嵯峨鳥居本地区は嵯峨野の最北に位置し、江戸時代に愛宕山の頂にある愛宕神社の門前町として発達しました。愛宕山愛宕神社は、火伏の神として、信仰を集めていて、京都市民の台所では、愛宕神社の「阿多古祀符火廼要慎」という文字が摺られたお札が貼られている光景をよく目にします。
愛宕山のふもと愛宕神社の一の鳥居前から、化野念仏寺を経て、二尊院、嵯峨釈迦堂(清凉寺)あたりまで昔の町並みが続く「愛宕街道」は、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
貴重な景観を守るために、愛宕神社の一の鳥居前近くに、明治初期の町屋を復元・整備さえれた「町並み保存館」が開設されています。
「愛宕街道」の一筋東側のバス道の「清滝街道」沿いの曼荼羅(まんだら)山の斜面には、毎年8月16日に行われる「五山送り火」のひとつ「鳥居形」があります。
愛宕古道街道灯し(あたごふるみちかいどうとぼし)は、化野念仏寺の千灯供養に合わせ1995年(平成7年)から始まった催しで、毎年8月23日〜25日の夜に行われています。奥嵯峨の古い町並みを、大小様々な行灯で彩る催しで、晩夏の風物詩として定着してきています。
お地蔵様に見立てたジャンボ提灯や、子供たちが描いた提灯等々、地域住民や子供たち、嵯峨芸術大学の学生により製作された約800基の手づくりの素朴で温かい行灯が街道を優しい光で包み込みます。
上の写真は「町並み保存館」近くに飾られたジャンボ「行燈」です。
愛宕街道を渡月橋に近い二尊院あたりから北西に進むとちょうど中間あたりに位置する「化野念仏寺」を境に、瓦屋根の町家風民家から茅葺きの農家風民家の町並みへと変わって行きます。
最終地点の一の鳥居近くには江戸時代から続く鮎茶屋が店を構えていて、街道を歩いて来た観光客が軒下で一休みできます。
「愛宕古道街道灯し」の日には、行燈の光を見ながら軒先に座れます。
嵯峨鳥居本化野は、東の鳥部野、北の連台野、と共に西の化野(あだしの)として京都の風葬の地であったと云われています。
化野念仏寺は、空海が弘仁年間(810〜824)に、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅(まんだら)山寄りを胎蔵界と見立てて、千体の石仏を埋め、中間を流れる川(曼荼羅川)の河原に五智如来の石仏を立て、一宇を建立し、五智如来寺と称したのが始まりといわれています。当初は真言宗でしたが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになりました。
上の写真は、新緑に包まれた化野念仏寺境内の西院の河原です。
京都嵯峨野 あだし野念仏寺 の千灯供養が毎年8月23日、24日に行われています。念仏寺境内の西院の河原にまつられているおよそ8千体の無縁仏にろうそくを灯し、供養する宗教行事です。
この日、参拝者は、ろうそくに火を灯し、西院の河原と名づけられた石仏・石塔の立ち並ぶところに入り、ろうそく立てにお供えをします。
日が沈むとともに、ろうそくの炎がゆらゆらと揺れる様だけが見えるようになり、神秘的になってきます。
嵯峨鳥居本だけでも、見どころいっぱいですが、嵐山渡月橋から歩くと、もっと良いでしょう。
どこにも寄らずにまっすぐ歩くと一時間程度はかかりますが、途中、天龍寺、野宮神社、竹林の道、嵯峨釈迦堂、大覚寺、落柿舎、常寂光寺、二尊院、祇王寺などの名所にも立ち寄ることができて、ゆったりと、一日の散歩に良いところです。そして、終着点の愛宕神社の一の鳥居前に建つ茅葺きの鮎茶屋が、「平野屋」、「つたや」で、散歩の疲れも癒す食事もできます。
京都嵯峨野の風景を満喫して、夕暮れからは「愛宕古道街道灯し」、「化野念仏寺千灯供養」で、過ぎ行く夏を送ってみませんか?
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