北信濃三大修験場・飯山「小菅の里」は戸隠に負けない修験の道

北信濃三大修験場・飯山「小菅の里」は戸隠に負けない修験の道

更新日:2017/07/27 13:01

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
北信濃三大修験場に数えられ、戸隠・飯綱とともに興隆の歴史を持つ「小菅の里」は、川中島の戦災に何度も見舞われながらも里の人々によってひっそりと守られ、国の重要文化的景観に指定されてます。天然記念物で樹齢300年の杉並木が続く参道は600mにもおよび、その先には小菅山中腹の岩壁を背に立つ小菅神社奥社が鎮座します。戸隠奥社参道の杉並木に負けない「神の森」とも呼ばれる静寂な杉並木を是非体感してください。

国の重要文化的景観指定の「小菅の里」

国の重要文化的景観指定の「小菅の里」

写真:和山 光一

地図を見る

飯山駅から北へ車で20分ほど、千曲川から少し東に位置する飯山の中心市街地から少し離れたのどかな集落が「小菅の里」です。三方を山に囲まれたこの里は、白鳳8年(680)に修行者の開祖・役小角が小菅山を開山したのが始まりとされ、その130年あまり後の大同年中(806〜810年)に小菅山元隆寺が創建されました。戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として繁栄し、最盛期には37もの宿坊が並び、ここでかつて300人を超える僧侶らが修験に励んでたというのが今ではちょっと信じ難いものがあります。

路線バス野沢線・関沢バス停の近く「二の鳥居」から小菅修験の道をスタートしましょう。

国の重要文化的景観指定の「小菅の里」

写真:和山 光一

地図を見る

二の鳥居から歩くこと1kmで「仁王門」に着きます。もともとは仁王尊堂とも呼ばれ、17世紀後半に元隆寺の西大門として建てられました。堂宇左右には仏法を守る強大な力を持つ伽藍守護の神として知られる一対の半裸形の金剛力士像が安置されています。道路改良に伴い、左右両側に道路が造られるまではこの門が小菅の入口で、街道はこの門をくぐりぬけてから右と左に分かれていました。

国の重要文化的景観指定の「小菅の里」

写真:和山 光一

地図を見る

中近世には現在の参道(カイド)から妙高山(写真奥)に向かう軸に、それぞれ修験霊場が構成されていました。かつて栄えた賑わいをもう見ることはできませんが、集落には院坊が並んだ石垣と平場による地割が今もその姿をとどめ、特徴的な風景をつくりだしています。

参道(カイド)沿いに残る中世の遺構

参道(カイド)沿いに残る中世の遺構

写真:和山 光一

地図を見る

仁王門から650m、参道の左側にある小菅里宮の鳥居をくぐります。石段を上った先に神楽殿(拝殿)、右手に神輿殿、左手に神馬殿が建っていて、奥に「小菅神社里社本殿」があります。かつては八所大権現里宮と呼ばれており、万治3年(1660)、飯山城主・松平忠俱が改修したという記録があります。

石段の傍らには柿本人麻呂が詠んだ“浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰故わが恋なくに”の万葉歌碑が建ちます。都人にその美しさを「浅葉野」と呼び称えられたのが小菅山なのです。

参道(カイド)沿いに残る中世の遺構

写真:和山 光一

地図を見る

里宮に隣接する大きな寺院風の建物は、かつて元隆寺中之院に属していて僧侶たちが学問する「講堂」として建てられました。付近には、南大門、中門、金堂など堂坊が建っていましたが戦国時代の武田氏の侵攻でほとんど焼失しました。現在の講堂は元禄10年(1697)に飯山城主松平忠喬が修復したとの記録が残ってます。内部に安置されている阿弥陀如来像は享保17年(1732)京都の大仏師奥田杢之丞の作で見応えがあります。車で来た時には講堂の広い前庭に停めることができますよ。

参道(カイド)沿いに残る中世の遺構

写真:和山 光一

地図を見る

さらに坂道を150m上ると、かつては小菅神社の別当寺である小菅山元隆寺大聖院の一坊・桜本坊だった「菩提院」があります。川中島の戦いの兵火により焼失しましたが上杉氏により再建、享保年間に法印俊栄によって中興開基されたといい、真言宗豊山派の寺院で大日如来を本尊としています。

北信濃三大修験場「小菅神社奥社」への参道を歩く

北信濃三大修験場「小菅神社奥社」への参道を歩く

写真:和山 光一

地図を見る

仁王門から歩くこと1kmで三の鳥居に到着します。ここからいよいよ小菅神社奥社本殿まで1.2km、約1時間かけて標高差約310mを登っていきます。そのまえに小菅山元隆寺の別当職であった大聖院跡に立ち寄っていきましょう。明治2年(1869)に廃絶となり、昭和に建物も全て取り壊された跡地には、高さ3.68m長さ66mもある見事な石垣が残っています。「大聖院石垣」と呼ばれ、大きな石を使った梅鉢積みが往時の隆盛を彷彿させてくれます。

北信濃三大修験場「小菅神社奥社」への参道を歩く

写真:和山 光一

地図を見る

三の鳥居から約600m、樹齢300年と言われる180本もの杉の大木が並木を作っています。杉並木の参道は木の根と石が階段のように折り重なり、修験の地と呼ぶにふさわしい荘厳な空気が漂っています。弘法大師や幾多の修験者が通った古えの道はひんやりとした空気に包まれています。

三の鳥居から50m程入って二人で写真を撮れば、映画「阿弥陀堂だより」のワンシーンそのものですよ。(寺尾聡と樋口可南子になったつもりでいかかですか)

北信濃三大修験場「小菅神社奥社」への参道を歩く

写真:和山 光一

地図を見る

小菅山(標高1047m)の山腹(標高900m)に建つ奥社は、52.8uの懸造りの入母屋で国の重要文化財に指定されています。白鳳8年(680)修行道の開祖・役小角が岩窟の中に八所権現を祀る宮殿を建てたのが始まりで、現在の建物は天文年間(1550年頃)に建てられたものであり北面に岩窟を背負って建てられているため、西側の階段から社殿に上るようになっています。

上杉謙信が川中島出兵の折、必勝祈願の願文を捧げていますよ。

伝説とロマンに満ちた奇岩が連続する「小菅修験の道」

伝説とロマンに満ちた奇岩が連続する「小菅修験の道」

写真:和山 光一

地図を見る

奥社までの参道沿いには、伝説とロマンに満ちた奇岩が連続して現れ楽しませてくれます。三の鳥居から200mにある旧観音堂跡のすぐ近くにあるのが「鐙石」。岩の側面に鐙型のくぼみがあることから呼ばれています。

さらに約250mのところにあるのが、川中島合戦の際、上杉謙信が追手から隠れたとされる写真の「隠れ石」です。武田信玄は小菅の里まで追ってきたのですが、山鳴りと共に突然大岩が崩れ落ち、大木が倒れて来たため、小菅権現の神威に恐れをなして、逃げ帰ったと言われています。

伝説とロマンに満ちた奇岩が連続する「小菅修験の道」

写真:和山 光一

地図を見る

さらに50m歩くと弘法大師が参拝の折に座ったという「御座石」があります。小さなくぼみは、大師が持っていた杖の先がめり込んだものと言われています。このあたりからいよいよ溶岩性の岩石が露出する急峻な登山道になりますよ。

ちょうど行程の半分を過ぎたところに大海の浪頭に船が浮かんでいるようだと言われた「船石」があり、また250m進むと大きな岩壁が現れます。「愛染岩」と呼ばれる岩の下に恋愛成就の願いを叶える愛染明王が祀られている祠が佇んでいます。

伝説とロマンに満ちた奇岩が連続する「小菅修験の道」

写真:和山 光一

地図を見る

奥社本殿まで100m程のところで道が「探勝コース(初心者)」と「参道(岩場あり)」の二手にわかれ、参道を進むと写真の鏡のように平らな「鏡石」があります。その先には鎖場があり、4mほどの絶壁ですがしっかり掴んで足場を確保しながら登ってください。

登りきると戦国時代越後の上杉氏がここで千灯を献じたという「築根岩」があり、更に女人禁制を破った者が石になったという「比丘尼岩」がころがる最後の急な坂をひと登りすれば奥社手前の社殿小屋に到着です。

浅葉野の里に佇む茶処「浅葉野庵」で一息はいかが

浅葉野の里に佇む茶処「浅葉野庵」で一息はいかが

写真:和山 光一

地図を見る

万葉集にも詠まれたほど美しい自然が息づく風光明媚な場所が、小菅山の浅葉野の里です。“浅葉野”とは平安時代、宮廷の和歌に多く歌われた枕詞で、美しい里を指す言葉だといわれています。そんな浅葉野の里、小菅神社奥社への参道入口に佇むのが「浅葉野庵」です。

まず迎えてくれる京都のような木々に囲まれた趣のある門をくぐります。玄関までの小径に植えられたたくさんの緑や山野草を眺めながら店内入ります。

浅葉野の里に佇む茶処「浅葉野庵」で一息はいかが

写真:和山 光一

地図を見る

大きな窓ガラスを配した店内は、自然の光が差し込み、室内のどこからの席からも庭の緑あふれる景色を眺めることができます。晴れた日にはぜひ庭の緋毛繊が敷かれた縁台で、山野草を眺めながら、お茶をいただきたいものです。

浅葉野の里に佇む茶処「浅葉野庵」で一息はいかが

写真:和山 光一

地図を見る

写真は『ざるそばとおこわ(1100円)』で、喉越しの良いおそばに笹の葉にのったもちっとしたおこわがセットになっています。信州らしい手打ちそばやおやきのほか、歩き疲れた身体を休めるあんみつや抹茶セットなど喫茶メニューも充実しています。

ゆっくりと時間の流れる茶処は、癒しのおすすめスポットです。

現代の小菅修験の道は森林セラピーロード

小菅神社の結界地は、大倉沢口(現在の国道117号大関橋西交差点で一の鳥居跡)、関沢口(二の鳥居)、前坂口(北竜湖北)、神戸(ゴウド)口の4カ所で、それぞれ鳥居が設けられ神域への入口となっていました。今回紹介した関沢口からは奥社までは片道3.2q、約2時間の行程で、車で講堂まで乗り入れれば奥社まで片道1,5q、約1時間半になります。

健脚な方は、多くの修験者が歩いた神戸口から風切峠を越えて小菅の里に向かい「小菅神社奥社」を目指しましょう。神戸口のスタート地点は、神戸の大イチョウです。幹周り14m、樹高31m、県下有数の巨木で樹齢千数百年と言われています。ここから小菅の里・講堂まで1.6kmです。

さらに元気な方は奥社から小菅山頂まで1km登るか、500mほど登って途中北竜湖を目指す3.5kmの小菅山自然探勝歩道(セラピーロード)を走破するのも醍醐味ですよ。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/06/11−2017/07/09 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -