日本初!本格木造復元天守・静岡「掛川城」は東海道の美しき要衝

日本初!本格木造復元天守・静岡「掛川城」は東海道の美しき要衝

更新日:2019/02/26 17:54

麻生 のりこのプロフィール写真 麻生 のりこ 元観光バスガイド、ご当地マンホーラー
本格木造復元天守の先駆けとなり「東海の名城」と謳われる掛川城。古くは今川氏の重臣・朝比奈氏が治め、後に大河ドラマ「功名が辻」で知られる山内一豊が入城し大規模改修を実施。江戸時代には井伊直政の孫も藩主として入城しました。
平成の世に蘇った天守は、日本100名城の1つにも選ばれるほど! 今回は、かつての櫓なども現存している掛川城の魅力をお届けします。

丘の上に建つ掛川市のシンボル的存在・掛川城

丘の上に建つ掛川市のシンボル的存在・掛川城

写真:麻生 のりこ

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JR掛川駅から北へ徒歩約10分、旧国道1号線(現在の県道415号線)からもその姿を見ることができる掛川城は「東海の名城」と謳われる平山城です。戦国時代には今川氏の重臣・朝比奈氏が治め、泰煕(やすひろ)・泰能(やすよし)父子により築城されました。

丘陵上に建てられた城の守りを固めているのは、すぐ南側を流れている逆川(さかがわ)です。当時は今より流れが蛇行していたため、その地形を利用して堀へ。逆川を堀とした掛川城は東海道の要衝となりました。
戦国末期になると大河ドラマ「功名が辻」で知られる山内一豊が入城。彼は城を近世城郭へと大改修し、併せて城下町も整備。掛川城に天守閣を初めて造ったのは彼なんですよ。

丘の上に建つ掛川市のシンボル的存在・掛川城

写真:麻生 のりこ

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江戸時代には少なくとも二度の地震被害に遭った掛川城。一度は再建されたものの、幕末の地震被害で倒壊した際には再建されませんでした。それから140年後の平成6年(1994年)、市民や地元企業などから集めた10億円もの募金により、国内初となる本格木造天守として現代に蘇ったのです。

山内氏が築城した天守閣の詳細は不明ですが、関ヶ原の合戦後に加封されて土佐へ移った彼が「遠州掛川之通」に高知城を築城。このことから復元時には現存する高知城を参考にしました。

まずは大手門、そして太鼓櫓に注目!

まずは大手門、そして太鼓櫓に注目!

写真:麻生 のりこ

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掛川城から東南東へ数100メートル、逆川の左岸には大手門の姿も。この大手門は幕末の地震被害の後に再建されましたが、明治時代になってから焼失。
高さ約11.6メートル、間口が約12.7メートル、奥行きは約5.4メートル、楼門造りの櫓門という創建当時の姿そのままに平成7年(1995年)に復元されました。「乗馬のまま通れるように」と冠木下の高さは約4.4メートルあります。

実際にはこの場所よりも50メートルほど南にあった大手門。この門から眺める天守が最も美しいとのことなので、この付近から掛川城をぜひご覧ください! なお、門の中には、かつて大手門を支えた「礎石根固め石」も展示されています。

まずは大手門、そして太鼓櫓に注目!

写真:麻生 のりこ

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太鼓櫓は城内に残る数少ない貴重な建築物の1つです。この櫓はその名の通り内部には時間を報せる大太鼓が置かれていました。戦後になり三の丸から現在地へ移築され、このように掛川城南側からもよく見えるように。人気の記念撮影スポットなのが頷けますね。

内部は展示空間・狭間なども復元

内部は展示空間・狭間なども復元

写真:麻生 のりこ

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本格的木造復元天守として平成の世に蘇った掛川城は、入口部に付櫓(つけやぐら)、東西には張り出し部が設けられた複合式望楼型3重4階建て。内部は木の温もりがあふれ、いにしえの時代を彷彿とさせてくれます。
こちらは山内一豊公の騎乗姿。内部にはこのように山内氏や掛川城ゆかりの品が多く展示されています。仲間由紀恵さんが手縫いし、大河ドラマ「功名が辻」でも使用した幟旗も展示されているので、お見逃しなく!

内部は展示空間・狭間なども復元

写真:麻生 のりこ

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階段脇には土佐漆喰で作られた壁の断面標本が。普段はなかなか見ることができない資料なので、興味のある方はぜひご覧くださいね。
そのほかにも武者隠しや、弓矢や鉄砲を用い城内や塀など内側から敵を攻撃するために開けられた穴──いわゆる狭間もきちんと復元されています。狭間は1階部分には9ヶ所、2階には14ヶ所設けられています。

内部は展示空間・狭間なども復元

写真:麻生 のりこ

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天守の最上階は掛川市街地が一望できる人気スポット。南には駅北口から伸びる繁華街、北には遠く北遠の山々が、西には逆川の下流に広がる市街地、そして東北東は眼下に二の丸御殿の姿が望めます。現存する城郭御殿は全国でも4ヶ所しか例がない貴重な建築物。入場可能なので当時の風情をお楽しみくださいね。

こちらは東南側からの眺望です。土産物店や駐車場など「城」をイメージした建物で統一されているのがよく分かるでしょう。擬宝珠の左上に見えるのが太鼓櫓です。

城を護る十露盤堀と三日月堀

城を護る十露盤堀と三日月堀

写真:麻生 のりこ

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掛川城は逆川の流れを巧みに取り入れ、城周囲を護る堀としていました。こちらは天守と二の丸御殿の間にある十露盤堀(そろばんぼり)。底の形が算盤の箱のような形状をしているために、そう呼ばれていたようです。

城を護る十露盤堀と三日月堀

写真:麻生 のりこ

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そのほかにも本丸の南側一帯には内堀の役目を果たしていた松尾池や、本丸への入口となる四足門脇には三日月堀がありました。これらの堀と池は発掘調査の結果、暗渠で繋がっていたことが判明。この工夫により水位が一定に保たれていました。

こちらは三日月堀です。発掘調査により存在が明らかとなり、一部分だけを復元したものですが、その形から面影を感じることができますね。松尾池は残念ながら残っていません。

本格的木造復元天守・掛川城と、その周辺で気軽に歴史散策を

JR掛川駅から北へ徒歩約10分の近さも魅力な掛川城は、掛川市のシンボル的存在。その遺構は城外にも数棟移築されました。
たとえば隣接する袋井市の油山寺には大手二の門が。復元した大手門の奥には、幕末に建てられた大手門番所も。蕗の門は城入口の四足門から南西方向へ600メートルほどの距離にある、円満寺山門として使用されています。これらの遺構へも足を運べば、掛川城についてさらに理解が深まるでしょう。

城の東北東にある二の丸御殿は、国内に僅か4ヶ所しか現存していない城郭御殿。100名城スタンプはこちらに設置されています。なお、入場の際には天守・御殿ともに入場券が必要です(2017年現在、共通入場券・大人410円 / 小中学生150円)。

そのほかにも城の周囲には二の丸美術館や二の丸茶室、江戸時代の豪商の本宅などを見学できる竹の丸、「中世のステンドグラス作品を間近に鑑賞できる」と好評の掛川ステンドグラス美術館など、一度は見ておきたいスポットが集中。マンホールの蓋にも城が描かれています。
「東海の名城」掛川城を中心としたエリアで、歴史ロマンを感じてみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/12/03 訪問

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