色鮮やかな堂塔と大理石の庭園!広島県生口島・耕三寺をめぐる

色鮮やかな堂塔と大理石の庭園!広島県生口島・耕三寺をめぐる

更新日:2017/05/31 14:36

やまざき にんふぇあのプロフィール写真 やまざき にんふぇあ 一人旅ブロガー
瀬戸内海に浮かぶ広島県・生口島にある、耕三寺という寺院をご存じでしょうか。極彩色の門や拝殿、巨大な仏像や人工洞窟、そして広大な大理石の庭を持ち、のどかな島内で一際目立つ存在です。

この寺を建立したのは耕三寺耕三氏。実業家として成功し巨万の富を得るも、母の死を期に出家して耕三寺を建てることになります。今回は、母を偲んで実業家が造りあげた絢爛豪華な耕三寺をご案内します。

京都御所がモチーフ。登録有形文化財の山門

京都御所がモチーフ。登録有形文化財の山門

写真:やまざき にんふぇあ

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1891年に兵庫県神戸市に生まれ、大阪府で事業に成功し巨万の富を得た耕三寺耕三氏。彼は1934年に母を亡くします。その翌年彼は出家し、母の生まれた広島県尾道市の生口島に母のための寺を建立することを発願しました。

そんな耕三寺の入り口である山門がこちらになります。国の登録有形文化財に登録されており、京都御所の紫宸殿の門と同じ様式をしています。

日光東照宮陽明門がモチーフの孝養門

日光東照宮陽明門がモチーフの孝養門

写真:やまざき にんふぇあ

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山門や中門を抜け、礼拝堂や五重塔を通りすぎると現れる孝養門。これは日光東照宮の陽明門をモデルとしています。文部省から図面を入手することによって10年もの歳月をかけて完成しました。日光東照宮陽明門と寸法は同じであり、細部の彫刻や彩色は元の日光東照宮陽明門とは異なる仏教様式を取り入れ、オリジナルよりもさらに豪華になっています。

宇治平等院鳳凰堂がモチーフ。極彩色の本堂

宇治平等院鳳凰堂がモチーフ。極彩色の本堂

写真:やまざき にんふぇあ

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本堂は国の登録有形文化財に登録されています。宇治平等院鳳凰堂をモチーフとしており、翼廊は左右対称の形をしています。山門や孝養門と同じく極彩色が施されており、仏教建築の最高峰とされる藤原時代(平安時代、藤原氏が摂関政治を行った時代)の建築様式を忠実に取り入れていることが特徴です。

往生要集を視覚で体験できる千仏洞地獄峡

往生要集を視覚で体験できる千仏洞地獄峡

写真:やまざき にんふぇあ

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平安時代中期の僧侶、源信は『往生要集』を記し、死後に極楽往生する方法を説きました。文中には死後に行くとされる世界についての説明も記されているのですが、その世界を体験できるのがこの千仏洞地獄峡です。全長350メートル、深さ15メートルもあり、富士山の溶岩と浅間山の焼石を組んで作られた洞内にはおよそ1000もの石仏が安置されています。外界とは隔絶された洞窟の中で地獄、そして極楽を体験できる場所です。

完成まで12年。巨大な大理の石庭園・未来心の丘

完成まで12年。巨大な大理の石庭園・未来心の丘

写真:やまざき にんふぇあ

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耕三寺の奥にある未来心の丘は、広さ5000平方メートルを誇る大理石庭園です。大理石はすべてイタリアから運ばれ、完成までは12年もの年月を要したという、何もかも桁外れのスケールの作品です。

未来心の丘を作り出したのは、広島出身の彫刻家、杭谷一東氏。ヨハネ・パウロ2世と謁見したり、バチカン宮殿の謁見の間の制作に参加するなど、イタリアで精力的に活動を続けています。

広大な白い庭をからは瀬戸内海を望むことができ、まるで地中海のような雰囲気がただよいます。庭の奥には大理石でできた「カフェ・クオーレ」かあるので、広大な耕三寺の参拝の間に立ち寄って休憩すると良いでしょう。

母のために生涯をかけて耕三寺を作り続けた耕三寺耕三氏

耕三寺耕三氏は生涯をかけて耕三寺の造営を続け、1970年に78歳で、耕三寺の中で亡くなりました。

実業家として大成功を収めた彼が出家までして母の生まれた島に建てた巨大な寺。その豪華絢爛な外観だけでなく、母への強い愛も踏まえた上で参拝してみてください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/04/05 訪問

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