学問の神様・北野天満宮にきっちり参拝して“サクラサク”

学問の神様・北野天満宮にきっちり参拝して“サクラサク”

更新日:2014/01/28 15:50

御祭神・菅原道真公は誰もが知る"学問の神様"。全国に15000社におよぶ天神社・天満宮の中でも、ここ、京都の北野天満宮は平安時代から信仰篤く、福岡県の太宰府天満宮とともに総本宮として、天神信仰の中心であった。また、道真公の学力にあやかろうと、多くの受験生らが押し寄せることでも有名。今回はライバルに差をつける、お参りの方法を伝授しよう。

まずは天満宮の縁起とご祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)のことを知っておこう。

まずは天満宮の縁起とご祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)のことを知っておこう。
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そもそもなぜ菅原道真公が学問の神として祀られているのか、北野天満宮とは、どのような由緒があって創建されたのであろうか。

菅原道真公は、日本の平安時代の貴族であり学者・漢詩人でありながら忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて政治を支えた一人。その後醍醐天皇のときには右大臣に昇進するまでとなった。

しかし、菅原家は下級貴族であったがゆえに、本来はそのような高い地位にはつけない慣習であった。彼の異例の出世を妬んだ左大臣・藤原時平(ときひら)の策略にはまり、役職や官位をはく奪された上に太宰府へ左遷され、現地で没した。

そこに建てられたのが「太宰府天満宮」である。その後、まず道真をおとしいれた藤原時平が39歳で病死。醍醐天皇の皇太子・次いでその息子の皇太孫までもが次々に病死。さらに役人が一同に会しての会議の最中、御所の清涼殿が落雷を受けるなど、道真の左遷に関与したとされる者や、朝廷要人に多くの死傷者が出た。そして、ついには醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御された。

これら一連の災いを道真の祟りだと恐れた朝廷は、彼の罪を許すと共に官位を復活どころか正一位・太政大臣の位まで昇進させ、ここ北野天満宮を建立することで、彼の祟りを鎮めようとしたのが創建の由緒である。

参拝は常に清浄な身なりと心がけで。

参拝は常に清浄な身なりと心がけで。
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本来、日本における神社では自分の願いを叶えてもらおうとする所ではなく、人間の力をはるかに超越した存在とパワーを畏れ敬い、神からの恵みによって生かされていることへの感謝をするための場所である。小難しい事は言わないが、少しでも神さまのご機嫌を取りたいのならば、せめて参拝の前には手と口を清め、身だしなみを整えてから参拝に臨むようにしたい。

(1)まず柄杓を右手に持ち、最後まで使えるように水をたっぷり汲む。
(2)そのまま左手に水をかけて清める。
(3)柄杓を左手に持ち替え、右手を清める。
(4)再度、右手に柄杓を持ち替え左手に水を溜め、口を清める(飲まない)
(5)さらに口をつけてしまった左手を洗い清める。
(6)最後に自分が持っている柄杓を立てて、柄の部分を洗い清める。

そして、次の人のために伏せて置いておくのが礼儀。

たったこれだけのことでも、何気にサラリとやってのければ、それだけでもライバル達に一歩差をつけることができるというもの。

お参りの作法よりも大切な事。

お参りの作法よりも大切な事。
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さて、本殿の前にきたらいよいよお参りだ。

(1)元気よく鈴を鳴らし、心静かにお賽銭を入れる。
(2)気をつけの姿勢から、背筋をのばして深く二礼する。
(3)一度胸の前で両手を合わせてから、二回柏手(かしわで)を打つ。
(4)そのまま両手を合わせながら軽く頭を下げ、ご挨拶をする。
(5)最後に深く一礼して去る。

作法というと急に堅苦しくなるが、鈴を鳴らすタイミングやお賽銭の金額などは、書かれている本によっても違うし、神社によってもマチマチなので、さほど気にすることはない。

大切なのは、参拝のときに、いきなりお願い事をするのではなく、心静かに神様に対してご挨拶と感謝をするということ。その後で「自分の頑張りを見守っていて下さい!」とお願いしておくのが良い。

寒い時期には少々つらいかもしれないが、コートやマフラーも手袋も取るのが礼儀である。ガムを噛んだまま、帽子を被ったままなどは、論外だと覚えておいて欲しい。

三代続いて学問の神様だった。

三代続いて学問の神様だった。
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わずか5歳にして和歌を詠み、11歳の時に漢詩を作り、14歳で天才と賞賛され、31歳の時には当代一の学者として文章博士(もんじょうはかせ)に任ぜられるほどの学者であった。そして、後には文道の太祖、風月の本主と仰がれた。

文章博士とは、いかにも学問が出来そうな職業である。現在でいうなら、東京大学の文学部で、古代文学及び歴史学を教える名誉教授みたいなイメージだろうか…。とにかく、この役職についた人は、従五位下という位を授かり、貴族として認められるという、凄い職業なのである…。

しかも驚くことに、菅原家は文章博士を家業として、三代にわたって受け継いでいた家系であった。つまり祖父・菅原清公(きよきみ)と父・菅原是善(これよし)はともに大学頭・文章博士に任ぜられた学者の家系であり、学問の神一族といえる。

こちらは、本殿の背中合わせになる位置にあたり「御后三柱(ごこう の みはしら)」と呼ばれ、三柱(神さまを数える単位は柱)の神さまがお祀りされている。
その三柱の神さまというのが菅原家の祖先と云われる天穂日命(アメノホヒノミコト)と菅原清公卿と菅原是善卿なのだ。
あまり知られていないおかげか閑散としているので、静かにご挨拶ができるというもの。
本殿のお参りの後で、菅原家のご先祖さまの社であるこちらにも、お参りして頂くことをお勧めする。ご利益が倍増するかもしれない。

お守りは、常に肌身離さずに。

お守りは、常に肌身離さずに。
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お守りを買って帰る人もたくさんおられるが、机やタンスの引き出しなどへ、入れたままになってはいないだろうか。お守りは神様が宿る依代(よりしろ)となっており、神さまに来て頂く場所を確保したものなので、常に持ち歩くようにするのが望ましい。

北野天満宮の場合は、やはり入試や学力向上にご利益のありそうな、真っ白な「勧学守」が一番人気があるので、普段通学に使う制服や、カバンの内ポケットにでも入れておくのが良いだろう。
いつも身に着けていてこそ、"お守り"のパワーが発揮されるというものだ。

また、複数のお守りをいっしょに持つと"神さま同志がケンカをするから良くない"といったことがよく言われるが、実際のところ全くそういったことはない。そもそも立派な神さま同士がケンカをしたり、ましてやそれでご利益が無くなるなどあり得ないことなので、心配無用である。

ただし、お守りを放りっぱなしにしたり汚れたままだと、ご機嫌を損ねるかも知れないのでくれぐれも粗末には扱わないように。

合格されたらお礼参りも忘れずに。

菅原道真公は、文道にも秀でて弓の達人。まさに文武両道の類まれなる才能の持ち主であり、政治家としても庶民に寄り添い、誠実な政をおこない、清く正しい誠の人物として、人々は自然と敬い、親しみをもって神として祀るようになったのだと考えられる。

美しい神苑と、桃山建築の荘厳で神々しい社殿が、今日も参拝者の思いを受け止めて下さっているので、こちらも清く正しく、誠実にお参りして頂けたら、必ずや天神さまの御加護があることだろう。

無事に合格されたら、お礼参りも忘れずに。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/11/28 訪問

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