写真:肥後 球磨門
地図を見る外海(そとめ)歴史民族資料館は、出津(しつ)教会やド・ロ神父資料館など複数の文化財が残る「出津文化村」の一角にあり、長崎市内から国道202号線を佐世保方面へ約30分で到着します。長崎自動車道からは長崎多良見ICから長崎バイパス川平道路を経由して、県道28号から国道202号を利用しおよそ15kmの距離です。
外海地区の長い歴史や先人達の暮らしぶりを伝える民族資料館の一階には、昔使われていた漁具やさまざまな農具の展示、機織などの家内作業の道具や生活道具が展示されています。
二階には、マリア観音などの潜伏キリシタンに関する資料が数多く展示されているだけでなく、外海地区にあるその他のキリシタン関連施設などが映像で紹介されているので、まず最初にここを訪れてみることをおススメします。
写真:肥後 球磨門
地図を見る資料館から歩いておよそ5分で出津教会に到着します。出津教会は、1882年(明治15年)にフランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父の設計施工で建てられた木造平屋建ての教会で、外国人神父の設計による希少な初期教会として、2011年(平成23年)に国の重要文化財に指定されました。
屋根の高さが低く設計されているのですが、これは台風の被害を避けるために考えられたものです。内部は、大抵の教会で見られるステンドグラスが無いせいか、全体に簡素な雰囲気。床材の傷や擦れた跡なども当時のまま残っていて歴史の深さを感じます。現在は礼拝のための机や椅子が並べられていますが、昔は木の床にじかに正座してお祈りをしていたのだとか。
写真:肥後 球磨門
地図を見るレンガ壁の上に漆喰を塗った清楚な佇まいの白い教会を訪れ、ド・ロ神父と当時の信者の交流について思い巡らせてはいかがでしょうか。なお、教会は日曜日の早朝に礼拝が行われ、日曜日に来られない信者のために土曜日の夜も礼拝が行われています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る出津教会堂からド・ロ神父が毎日歩いたという「歴史の道」があり、その道を進むと「ド・ロ神父記念館」にたどり着きます。記念館になっている建物は、1885年(明治18年)にいわし網工場としてド・ロ神父が設計、施工したものです。
写真:肥後 球磨門
地図を見る記念館の前に立つド・ロ神父の像。1879年(明治12年)、外海地方の主任司祭として赴任してきたド・ロ神父は、外海の人々の生活向上に生涯をささげた人物で、この記念館に展示されたさまざまな資料からド・ロ神父の熱意が伝わってきます。
写真:肥後 球磨門
地図を見る室内にはキリシタン暦や祭服、燭台などの宗教関連のものや洋式作業着、そして土木建築や医療など、外海で神父が行った事業に関するものがたくさん展示されています。
神父はフランスの貴族の出身で土木建築や農業などの知識はもともと持っていなかったのですが、日本に来て猛勉強をして技術を身につけ外海の人のために尽力したそうです。この場所を訪れド・ロ神父の偉業に触れてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見るド・ロ神父は生活に困った住民を救うため教育や授産事業を行う拠点として、1883年(明治16年)授産場と修道院が一緒になった「出津救助院」を設立しました。写真は救助院にある日本最初のマカロニ工場で、ここでマカロニを製造し長崎の外国人居留地に運んでいたそうです。
マカロニのほかに落花生の油を使ったそうめんも製造していて、現在も当時と同じ製法で作られています。「ド・ロ様そうめん」として「道の駅夕陽が丘そとめ」のレストランで味わうことができるので、旅の思い出にいかがでしょうか。道の駅は出津文化村から車で数分のところにあります。
潜伏キリシタンが数多くいると知ったド・ロ神父は日本に渡る事を熱望していました。そんな折、日本で印刷技術者の募集があると聞きすぐに応募。晴れて採用になるのですが印刷技術の経験がなかったのでそれから猛勉強をして技術を身につけたそうです。
貴族出身で土木業も農業も全く経験がなかったにもかかわらず、外海の住民のために汗水垂らして共に働き、生涯一度も故国に帰ることなくこの地で一生を終えたド・ロ神父。出津文化村を訪れてド・ロ神父の遺徳に触れてみてはいかがでしょうか。
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(2024/5/2更新)
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