栃木県益子町は中世社寺建築の宝庫!関東屈指の古建築の町へ

栃木県益子町は中世社寺建築の宝庫!関東屈指の古建築の町へ

更新日:2017/05/26 12:20

栃木県の古建築といえば日光の社寺が有名ですが、これらはもちろん江戸時代以降のもの。しかし、2013年に鎌倉時代の鑁阿寺本堂が国宝指定されたように、もっと古いものにも価値の高いものが多いのです。本記事で紹介する益子町も古建築が多く、重要文化財指定を受ける社寺建築の全てが中世の建立です。益子焼でも有名な益子町ですが、中世社寺建築も見学してみてはいかがでしょうか。

西明寺には重文建築が3件

西明寺には重文建築が3件
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益子で有名な寺院といえば西明寺。奈良時代の創建と伝えられる歴史のある寺院で、坂東三十三観音霊場の一つにもなっています。南北朝期の動乱などで一時荒廃していたものの室町時代に再興されました。

西明寺の主要な伽藍は石段を登ったところにあり、石段のすぐ上にある茅葺の門が重要文化財の楼門。西明寺楼門の建立は明応元 (1492)年で、中世らしさのよくでた建造物です。

中世建築の特徴の一つは「和様」、「禅宗様(唐様)」、「大仏様(天竺様)」という様式の使われ方にあります。平安末期までの間に日本独自に発展した様式の和様に対して、鎌倉時代に宋から入ってきた禅宗様と大仏様という二様式。こういった三様式を、折衷させたり、一様式にこだわってみたりすることで、様々な表情をもちます。西明寺楼門は禅宗様と和様の折衷で、全体の構造は禅宗様を基調としつつ、組物間の装飾材などは和様のものが用いられています。

西明寺には重文建築が3件
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楼門の正面左側には三重塔があり、これもまた重要文化財です。天文6 (1537)年頃の建立で、楼門より半世紀ほど新しいです。全体的にはあまり均整のとれた塔に見えないかもしれませんが、実は珍しい点のある塔です。まず屋根の素材ですが、現在は銅板葺ですが、もとは板葺でした。これが非常に珍しいのです。そして様式。楼門と同じく禅宗様と和様の折衷ですが、層ごとに様式を変えています。初層(一番下)は和様、二層目は和様を基調とした折衷、三層目(一番上)は禅宗様を基調とした折衷です。

様式の見分け方を少しだけ説明すると、斜下ににゅっと突き出した部材を「尾垂木(おだるき)」といいますが、三層目は先端が尖っています。これが禅宗様の組物の特徴の一つです。また、軒の下に並んだ部材は「垂木(たるき)」といいますが、初層は平行に並んでいますが、その上の二層は塔中心から放射線状に並んでいます。平行垂木、扇垂木といいますが、それぞれ和様、禅宗様の手法です。

さて、西明寺にはもう1件の重要文化財の建造物があります。楼門をくぐると正面に本堂が見えますが、この中の厨子が重要文化財です。応永元 (1394)年のもので、西明寺では一番古い建造物です。

本堂の中にある小さなものなので、これを「建造物」とするのも奇妙に感じるかもしれませんが、風雨にさらされずに保存されるものなので、古い様式をよく残していて建築の発達段階を知るにはとても重要な資料なんです。ちなみにこの厨子の様式は純粋な禅宗様となっています。

中世建築らしい装飾の綱神社本殿

中世建築らしい装飾の綱神社本殿
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西明寺の次は綱神社へ。綱神社本殿は大永年間(1521〜1528年)頃の建立とされています。横から見ると屋根が「へ」の字のようになっていますが、この形式を流造(ながれづくり)といいます。横幅は柱間が三つある規模なので、三間社流造となります。三間社流造は神社の本殿の形式では一番多いのですが、茅葺の流造は意外に少なく珍しいものです。

中世建築らしい装飾の綱神社本殿
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この建物も中世建築らしさがよくでています。特に手挟(たばさみ)などの装飾に注目してみましょう。手挟というのは向拝(ごはい、またはこうはい)とよばれる前面の庇部分に使う装飾材で、傾いた屋根の先端を柱と組物で支えると内側に隙間ができてしまうので、この隙間を埋めるものです。

綱神社本殿の手挟は若葉を図案化したもので繊細で優美。社寺建築の装飾は新しくなるほど具象的で複雑になりますが、中世建築ではこのような図案化した彫刻が多くみられます。近世以降の建築にみられる写実的で複雑な彫刻は掘り出す技術が必要となりますが、図案化する作業というのもなかなかに難しく秀でた美意識が必要なのです。

さて、綱神社本殿の横にあるやや小さな茅葺の社殿もまた重要文化財です。綱神社摂社大倉神社本殿という文化財建造物で、幅の小さな一間社流造の建物。これも同時期のものです。

阿弥陀堂形式の地蔵院本堂

阿弥陀堂形式の地蔵院本堂
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地蔵院は綱神社に隣接する寺院で、本堂が重要文化財に指定されています。もともとは近くの尾羽寺の阿弥陀堂として永正年間(1504〜1521)頃に建てられたものですが、尾羽寺の火災で阿弥陀堂以外が燃えてしまったので、地蔵院に移築し本堂としたものです。

これまでに紹介した建物より大きなお堂ですが、よく見ると意外に繊細な表現がなされています。様式は和様を基調に禅宗様、大仏様を取り入れた折衷。扉は枠に板をはめ込んだ桟唐戸とよばれるもので、桟の中央に峰のある大仏様の桟唐戸で、大きな建築でありながら細部も丁寧に造られています。

円通寺表門は禅宗様の四脚門

円通寺表門は禅宗様の四脚門
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益子町の重文建築の最後は円通寺表門へ。円通寺は応永9 (1402)年に開かれた寺院で、当初は書籍や経典を多く蔵した学問所でした。表門は寺院草創時のものと伝えられていますが、永正7 (1511)年の墨書が残るということで、寺伝よりは新しいかもしれません。四脚門という形式で、禅宗様の様式で建てられています。組物はいかにも禅宗様という感じで、繊細で緻密な造りとなっています。

最後に

益子焼で有名な益子町ですが、中世の社寺建築に注目してみました。益子焼は江戸末期からの歴史をもちますが、もっと古い歴史的建造物が意外に多く残っているのです。中世建築といってもなじみのない方も多いとは思います。日光の社寺のような派手さがなく、見どころがよくわからないかもしれませんが、繊細で優美なさまは、近世建築にはなかなかみられないものです。

益子町にある社寺を紹介しましたが、地蔵院と綱神社以外は離れたところにあるので、車なしでまとめての訪問は難しいかと思います。自家用車が使えない遠方からの訪問にはレンタカーの利用を考えてみて下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/12/30 訪問

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