豊臣秀長の居城として名を馳せた!「郡山城跡」は奈良屈指の歴史的城跡スポット

豊臣秀長の居城として名を馳せた!「郡山城跡」は奈良屈指の歴史的城跡スポット

更新日:2017/06/25 18:32

金魚の一大産地として全国的に知られる奈良県大和郡山市。同市の中心部はかつて "郡山城" を中心とした一大城下町として繁栄し、「郡山城跡」はその遺構を今に残す貴重な史跡です。近年の発掘調査で明らかとなった "幻の天守" 、石垣に積まれた "転用石"など城郭遺構としての見どころを今回詳しくご紹介。お寺のイメージが強い奈良としては珍しい城郭にまつわる史跡ロマンの世界へ、あなたも足を踏み入れてみませんか。

大和国・郡山藩の中心として築かれた "郡山城"

大和国・郡山藩の中心として築かれた "郡山城"
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郡山城跡へは近鉄橿原線の近鉄郡山駅から北へ徒歩10分ほど。近鉄線の踏切を越えると、城跡のメインエリアへと入っていきます。

全国的な金魚の町として知られる大和郡山市の中心部は、この郡山城の城下町として発展しました。旧市街地となる地区には商工業の職業別を基本とした "箱本十三町" が定められ、現在も茶町・豆腐町・雑穀町・錦町など職業由来の町名が多く残ります。

大和国・郡山藩の中心として築かれた "郡山城"
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郡山城は織田信長の臣下であった武将・筒井順慶の郡山転封を契機として築城が始められました。筒井氏が病死した翌年の1585年には豊臣秀吉の実弟である豊臣秀長が大和・和泉・紀伊三ヵ国100万石余の大領主として入城。100万石の居城に相応しい城郭にするため、本格的な城の拡張整備を行いました。またこの際に奈良・堺の商人達を呼び込み、先述した箱本十三町の制度を定めるなど、郡山城下町の基盤を築きます。

関ヶ原の戦い以降は水野勝成、松平忠明、本多忠平など徳川の譜代大名が代わる代わる城主となり、1724年に第5代将軍・徳川綱吉の側用人として知られた柳澤吉保の嫡男・柳澤吉里が甲府から入城。郡山は柳澤家により幕末まで治世され、大和国・郡山藩の政治・経済の中心として繁栄しました。1873年に郡山城は破却され、本丸跡には柳澤吉保公を祀る「柳澤神社」が建てられています。道中には鳥居が設けられ、この先が神域となっていることが伺えます。

リニューアルされた天守台から、郡山・奈良の町並みを一望

リニューアルされた天守台から、郡山・奈良の町並みを一望
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柳澤神社の境内を奥(北)へと歩いていくと、城跡の中心である天守台が見えてきました。この天守台は近年まで石垣崩落の恐れから立ち入り禁止となっていましたが、2013年から4年の歳月をかけて修復。2017年3月から展望施設として一般公開されています。

利用時間は7時〜19時(4月から9月の間)で、春頃に開催されるお城まつりの際は夜間延長もされます。

リニューアルされた天守台から、郡山・奈良の町並みを一望
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頂上に設置された展望デッキからは、発掘調査にて出土した礎石などの実物遺構をガラス床を通して見ることができます。かつての郡山城天守に関しては絵図面はなく、豊臣時代の幾つかの文献に数行ほどしか記録されていないことから "幻の天守" と呼ばれていました。

しかし今回の礎石の発掘でその実在が確認され、出土品の中から織田・豊臣政権下の城の特徴である "金箔瓦" が見つかったことで、この天守台が豊臣政権下のものとして現存する希少なものということも新たにわかりました。

リニューアルされた天守台から、郡山・奈良の町並みを一望
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東向きに設置された展望デッキからは、手前の城址会館をはじめとした大和郡山の町並みが眼前に広がる見事な眺望を望めます。天気が良いと奥に若草山や東大寺大仏殿を見ることも。低い山々と奈良盆地がゆったりと広がる雄大な光景が、見る人の心を穏やかにさせてくれます。

数多くの石塔・石仏が積み上げられた "転用石"

数多くの石塔・石仏が積み上げられた "転用石"
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展望台から眺望を見渡したあとは、目線を下に向けて石垣を見てみましょう。自然石をそのまま積んだ "野面積み(のづらづみ)" が荒々しい雰囲気を見せていますが、本丸東側の底の部分に四角い小さな石材が密集しているのがわかります。この横幅20m、高さ2mにわたって集中している石材は全て石塔・石仏を利用した "転用石" で、これほどまでに集中して積まれた事例は全国的にも珍しいものです。

また、石垣全体でも転用石が700個以上使用されており、その種類・量も全国で一、二を争うとされています。

数多くの石塔・石仏が積み上げられた "転用石"
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その転用石群の中でも代表的なのが、天守台の北側石垣に積まれている "さかさ地蔵" です。逆三角形状の空洞の上部分に積まれている石が地蔵石で、中を覗(のぞ)くとお地蔵様の顔や胴体をハッキリと見ることができます。

これほどに大量の墓石や地蔵が石垣に埋もれているのには些(いささ)か霊的な雰囲気を感じてしまうものの、この転用石が郡山城の礎を長い年月にわたって支えていたことも事実です。石垣を見る際はぜひ転用石に注目してみてください。

城跡内に建つ柳沢文庫・城址会館にも立ち寄ってみよう

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城跡・天守台を見た後は、郡山・奈良の文化を感じる2つの施設にも足を運びましょう。本丸跡のすぐ東に建つ「柳沢文庫」は、郡山を治めた柳澤家歴代藩主の和歌・俳句や、藩政史料などの古文書・古典籍等を所蔵し、それらを年3回実施される展覧会にて広く公開する知のスポットです。(毎週月曜・第4火曜日は休館)

城跡内に建つ柳沢文庫・城址会館にも立ち寄ってみよう
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城跡の北東部に建つ「城址会館」は、かつて奈良公園内に1908年に建造された「(初代)奈良県立図書館」の本館部分を1968年に移築した建物。寺院建築に引けをとらない見事な木造意匠の外観とは逆に、内装は西洋風の意匠(擬洋風)で仕上げた近代レトロ建築で、奈良県指定文化財に指定されています。平日は学習教室が中で開かれているため入館はできませんが、土日祝は内部見学が可能です。

大和郡山へお越しの際は、城跡めぐりと金魚めぐりをセットで

発掘調査によって新たな発見があり、展望スポットとしての注目度を高めつつある「郡山城跡」は、大和郡山市を代表する史跡スポットです。加えてもう一つ同市を楽しむ上で忘れてはならないのは、日本屈指の生産量を誇る金魚。城郭(歴史)と金魚(産業)の2つのポイントを押さえて、大和郡山を余すことなく楽しみましょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/06/05 訪問

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