写真:井伊 たびを
地図を見る千葉県流山市流山にある「浅間神社(せんげんじんじゃ)」は、江戸時代前期の正保元年(1644年)に創建されている。御祭神は女性の神様である「木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメノミコト)」だ。
社殿裏には、県内でも有数の規模を誇る、流山市指定文化財の「富士塚」がある。世界遺産でもある「富士山」は、古くからも、その美しさに対する畏敬の念は強く、信仰の対象となっており、現在でも多くの人々を魅了し続けている。
そんな「富士山」に、極楽浄土や御利益を求め、江戸時代中期ころ「富士登山参拝」が流行った。その当時、ここ流山根郷地域では、富士山が遠方にあるため「富士登山」が出来ない人のために、富士山の溶岩を使って本物そっくりな「流山の富士山」を造り敬っていた。
写真:井伊 たびを
地図を見る当社は、御祭神である女性の神様「木花開耶姫命」にちなんで、安産、子育て、縁結び、夫婦円満や、火伏せの御利益があるとされ、むかしから「根郷の浅間様」と崇められ、この地域の鎮守さまとして親しまれている。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内には、流山市の保存樹木指定でもある「カヤ」や「イヌマキ」が真っすぐに天空に伸び、荘厳な神社の安らぎの空間を醸成している。
写真:井伊 たびを
地図を見る社殿裏にある「富士塚」は、高さ約6mの県内でも有数な大規模なもので、本物の「富士山」の「噴火ボク石」を積み込んで造られている。ちなみに「ボク石」とは、富士山が噴火したときに流れ出した溶岩が固まったものだ。
この「富士塚」の頂上には、明治19年(1886年)築造とされる「木花開耶姫」の別称である「富士浅間大神」と、書かれた石碑が建てられている。
また、その中腹には多くの石造物が立てられて、一合目から二合目、三合目……と頂上に至る「登山道」が設けられている。が、岩が非常に尖っているところもあり、ゆっくりと安全を確かめながら、一歩一歩頂上をめざしたいものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る「六根清浄 お山は晴天」と唱えながら、この「富士塚」の頂上まで登ると、本物の「富士山」に登ったのと同じ気持ち、効果、御利益が、得られるとされている。
ちなみに、「六根清浄 お山は晴天」の「六根」とは、私たちの眼、耳、鼻、舌、身、意を指し、「清浄」とは、清らかになる、澄ませるという意味だ。
すなわち、一歩一歩踏みしめながら、山を登り、山のふところ深く入ることにより、ことごとく清められる。さらには、自分自身、全身を清らかにするという意味まで含まれている。
写真:井伊 たびを
地図を見る頂上にある「富士浅間大神」の石碑のすぐ下に位置する「九合目」あたりから、本物の「富士山」が望めることも。挑戦してみてはいかがだろう?冬のよく晴れた日に拝めることが多いのだとか。ちなみに、世界遺産である本物の「富士山」は、この頂から南西方向に約120Kmに位置する。
写真:井伊 たびを
地図を見る京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」が、総本社である。もともと、稲荷神は、「五穀豊穣を司る神」であったが、時代の流れとともに、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになっている。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内にある「天満宮(てんまんぐう)」は、菅原道真を御祭神とする神社である。天満宮は「天神(てんじん)」「天神さま」「天神さん」とも呼ばれる。菅原道真が優れた学者であったことから「天神さん」は「学問の神様」と崇められ、多くの受験生が合格祈願に詣でることでも有名である。
当社へは、駐車場がないため、流鉄・流山線の終着駅である「流山駅」から歩いて訪れるのがオススメだ。江戸時代、江戸川の舟便の要所として栄えたこの地。その名残を今でもとどめる商店などを巡りながら、駅から歩いて約3分で行ける。
また、お時間に余裕があれば、近くにある「一茶双樹記念館」「見世蔵」「近藤勇陣屋跡」など訪れてみてはいかがだろう?特に、毎年、7月上旬の土曜・日曜に行われる「浅間神社大祭」は人気がある。
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(2024/4/20更新)
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