普賢岳噴火の脅威を肌で感じる 南島原市「道の駅みずなし本陣」

普賢岳噴火の脅威を肌で感じる 南島原市「道の駅みずなし本陣」

更新日:2017/06/12 10:00

肥後 球磨門のプロフィール写真 肥後 球磨門 一人旅ブロガー
島原半島にある雲仙岳と、有明海に挟まれた場所に建つのが道の駅「みずなし本陣」です。施設内には島原名産のお土産や、地元食材による郷土料理がいただけます。
この道の駅の目玉は「土石流被災家屋保存公園」で、普賢岳の噴火による噴出物が土石流となりそれによって埋没した家屋がそのまま残っています。
火山について学習できる施設もあり、自然の脅威を学ぶことができる道の駅「みずなし本陣」を紹介します。

雲仙岳を望む「道の駅みずなし本陣」

雲仙岳を望む「道の駅みずなし本陣」

写真:肥後 球磨門

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長崎県南島原市にある道の駅「みずなし本陣」は長崎自動車道 諫早ICより車で約75分、公共交通機関では島原鉄道の島原駅からバスを利用しておよそで10分で到着します。

雲仙岳を望む「道の駅みずなし本陣」

写真:肥後 球磨門

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駐車場から見ると1992年(平成4年)この場所に土石流をもたらした普賢岳のある雲仙連山が迫ってくるように聳え立っています。普賢岳の噴火によってできた日本で一番新しい山「平成新山」、そして反対側には有明海、その先には熊本県が望めすばらしい大パノラマが広がっています。

雲仙岳を望む「道の駅みずなし本陣」

写真:肥後 球磨門

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景色を堪能したあとは島原のお土産はいかがでしょうか。道の駅の売店では、櫨 (はぜ)の実から搾られた木蝋(もくろう)を原料にした島原の「和ろうそく」や島原そうめんなど地元特産のおみやげ物が数多く販売され、何をお土産にしようか迷います。

土石流災害の爪あとを知る「土石流被災家屋保存公園」

土石流災害の爪あとを知る「土石流被災家屋保存公園」

写真:肥後 球磨門

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道の駅に併設されているのが「土石流被災家屋保存公園」です。1992年(平成4年)に発生した雲仙普賢岳の噴火による噴石物が大雨によって押し流され土石流となって麓の家屋に押し寄せ、多くの家屋が土砂に埋まりました。それらの家屋の一部を、後世に伝える教訓として当時のまま保存しているとても珍しい公園です。

土石流災害の爪あとを知る「土石流被災家屋保存公園」

写真:肥後 球磨門

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埋没家屋に近づくと土石流は二階部分まで埋まっていて、そのすさまじさにショックを受けるかも。幸いにして全ての住民は事前に避難していたので無事だったようですが、災害時に発令される避難勧告や避難指示には必ず従うようにしようと、この情景を見れば思うのではないでしょうか。

自然の脅威を感じる施設です。ここを訪れ自然災害の備えについて改めて考えてみてはいかがでしょうか。

火山の脅威を学習する「火山学習館」と「大火砕流体験館」

火山の脅威を学習する「火山学習館」と「大火砕流体験館」

写真:肥後 球磨門

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道の駅「みずなし本陣」には火山や火砕流について学ぶ有料の施設の「火山学習館」と「大火砕流体験館」があります。

施設の入り口には火砕流で燃えた被災車両の残骸が展示され自然の猛威を知ることができます。

火山の脅威を学習する「火山学習館」と「大火砕流体験館」

写真:肥後 球磨門

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「火山学習館」は雲仙普賢岳を含む火山について学習できる映像施設です。世界的に著名であったフランス人火山学者のクラフト夫妻によって集められた世界各地の火山の映像から、地球の息遣いを知ることができます。
なおこのクラフト夫妻は、火砕流の調査のため普賢岳にきていたときに火砕流に巻き込まれて亡くなりました。

「大火砕流体験館」は雲仙普賢岳噴火時の火砕流や土石流を分かりやすく映像にまとめた体験型施設です。
体験館の座席は火砕流や土石流が発生するときの地響きにあわせて大きく振動する「体感音響装置」になっていて、実際にその場にいるような感覚が体験できるようになっています。

どちらの施設もおよそ10分程度の時間なので、時間に余裕のある方にはぜひ体験してほしいおススメの施設です。

江戸時代の普賢岳噴火による食糧難の時に生まれた「ろくべえ」

江戸時代の普賢岳噴火による食糧難の時に生まれた「ろくべえ」

写真:肥後 球磨門

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売店と道を挟んで食事処の「万福亭」があります。島原郷土料理「具雑煮」や定食、丼物など郷土料理を始め、島原半島の海山の幸が提供される和風レストランです。

江戸時代の普賢岳噴火による食糧難の時に生まれた「ろくべえ」

写真:肥後 球磨門

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郷土料理でおススメなのが道の駅がある深江地区の料理「ろくべえ」です。
「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる火山噴火の災害が200年以上前に発生しました。このとき道の駅から見える雲仙連山の一番右端にある眉山が崩落し有明海に流れ込み大津波が発生した大災害が起こりました。

災害後の食糧難になった島原地区はサツマイモが主食になり、そのサツマイモを麺にしたものが「ろくべえ」です。名前の由来は当時この地域の名主であった「六兵衛」が考案したからだと伝わっています。
つなぎに山芋を使っていて、色は蕎麦、太さはうどんのような麺です。

甘みのあるコシがない麺で、今は郷土料理になっていますが、食糧難のときの当時の住民が麺類を食べたいと思って作ったのか、その涙ぐましい工夫を「ろくべえ」を食べて体験してみてはいかがでしょうか。

火砕流や土石流を体感する道の駅「みずなし本陣」

道の駅「みずなし本陣」がある深江地区は、雲仙普賢岳噴火による土石流によって大きな被害が出た地域です。流れてきた土砂があまりにも多く取り除けないのでその土砂の上に建てたのが道の駅です。

道の駅の近くには、運び出された土砂で沿岸を埋め立てて造った場所に雲仙岳災害記念館がありここでも自然災害の脅威を学ぶことができるので立ち寄ることをおススメします。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/05/13 訪問

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