写真:浦賀 太一郎
地図を見る幕末から明治維新という激動の時代、多くの傑出した人物が登場しましたが、その中でもひときわ異彩を放っているのが、かの三菱グループの創始者・岩崎弥太郎(時に彌太郎とも)です。弥太郎は、幕末志士たちが「尊王攘夷」や「倒幕、佐幕」で争っているのを横目に、外国との通商や、土佐藩(今の高知県)の物産販売などでメキメキと商才を発揮していきます。
前後左右を田んぼと畑に囲まれた、車一台通るのがやっとの道の先に、岩崎弥太郎生家はあります。広めの駐車場が完備され、「岩崎彌太郎先生像(写真)」がお出迎えしてくれます。岩崎弥太郎生家は、現在も岩崎家の所有ですが、無料開放されており、自由に見学することができます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る生家敷地内には、弥太郎に関する遺構を多く観ることができます。少年期に大志を抱き、「日本列島は我が庭の内にあり!」と言って自ら組んだ、日本列島の形を模した庭園の石組みが残り、岩崎家の土蔵に保存されていたという「龍吐水」という消化ポンプ車(下の写真)が修復・展示されています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る他にも、「岩崎弥太郎生誕之地」の記念碑や、土佐藩主山内家の三ツ柏の家紋と、岩崎家の「三階菱」の家紋を掛け合わせて考案された「スリーダイヤ」が土蔵の壁面に掲げられています。スリーダイヤ。そう、あのあまりにも有名な、三菱グループのエンブレムです!
明治新政府が発足し、近代化の道を突き進む日本の経済を支えたのが、岩崎弥太郎が創設した三菱グループと言っても過言ではありません。頭角を現した弥太郎は、海運業を支配していた外国資本を次々に破り、事業も海運にとどまらず破竹の勢いで飛躍していきます。やがて弥太郎は「東洋一の海上王」と呼ばれ、恐れられるようになったのです。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る駐車場から弥太郎生家までは数十秒の距離ですが、その間にはボランティアガイドの詰所や、オシャレなカフェが営業しています。「まる弥カフェ」は、木目を基調としたシックな内装で、バーカウンター(写真)や店先のチェアーで、オリジナルのスイーツやコーヒーを頂くことができます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るドリップコーヒー(写真左)や、黒糖ジンジャーミルク(写真右)はホットorアイス。柚子ソーダやキリンビールも楽しめます。「こころざしの道ケーキセット」は、日本茶かコーヒーを選べ、控えめプライスが嬉しい、お得感大のおすすめメニュー!
他にも、「ふりかけるチーズみたいな酒粕」、「実生手搾り柚子」、「土佐の十二傑カップオンコーヒー」などなど、まる弥カフェオリジナルの魅力的なお土産も揃っています。オンラインショッピングで通販もできますよ!
写真:浦賀 太一郎
地図を見る安芸市は、安芸川と伊尾木川が形成した、扇状地が作り出した安芸平野という小さな平野に佇む町。小さな平野と言っても、周囲の山々は田園の先に遠く連なり、空の広さを十分に実感できる、のびのびとした平野です。岩崎弥太郎生家のほかにも、安芸市には歴史を感じさせる遺構が多く残っているので、ぜひ立ち寄ってみましょう。
野良時計(写真)は、弥太郎生家から車で5分ほど。まだ家ごとに時計を持てなかった明治の中頃、土地の地主が自ら手作りで組み立てた時計台で、安芸市のシンボルとして今も多くの人々に親しまれています。個人の住居でもあるので内部は公開していませんが、駐車場もあるので気軽に立ち寄ることのできるスポットになっています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るまた、野良時計からすぐの所、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「土居廓中」は、土用竹の生垣が美しい武家の町並みが残ります。
戦国時代の城「安芸城跡」には、城を包囲した長宗我部元親(戦国時代の土佐の英雄)の間者が毒を投じたと伝えられる「毒井戸(写真)」や、石垣の枡形虎口、水堀など、往時の面影を偲ぶ遺構を観ることができます。
日本で初めて社員にボーナスを支給したのは、岩崎弥太郎と言われています。ただ商才が秀でているわけではなく、人の心をもグッと掴む人心掌握術も習得していたのです。そんな岩崎弥太郎の生まれ育った家を訪れて、弥太郎の心意気を肌で感じ、明日から戻らなくてはならない「日常」の活力にしてみてはいかがでしょうか!?
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(2024/3/19更新)
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