写真:浦賀 太一郎
地図を見る2017年3月に開館した県立高知城歴史博物館は、国宝や重要文化財を含む6万7千点に及ぶ土佐藩山内家伝来の貴重な資料を中心に、高知の歴史について学ぶことができる博物館。膨大な資料と高知の歴史に特化したこの博物館は、開館以来評判となり、高知の新たな観光スポットとして脚光を浴びています。
豊富な資料を約二ヶ月ごとに展示替えをし、何度訪れても新しい発見のある博物館ですが、実はこの博物館から、高知城一帯を望むことができます。3階の展望ロビーは展示フロアなので有料ですが、2階のテラスや、土佐の味覚を楽しめる喫茶「イストワール」で軽食やお茶をしながらお城を望むといった、優雅な午後を過ごすこともできます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る高知城は、現在高知公園として整備されていて、本丸にある懐徳館(本丸御殿)と天守以外は、無料で散策することができます。園内には土佐藩山内家の祖・山内一豊の像(写真)や、「内助の功」で有名な見性院(千代)の像、自由民権運動の板垣退助像といった、高知に所縁のある人物の像が建立されています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る特にうれしいのは、日没から22:00頃まで行われるライトアップ。夜の時間帯も二の丸までは開放されているので、色々な角度からライトアップされた美しい高知城を堪能することができますよ。
写真は二の丸から眺める天守。他にも、板垣退助像と天守のコラボや、お月様とのセッションなどなど、色々なライトアップシーンを撮影することができます。お城からは少し離れますが、坂本龍馬が泳いだという、鏡川の架橋からも遠望できるんですよ!
写真:浦賀 太一郎
地図を見る本丸御殿と天守は、高知城の数少ない有料区域。両方とも重要文化財で、江戸時代に建造されたものです。本丸御殿内(写真)は「書院造」という武家の格式を感じることができる様式を持ち、美しい「うちわけ波」の欄間や、実戦を見据えた「武者隠し」の構造など、現代では国内で2件しか残らない貴重な本丸御殿の姿を知ることができます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る本丸御殿と天守は廊下で繋がっており、板張りの床を歩くとギシッ!ギシッ!と板がたわむ音がします。ちょっと怖い気もしますが、200年以上も風雪に耐え抜いているお城の、歴史の音色は耳に心地よく響くことでしょう。最上階まで到達すれば、高欄から高知市街を一望することができます。江戸時代のお殿様になった気分で、その風景を眺めてみましょう。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る城内には、15件もの重要文化財建造物が存在しています。これは、姫路城(兵庫県)、松山城(愛媛県)に続く多さで、あの熊本城よりも多いんですよ!写真は、本丸の裏手にある黒鉄門。城の南側を守る重要な城門で、鉄板に黒漆を塗った、頑丈な鉄城門です。
実は黒鉄門両側の塀、右手の「黒鉄門東南矢狭間塀」も、左手に少し見える「黒鉄門西北矢狭間塀」も重要文化財に指定されているんですよ。本丸が完存しているという事は、城門も、塀も、蔵も、ほとんどの建造物が重要文化財である。ということなんです。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る城内には、山内氏が高知を治める前の、長宗我部氏による築城の痕跡を垣間見ることもできます。三の丸に埋まっていたのが、長宗我部氏時代の石垣で、山内氏の積んだ石垣よりも、全体的に小ぶりです。
長宗我部氏は、「四国の覇者」とまで言われ、戦国時代に名を馳せた武将の家系でしたが、高知城の前身である大高坂城下の形成が水害でうまく行かず、断念して桂浜近くの浦戸へ築城したという経緯があります。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る全国でも降水量の多いこの地域で、水害に耐えうるお城や城下町を作るのは、並大抵のことではありません。長宗我部氏も断念した高知築城を、山内氏は見事にやってのけ、江戸時代から現代に続く城下町を造り上げることに成功しました。高知城の排水に対する工夫を観ることができる遺構として、「石樋(いしどい)」があります。
石樋とは、写真の様に排水が直接石垣に当たり劣化しないように、石垣から突出している板状、または凹状の石で、石樋下部には敷石をして水受けとしています。このような排水設備は高知城内で16ヶ所確認されていますが、他の城郭ではなかなか見ることのできない、貴重な遺構です。
江戸時代のお城は、多くは天災や火災、戦災で消失してしまいましたが、今回紹介した高知城は、それらを見事に潜り抜けて、今私たちが暮らす現代に引き継がれた、非常に稀なお城です。高知へお出かけの際は、是非高知城に立ち寄って、現存天守や建造物を眺め、歴史の不思議を感じてみて下さい。
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(2024/3/29更新)
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