ブリンディシに、ほとんどの人は街から5qのサレント空港からバスや車で到着することになります。あるいは他の街から鉄道でやってくる人もいるかもしれません。そんな方々には(つまり船で入る人以外)、街歩きは鉄道駅から左に5分のメザーニェ門から始めるのがおすすめです。車の場合、国道7号線から新市街のVia Appia(アッピア通り)を抜けて門の前まで来られればなお良し。余裕がある方はアッピア通りを門まで少し歩きましょう。車の多い新市街に風情はありませんが、「Via Appiaを歩く」ことに意味があります。
イタリアには二千年前の古代ローマの道が今もそのまま残っています。多くは新道となって(舗装されて)現役で生き続けており、あるいはローマ郊外のVia Appia Antica(旧アッピア街道)など、往時のままに保存されている箇所もあります。このVia Appiaが「街道の女王」と呼ばれるアッピア街道。そう、ブリンディシのメザーニェ門まで続いている街道です。
ローマを出てアッピア街道(7号線)をティレニア海に沿って南東に下り、ナポリ手前で内陸に入り、アドリア海に向けて更に南東に斜めに半島を横断し、メザー二ェ門まで約540q。古代ローマの旅人がたどり着いた門は今はなく、私たちが目にするのは13世紀のもの。それでも、城壁に囲まれた街に足を踏み入れる喜びは、二千年前と変わりありません。
門を入るととすぐ、石畳が白いことに気付きます。白い家並みの小さな街がたくさんある南イタリアで、ブリンディシは特に石畳の白さが印象的です。旧市街はきれいに修復されている部分と、古いまま残されている部分が混在しているのですが、足元も同じ。真新しい切り石できっちりと組まれた石畳もあれば、四隅がすり減り、欠け、石の面があちこちの角度に波打っているような石畳もあります。お目当てのサン・ジョバンニ・アル・セポルクロ(サン・セポルクロ)教会に続く小道は後者で、同じ白い石ながら、時代の色をまとって少しくすんだ白色です。
サン・セポルクロは少しわかりにくい場所にあります。門から続くカルミネ通りを少し歩いたら、サン・ベネデット教会を目当てに左に折れ、すぐ先を右に...と行ったあたりで誰かに尋ねるのが一番の近道かもしれません。
短いアプローチの奥がそのまま小さな広場で、教会は周囲の住宅に埋もれるように、ひっそりとしています。イメージしていたプーリアのロマネスク教会と全く違うことに、驚かれるかもしれません。まっすぐ見上げるような平面のファサードもなければ、バジリカ式の身廊が奥に長く伸びているわけでもないからです。建物をつくる壁の全体が、まるでモンゴルのパオのように低く丸く湾曲していて、その一部が、二本の柱の上にアーチを載せたファサードとなっています。
柱を支えるライオンは、かつてライオンであったのかどうかも定かでないほどに、ノミの跡が摩耗しています。表情はすっかり失われているのに、わずかの凹凸と大きく裂けた口元で、かつてのように身動きは出来なくなってしまったけれど、忠実さは少しも衰えていない老犬が、主人を迎えて笑っているかのようにもみえます。
柱頭の人が横に手をつないだ装飾も、入口左右の浅浮彫も一部が欠けたり摩耗したりしているのに、そこだけ修復したのか、入口上部のアカンサスだけは見事に手前にそりかえっています。
内部のフレスコ画はかなり傷んでいます。聖人像の顔に加えられた直線的な傷跡や、弾痕に似た壁面の水玉模様のような傷には、破壊しようとする機械的な意思が見えて、時によって崩れ落ちたのとは違う痛ましさがあります。
この教会に冠せられたサン・セポルクロというのは聖墳墓という意味。11〜12世紀にかけて、十字軍から帰還した聖ヨハネ騎士団によって建てられました。ローマの街道はもともとは軍用道路であり、同時に交易道路でした。ブリンディシも商都であり、戦士を送り出す港町でもあり、ということは、一転してオスマン・トルコなど異教徒に攻められ、略奪される街でもあったのです。
元の道に戻り、そのまま進むとドゥオーモ広場に出ます。正面に建つドゥオーモはロマネスクの創建ですが、ファサードは18世紀のもの。教会見学は後回しにして、と...海に行く道はどこなのか。地図ではまっすぐ行けば海のはずなのに、ドゥオーモがでんと海への方向をふさいでいるのです。道は、ドゥオーモの塔の下のアーチをくぐって続いています。アーチの先がコロンネ通り。白い石畳をしばらく行けば、視線の先に澄んだ青が飛び込んできます。海を目の前にふと左を見上げれば、そこに建つのはローマの円柱。
アッピア街道の本当の終点がこの円柱です。円柱は二辺を建物に囲まれて少し息苦しそう。階段を下まで降りて、海を背に見あげてみましょう。かつてオリエントから訪れた旅人や、珍しいものを仕入れて帰国した商人も、同じ角度から、目印となる真っ白な塔を見上げたことでしょう。
ローマの円柱は確かにアッピア街道の終点ではあるのですが、ローマの道はここで終わりではありません。海路二日でギリシャまで続き、ペロポネソス半島を横断して西に進む道を行けばイスタンブールです。あるいは、エーゲ海をクレタ島を経て南東に下ればエジプトのアレキサンドリア。地中海をマーレ・ノストルム(我らが海)と呼んだローマ人にとって、ブリンディシはいくつかある開かれた海の玄関都市でした。明るい海岸通りから海を臨み、次はどこに行こうかと思いを馳せるのも、旅好きにはたまりません。
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(2024/4/19更新)
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