北海道初の「日本遺産」認定!江差追分の流れる港町「江差」古民家めぐり

北海道初の「日本遺産」認定!江差追分の流れる港町「江差」古民家めぐり

更新日:2017/07/11 16:43

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
北海道・江差町はかつて北前船の往来やニシン漁で栄えた道内最古の港町です。その最盛期には人口は約5万人を超え「江差の五月は江戸にもない」と江差追分にも歌われるほどでした。2017年には江差町が申請していた「江差の五月は江戸にもない―ニシンの繁栄が息づく町―」というタイトルのストーリーが北海道初の「日本遺産」に認定されました。今に残るニシン御殿などの古民家を訪ねて昔の江差の繁栄ぶりを偲んでみませんか?

江差いにしえ街道を歩いてみよう

江差いにしえ街道を歩いてみよう

写真:モノホシ ダン

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「江差いにしえ街道」はかつて隆盛を極めた建造物、ニシン御殿や問屋蔵、町屋などが海岸線沿いの下町に数多く残されている約1キロの街道です。もとは旧国道で一方通行の狭い道だったのですが、対面通行ができるように道幅を広げ、電柱を地中化してレトロな昔の町並みを再現しました。情緒あふれる個性的な町並みに生まれ変わった「いにしえ街道」を、ゆっくりと散策してみましょう。

江差いにしえ街道を歩いてみよう

写真:モノホシ ダン

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江差いにしえ街道を歩いていると、のんびりとしすぎていて、なにか時間が止まったような不思議な感覚を体験できます。写真の「茶房せき川」は、いにしえ街道にオープンした初の喫茶店。大正時代の酒屋「関川商店」をリノベーションしたもので、軒下には「北の誉」「千歳鶴」といった酒の銘柄を彫りこんだ重厚な看板が残されています。

江差いにしえ街道を歩いてみよう

写真:モノホシ ダン

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約1キロの「江差いにしえ街道」は、折居社エリア、姥神大神宮エリア、中村家エリア、東別院エリアの4つのエリアに分かれています。そのうち中心となるのが「姥神大神宮エリア」と「中村家エリア」です。

写真は1845年に町民の拠金により作られた「江差町会所会館」で、そののち1993年11月まで江差町役場本庁舎として使用されていました。江差町民による自治行政を象徴する歴史的建造物です。現在は無料休憩所になっているので、ぜひ中をのぞいてみましょう。

江差のニシン御殿「横山家」

江差のニシン御殿「横山家」

写真:モノホシ ダン

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江差のニシン御殿といわれるのが、姥神大神宮エリアにある写真の「横山家」です。現在の建物は今から約160年前に建てられたもので、ウナギの寝床形式の外観をしていて、ニシン漁が栄えた際の網元建築として北海道の文化財の指定を受けています。横山家は現在まで約200年以上続いている旧家で、いまは8代目の方が暮らしています。ここの座敷では江差名物の「にしんそば」がいただけます。

江差のニシン御殿「横山家」

写真:モノホシ ダン

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昔の江差は非常に火事が多く、屋内には防火用のわらじ、ポンプ、バケツなどが残されています。写真は家紋入りの桐製の「背負い金庫」で、火事の際にお金を持って逃げるためのものです。

江差のニシン御殿「横山家」

写真:モノホシ ダン

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横山家の建物は入り口から帳場、居間、一番蔵、二番蔵、三番蔵、四番蔵、そして海へとつづく「はねだし」という建物がありました。横山家では明神丸という北前船を持っていて、小船を使ってこの「はねだし」から荷物を積み下ろしする仕組みになっていました。

連続する蔵の間には、火災が起きても類焼しないようにわざと隙間が作られており「のざや」と呼ばれる一続きの屋根が隙間を覆っていて、風雪から守っています。

旧中村家住宅も見逃せない

旧中村家住宅も見逃せない

写真:モノホシ ダン

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横山家から徒歩5分ほどの「中村家エリア」の中心となっているのが旧中村家です。建物は、江戸時代に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたもので、大正時代の初めに中村家が譲り受けたものです。1971年に国の重要文化財に指定されています。

旧中村家住宅も見逃せない

写真:モノホシ ダン

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旧中村家住宅の建物は、正面が二階建ての総ヒバ切妻造りの母屋で、海側に向けて文庫蔵、下ノ蔵、はねだしと続いています。写真は海へと続く「はねだし」の階段です。

江差追分を楽しむならココ

江差追分を楽しむならココ

写真:モノホシ ダン

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ソーラン節とともに北海道を代表する民謡の「江差追分」の実演が楽しめるのが、江差いにしえ街道の浜側にある「江差追分会館」です。江差追分のルーツは信州の馬子唄といわれ、今から約200年ほど前に北前船によって江差に運ばれてきたといわれています。

その歌詞のなかの「江差の五月は江戸にもない」というのは、ニシンが産卵のため春になると大挙して沿岸に押し寄せる群来(くき)という現象をさしたものであり、そこに網を入れてニシンを捕っていました。ニシン漁は豊漁と不漁を繰り返す波の多い漁業で、江差では大正時代の1913年を最後にニシンの回遊がまったく見られなくなり、ニシンの前浜漁業は終わりを告げました。

しかし、江差では漁業関係者たちが約8年前から資源回復を目指し、ニシンの稚魚を放流し続けてきた結果、2017年2月28日にじつに104年ぶりにニシンの産卵活動で海が白く濁る群来が発生し、海藻についた卵も確認されました。「江差に再び春を告げるきっかけになればいい」と地元の漁師さんたちはそう願っています。

開陽丸青少年センターといっしょに訪れたい

いかがでしたか。江差いにしえ街道は歴史の香り漂う町並みです。今回はご紹介できませんでしたが、ほかにも江差の発展に尽力した松前藩随一の豪商といわれた「旧関川家別荘」や江差の沖合いに地続きで浮かぶ風光明媚な「かもめ島」、江差の洋風建築で郷土資料館にもなっている「旧檜山爾志郡役所」などのみどころがあります。

さらに先にご紹介した旅行ガイド「北海道江差沖に眠る江戸幕府最強軍艦開陽丸で壮大な歴史ロマンに浸ろう」の「開陽丸青少年センター」とともに訪れるのもおすすめですよ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/10/13 訪問

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