光丸山法輪寺は公共交通機関を利用する場合は、JR宇都宮線の西那須野駅から東野バスで約35分のところにある「光丸山前」バス停から行くと近いです。光丸山へ向かう途中に立つ光丸山奥之院一の鳥居という看板が見えたら、ちょっと立ち止まってみましょう。御行川(岩川)という清流をまたいで立つ立派な鳥居が目に入るでしょう。でも鳥居って下をくぐるためにあるのにどうして川のど真ん中に立ってるのでしょうか?
それは信徒の儀式に深く関わっています。現在では行われていませんが、一昔前まで信徒は祭礼の前に、この川で斎戒沐浴してからこの鳥居をくぐって法輪寺の奥之院へと向かいました。
光丸山は、貞観二年(860)に比叡山延暦寺の円仁慈覚大師が関東に訪れた際、夢の中でのお告げによって創設したお寺だと伝えられます。先ほどみた鳥居に代表されるように、このお寺では古くからの神道と仏教の混淆が色濃く残されていて、毎年11月3日の大縁日の本祭では、お寺の祭礼としては珍しく神輿が天狗の格好をした人とともに佐良土の町を練り歩きます。
大日堂に隣接する天狗堂の中には、寄木造りとしては日本で最も大きい木製の天狗のお面が奉納されています。
高さ2.14メートル、幅1.5メートル、鼻の高さ1.3メートル、重さ1トンの大天狗面は、市の指定文化財にも指定されています。この大天狗面奉納の背景には地元の人々の素朴な信仰心があります。明治初期、この辺りの地域では火災や盗難などの災難が相次ぎました。人々はこれを天狗の仕業と信じて、明治十三年(1880)に天狗のお面を奉納することで鎮めようとしたそうです。今でも大切にされていて、これまでに二度、漆の塗り直しがされています。
杉並木の参道を抜けると現れるこの立派な山門は、寛元三年(1245)に後嵯峨天皇の勅令によって「山」「院」「寺号」の三額が朝廷から奉納されました。現存する額は霊雲法親王による直筆だそうで、とても由緒ある勅額門です。市指定文化財に指定されています。
勅額門をくぐると、右手に西行桜と呼ばれる樹齢800年の大木があります。出家後、日本中を旅して『山家集』などに多くの和歌を書き残した西行法師は、奥州行脚の途上ここ光丸山法輪寺にも立ち寄りました。西行法師は境内のシダレザクラに感動して「盛りには などか若葉は今とても こころひかるる糸桜かな」という歌を詠んだといいます。残念ながら現存するシダレザクラは西行が見た木そのものではなく、その樹のひこばえで二代目だそうですが、とちぎ名木100選に選ばれるなど現在も変わらない華麗な姿を見せてくれます。
栃木県大田原市光丸山法輪寺は、全国でも珍しい神仏習合が強く残るお寺として有名です。また地元の人々の素朴な思いが込められた大天狗面や西行法師にまつわる桜など、境内には見どころがたくさんあります!境内には森閑とした雰囲気が漂っていて、神社とも寺院とも違った独特の雰囲気を味わうことができます。
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(2024/4/19更新)
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