日本最大級のものがあるのが「神楽殿」の注連縄(しめなわ)です。「神楽殿」は御祈祷や結婚式など祭事行事が行われる場所として利用されています。
この注連縄は大きく迫力満点!!「一見の価値あり」とはこのことかと思うくらいとても大きいですよ。
「注連縄」は他の神社と違い、張り方が反対となっています。中から見て左側で終わっているのも類を見ないものです。理由は諸々あるようですが、どうしてこのように逆に張られているかは、はっきりとされておらず謎です。
「神楽殿」の大広間は270畳の広さがあります。神社には珍しく昭和56年の建て替え時に正面破風の装飾にステンドグラスを使用して作られました。正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ約4.5トン。
「出雲大社」は、もっとも古い神社建築様式とされています。 出雲大社の社殿に関しては鎌倉時代より前の記録がないため、延享元年(1744年)に建立され今の社殿が基本となっていると言われています。
2000年に境内から柱が発見され、1248年(鎌倉時代)に建立高さ48メートルの建築物であった可能性が高いとされています。その高さはかなり高く真偽が問われるところですが、現在の本殿は24メートルあることや発見された柱から推測するとそれは可能であったと思われています。
平成の大遷宮では、国宝御本殿の御修造は大屋根の膨大な檜皮の葺き替えなどが行われましたが、大きな修理以外にも日本伝統の巧みが随所に見られます。その一つとして、柱など木部分の補修に「かけつぎ」という技法が使われています。
境内をゆっくり散策してみましょう。所々に「かけつぎ」補修が施されている場所が見つかります。どれとして同じ形、大きさがなく一つ一つ丁寧に改修されているのが判ると同時にその巧妙さには驚かされます。
前述の通り、「出雲大社」は48メートルの高層建築物であったという説がありますが、さらにそれ以前には96メートルあったという説までもあります。しかもその建立時期は古代といわれていますがその可能性は低いようです。しかしながら、その姿を想像しながら参拝するのも楽しいもの。その壮大さにワクワクさせられますね。
仮に「出雲大社」が48メートルあったとすると、現在においては15階相当のビルと同じ高さになりますが、それを裏付けるものが2000年から2001年に行われた調査より柱跡が見つかり、そしてその大きさは「金輪御造営差図」と呼ばれる建設された当時の平面図から推測されました。
本殿前にあるこの丸が柱の跡です。三本の柱を一本の柱として合計9本の柱で本殿を支えていたという調査結果となりました。そんなところにも古代建築の巧み、ロマンを垣間見ることができるのが「出雲大社」です。名前通りの「おおやしろ」と言えますね。
一見、不規則な並びですが、平面図と照らし合わせるとこの柱位置も納得できます。
「出雲大社」には大国主命の他に天照大御神や須勢理比売命など女性の神様も祭られています。しかし、その神様は嫉妬深いらしくカップルで「出雲大社」にお参りに行くとそのカップルは別れるという逸話も有名です。これも、出雲大社の謎の一つです。
「出雲大社」はただの神社ではない!!どこをとっても、そのスケールの大きさに圧倒される建築物です。神話のみならず歴史建築のロマンさえも感じさせる建築物です。
もっと詳しく「出雲大社」を知りたいと思う方は、近くに「島根県立古代出雲歴史博物館」がありますので立ち寄ってみましょう。さらに「出雲大社」の魅力に触れられること間違いなしです。
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(2024/4/20更新)
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