳥の里 太子」といった観光スポットもあるので、ぜひ訪ねてみて下さい。傷だらけの聖徳太子のカンバンもあり、どちらかというと心霊スポットっぽいところが太子町の魅力です。

おわりに

聖徳太子が定めたとされる「十七条憲法」。その書き出しは、「和を以って貴しと為す」から始まります。圧倒的な国力を誇る隣国に対し、日本の美しい文化、教養の高さを示すことで危機を乗り越えた時代。現代の日本も、理想のリーダーである聖徳太子のパワーが求められているのではないでしょうか?

なお、南大阪の観光スポットや、四天王寺など大阪の社寺については別途、記事にまとめていますので、ご興味のある方は関連MEMOに貼り付けたリンクからのぞいてみて下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/11/15 訪問

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