通年公開でいつでも行ける!雅の別世界「京都御所」へ

通年公開でいつでも行ける!雅の別世界「京都御所」へ

更新日:2017/07/19 12:14

吉川 なおのプロフィール写真 吉川 なお 台湾在住ライター、元旅行会社勤務の旅行マニア
京都洛中にある京都御苑の一角にたたずむ「京都御所」は、平安時代から明治時代まで歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所です。王朝文化を今に伝える優雅な御殿は、2016年7月から一般開放され、事前予約の必要もなく誰でも気軽に訪問できるようになりました。

一歩足を踏み入れると、そこは雅の雰囲気漂う別世界。日本の歴史とともに時を重ねてきた京都御所の主な見どころをご紹介します。

歴史の舞台となった由緒ある御殿

歴史の舞台となった由緒ある御殿

写真:吉川 なお

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古くは内裏(だいり)と呼ばれていた京都御所は、794年に桓武天皇による平安京遷都に伴って建造された天皇の御殿です。たびたび火災にあったため、現在は創建当初の場所から約2キロ東に移り、築地塀に囲まれた南北450メートル、東西290メートルの敷地の中に1855年に再建された建物がたたずんでいます。

当初の敷地は現在の半分以下でしたが、豊臣秀吉や徳川幕府によって9度にわたり造営が行われ、細部は江戸様式、規模や配置は1790年に復元された平安時代の姿を踏襲しており、古来の内裏の形態を今日に伝える貴重な文化財となっています。

日本史においても古来から渦中に位置し、南北朝の北朝初代、光厳天皇が1331年に即位してから明治天皇が東京に行幸された1869年までの538年間御座所が置かれ、幕末にはここで「王政復古の大号令」や「五箇条の御誓文」が発布されました。まさに歴史の舞台となった場所で、現在は宮内庁京都事務所によって管理されています。

歴史の舞台となった由緒ある御殿

写真:吉川 なお

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御所の見学は、以前は春と秋の指定参観日とはがきによる事前申込みのみでしたが、2016年7月から1年中自由に参観できるようになりました。

月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(12月28日から1月4日)、公式行事の際は休止となりますが、無料で土曜、日曜、祝日も入場でき、参観ルートでは写真撮影もOKです。

4月〜8月は9:00〜17:00(入場は16:20まで)、9月と3月は9:00〜16:30(入場は15:50まで)、10月〜2月は9:00〜16:00(入場は15:20まで)で、9:30、10:30、13:30、14:30に約50分間のガイドツアーが実施されています。予約は不要で、その時間前に参観者休憩所に集合すると、職員による詳しい解説を聞きながら回ることができます。

見学は参観ルートに沿って

見学は参観ルートに沿って

写真:吉川 なお

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参観出入り口は西側の清所門。電車なら地下鉄烏丸線今出川駅6番出口、バスなら烏丸今出川のバス停から共に徒歩約8分ほどで、そこで手荷物検査を受けて入場します。

まず見えてくるのは「御車寄(おくるまよせ)」。公卿などの高位者が天皇との謁見の際に利用した門で、主要な建物と廊下でつながっています。

見学は参観ルートに沿って

写真:吉川 なお

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その先にあるのは参内者の控え部屋「諸大夫の間(しょだいぶのま)」で、ふすまの絵に因み、右から「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と呼ばれる部屋が3室並んでいます。右に行くほど格が高く、虎の間、鶴の間を利用する者は正式な玄関である「御車寄」から、桜の間を利用する者は建物の左にある沓脱石からと身分に応じて使用する部屋や入室方法が定められていました。

かつての内裏の正殿「紫宸殿」と日常生活の場「清涼殿」

かつての内裏の正殿「紫宸殿」と日常生活の場「清涼殿」

写真:吉川 なお

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「紫宸殿(ししんでん)」は平安時代の寝殿造を基調とした入母屋造、檜皮葺きの屋根を持つ高床式建築で、御所内で最も格式の高い正殿です。明治、大正、昭和天皇の即位式など重要な公的儀式が執り行われ、明治政府の基本方針を示した「五箇条の御誓文」はこの場所から発布されました。

中央には天皇の御座「高御座(たかみくら)」と皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれており、現天皇の即位の際は東京の皇居に運ばれて使用されました。

正面の18段の階段脇には左近の桜、右近の橘が配され、回廊に囲まれた前面の庭には白砂が敷き詰められています。

かつての内裏の正殿「紫宸殿」と日常生活の場「清涼殿」

写真:吉川 なお

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「清涼殿(せいりょうでん)」は、平安時代中期から1590年に御常御殿にお住まいが移るまで、天皇の日常生活の場として使用された御殿です。紫宸殿と同様、寝殿造を基調としており、向かって右側には天皇がご休息に使われた「御帳台」があります。その前に敷かれた畳は「昼御座(ひのおまし)」といい、昼間お使いになられた御座所です。

日本史の舞台「小御所」「御学問所」

日本史の舞台「小御所」「御学問所」

写真:吉川 なお

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紫宸殿の東北にある「小御所(こごしょ)」は天皇が武家と謁見した場で、寝殿造と書院造の建築様式が混合した建物です。

大政奉還を宣言した徳川幕府の15代将軍、慶喜の処遇を定めた「小御所会議」が開かれた場所として知られていますが、この時の建物は昭和29年に焼失し、いま見られるものは昭和33年に復元されたものです。

日本史の舞台「小御所」「御学問所」

写真:吉川 なお

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清涼殿から独立した「御学問所(おがくもんじょ)」は6室からなる総畳敷きの建物で、歌会など学芸に関する行事が行われていました。

1868年12月9日、幕府を廃止し新政権の樹立と天皇親政をうたった「王政復古の大号令」が明治天皇によって発せられ、それに異を唱えた新政府軍と旧幕府勢力が戊辰戦争へと突き進んでいきます。

小御所と御学問所の間にある庭は「蹴鞠(けまり)の庭」。平安時代から親しまれてきた競技ですが、織田信長が相撲を奨励したことからすたれていったといわれています。

緑豊かな「御池庭」と最も大きい「御常御殿」

緑豊かな「御池庭」と最も大きい「御常御殿」

写真:吉川 なお

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小御所と御学問所の前に広がる「御池庭(おいけにわ)」は、大きな池がある回遊式庭園で、池の中に3つの中島があり、木橋2基、石橋3基が架けられています。対岸には樹木が茂り、春夏秋冬四季折々の景色が楽しめる御所のオアシスです。

緑豊かな「御池庭」と最も大きい「御常御殿」

写真:吉川 なお

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「御常御殿(おつねごてん)」は、室町時代以降、天皇のお住いとなった御殿です。三種の神器のうち剣と勾玉が置かれていた「剣璽(けんじ)の間」、天皇がお休みなられた「御寝(ぎょしん)の間」など15室あり、日本の四季の風景や花鳥を題材とした障壁画で彩られています。

古都の中心にある特別な空間

京都御所は現代の私たちの生活とは全くかけ離れた異次元の世界で、そこで目にするのは歴史の教科書で学んだ古の日本です。

近くには仙洞御所、大宮御所、京都迎賓館などの皇室関連施設や公家の九条家の別邸「拾翠亭」、幕末の禁門の変の激戦地となった「蛤御門」、源氏物語を書いた紫式部の邸宅跡に建つ「廬山寺」などもあり、まさに京都千年の歴史が詰まった場所といえるでしょう。

ハードルが下がって行きやすくなった京都御所を訪れて、あなたも雅の世界にタイムスリップし歴史を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/27 訪問

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