ポーランド・ワルシャワのユダヤ人博物館とゲットーの痕跡!

ポーランド・ワルシャワのユダヤ人博物館とゲットーの痕跡!

更新日:2017/07/24 08:43

澁澤 りべかのプロフィール写真 澁澤 りべか 西洋史ブロガー
ポーランドは中世以来、多くのユダヤ人が住んでいた国です。首都ワルシャワにはいまも、ゲットー(ユダヤ人居住区)の跡がそこここにのこり、2013年にはポーランドにおける、1000年にわたるユダヤ人の歴史をたどることのできる博物館もオープン!
2017年7月にはアメリカ・トランプ大統領の長女イバンカ補佐官が博物館前の記念碑に献花し祈りを捧げました。

トランプが行かなかったワルシャワゲットー蜂起記念碑

トランプが行かなかったワルシャワゲットー蜂起記念碑

写真:澁澤 りべか

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第二次世界大戦は1939年9月、ナチスドイツ軍が隣国ポーランドに侵攻したことからはじまりました。ポーランドはあっというまにドイツに占領されます。
大戦前、ワルシャワ市民の30パーセントはユダヤ人でした。戦争が始まると、ユダヤ人たちはゲットーと呼ばれる居住地区に閉じ込められます。ナチスがヨーロッパ各地に設けたゲットーの中でも、ワルシャワゲットーは約300ヘクタールの土地を3mの壁で囲い込み45万人以上を収容できる最大規模のものでした。そしてユダヤ人たちは次々にゲットーから強制収容所へと移送されていきました。

1943年4月19日、ゲットーのユダヤ人たちはナチスに対する武力闘争を開始します。しかしこの「ワルシャワゲットー蜂起」は1か月足らずで鎮圧されます。生き残った人々の多くも虐殺されました。

この事件を記憶にとどめ犠牲者を慰霊するのが、この「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」です。かつてのワルシャワゲットーの跡地に建てられています。
蜂起5周年の1948年に完成。中央の人物は蜂起を指導したモルデハイ・アニエレヴィッツです。

トランプが行かなかったワルシャワゲットー蜂起記念碑

写真:澁澤 りべか

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1970年12月7日、この「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」を訪れた西ドイツのブラント首相は、記念碑の前で突然ひざまづき、ナチスの罪を謝罪しました。首相の予定外の行動に関係者一同は大いに驚きました。
ブラント首相はこの年にポーランドと西ドイツの国交正常化条約に調印し、その功績で翌年ノーベル平和賞も受賞しています。

記念碑の隣にある「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」(次の段落で紹介)の西側に、このブラント首相がひざまづいた劇的な場面を記念したモニュメントがあります。
この場面の写真も大変有名ですので、ぜひヴィリー・ブラント首相を検索してみてください。

2017年7月、アメリカのトランプ大統領はワルシャワを訪問した際、長女のイバンカ報道官を「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」に赴かせ、自分は足を運びませんでした。これにより彼は、過去25年でここを訪れなかった唯一のアメリカ大統領となりました。
大統領が「行った」ことではなく「行かなかった」ことがニュースになる記念碑なのです。

「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」から少し北へ行ったところには、ゲットーからトレブリンカ収容所へ送られるユダヤ人が集められ、列車に乗せられた場所ウムシュラークプラッツがあり、やはり記念碑が建てられています。

1000年のユダヤ史を知る「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」

1000年のユダヤ史を知る「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」

写真:澁澤 りべか

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「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」のすぐ隣に、「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」通称「POLIN」があります。これは2013年に、ワルシャワゲットー蜂起70周年を記念して建てられました。「POLIN」とはヘブライ語(ユダヤ民族の言葉)でポーランドを意味すると同時に“ここで安らかに”という意味もあります。

中世から20世紀までの、1000年におよぶポーランドのユダヤ人の歴史が多様な資料やジオラマ、街並みの再現などによって解説されています。時代ごとに8つのマルチメディアギャラリーがあり、インタラクティブな展示を楽しみながら歴史を学べるユニークな博物館です。

ミュージアムショップには、ヘブライ語のアルファベットなどをあしらった、日本ではまず見かけない雑貨がたくさんあり、かわったお土産を買いたい人におすすめです。

ゲットーの片鱗を求めて

ゲットーの片鱗を求めて

写真:澁澤 りべか

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博物館から旧市街のバルバカンに向かって真っすぐ歩いていくと、ゲットーの境界であることを示す金属の文字が道路に埋め込まれているのを見ることができます。
ここまでがゲットー。これより向こうはアーリア人地域ということです。

ゲットーの片鱗を求めて

写真:澁澤 りべか

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地下鉄のロンド・オンズ駅から南へ少し歩いた「55シェンナ・ストリート」には、ゲットーの壁の一部がいまも残っています。マンションの中庭のようなところにあるので、とても分かりにくいのですが、近くの住民に聞けば親切に教えてくれます。

ゲットーの片鱗を求めて

写真:澁澤 りべか

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地下鉄スウェトクルツィスカ駅に近いプルジナ通りは、ワルシャワゲットーの中で唯一破壊を免れた通りです。4つの建物が当時の状態のまま保存されており、そのうちの一つがこの建物です。

いかがでしたか?

ヨーロッパ最大規模のゲットーがあったワルシャワ。
ショパンの街という明るいイメージの陰に、ユダヤ人迫害の歴史が刻まれています。第二次大戦や、ホロコーストに関心のある方には、ぜひ足を運んでもらいたい、レアなスポットを紹介しました。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/18 訪問

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