泉州の中心地の繁栄を伝える近代銀行建築群〜岸和田〜

泉州の中心地の繁栄を伝える近代銀行建築群〜岸和田〜

更新日:2017/07/04 14:34

岸和田は江戸期、岸和田藩5万3000石の城下町として整備されると綿糸・綿布の集散地として繁栄しました。これが近代にも引き継がれ、泉州紡績工業地帯の中心地として更なる繁栄を見ました。繊維産業を力に経済力を得て泉州の中心地にまで至ると、街には多くの銀行が進出しました。そして、大正・昭和期に建設された銀行が当時の薫りを残しながら現在も街の中で佇みます。今回はそんな岸和田の近代銀行建築群をご紹介します。

設計は辰野金吾?「旧四十三銀行岸和田支店」

設計は辰野金吾?「旧四十三銀行岸和田支店」
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南海岸和田駅から北西に約500メートル。大正8(1919)年に四十三銀行岸和田支店として建てられました。赤レンガと花崗岩で構成された2階建て。1階と2階の縦長の窓の間や軒下、パラペットに凝った装飾が施されているのも印象的です。コーナーに効かせられたカーブが建物に多少の軽やかさを与えていますが、全体的には重厚感ある姿です。

成協信用組合岸和田支店となっている現在も建築当時のまま活用されており、内部は柱が一本も無く、吊り構造によって天井が支えられているそうです。設計者は不明ですが、“辰野式”を思わせる作風からして東京駅などを手掛けたことで知られる辰野金吾ではないかという説もあります。

流行に乗ったスクラッチタイル「岸和田中央会館」

流行に乗ったスクラッチタイル「岸和田中央会館」
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旧四十三銀行岸和田支店から南北に走る紀州街道を北上するとまもなく見えてくるのが、この岸和田中央会館になります。昭和10(1925)年に岸和田貯蓄銀行として建てられた鉄筋コンクリート造1階建ての建物で、昭和30(1955)年頃から岸和田中央会館として使用されています。

特徴的なのはファサードの半円アーチとスクラッチタイル張りの外壁です。スクラッチタイルとは、櫛で引っ掻いたような溝の入った無釉タイルのことで、陰影を利用して重厚感を演出するのに役立ち、昭和初期に流行しました。この建物も昭和初期の竣工。岸和田にも近代建築の流行が及んでいたことを表しています。

タイル張りのファサード「旧和泉銀行本店」

タイル張りのファサード「旧和泉銀行本店」
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紀州街道をさらに北進すると、昭和8(1933)年に旧和泉銀行本店として建設され、阪南銀行、大阪銀行、住友銀行、岸和田信用金庫、泉州信用金庫、南大阪信用金庫、そして大阪信用金庫を最後に平成16(2004)年で銀行の役割を終えました。現在は3つの地元企業が当時の銀行の歴史意匠を尊重して補修を行い、国登録有形文化財に登録されています。

設計は関西を中心にオフィスビルを多く手掛けた渡辺節。鉄筋コンクリート造2階建て、吹き抜けの銀行建築です。外壁はクリーム色のタイル張りで、隅は蛇腹状に凹凸をつけた石積み風の意匠が施されています。正面中央のエントランスは半円アーチ型でアーチの周りをツイスト形の装飾で飾り、頂上にメダリオンを飾った特徴的なものです。内部も見学することができ、コリント式と思われるピラスターなども見られます。

村野藤吾の作品も「池田泉州銀行泉州営業部」

村野藤吾の作品も「池田泉州銀行泉州営業部」
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紀州街道から外れて、岸和田駅方面に向かうと、現在も池田泉州銀行泉州営業部として使用されている銀行建築があります。昭和34(1959)年に本店として建設されたものです。設計は日本でも著名な建築家である村野藤吾。外壁は花崗岩張り。シンプルながらも上部の角眼鏡のような形を連続させた窓がユニークなモダニズム建築です。

1階部分の味のある鉄の格子戸、泉州銀行本店のシンボルであったヒツジの像など細かな見どころも散見されます。

多彩な銀行建築がここに

4棟の銀行建築をご紹介しました。一般的に知られる銀行建築といえば、重厚感ある佇まいの2階建て吹き抜け構造を連想します。しかし、ここでは2階建てのみならず1階建てのものもあり、外壁においてはレンガ、タイル、石張りと実に多彩だったことが知れるのです。

泉州の中心地となった岸和田には、自泉会館、南海蛸地蔵駅など銀行以外にも魅力的な近代建築があります。こうしたものも併せながら、多彩な近代銀行建築群を探訪してみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/09 訪問

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