見る限りレンガ造りですが、竣工は平成6(1994)年。外壁にレンガを貼った鉄筋コンクリート造です。ちなみにレンガはイギリス積みに貼られています。また、腰石の上から白い花崗岩の水平帯を複数配しているのも特徴です。
屋根瓦は中国瓦と呼ばれる弓状にカーブした平瓦を凹部と凸部交互に並べて瓦と瓦との間に水の漏れる隙間ができないように葺いています。反瓦葺きと呼ばれるもので大連市郊外の農村でよく見られるもので、日本では珍しい葺き方になります。
写真は南面のファサードです。3階の腰折れ屋根の破風部分や尖塔部分には柱や梁を壁に露出されたハーフティンバー(木骨造り)。露出する木骨が細いドイツ風の仕様です。1階の屋根にも2階の屋根にもドーマー窓を2つずつ不規則に配し、煙突も2つそびえます。西洋建築には左右対称のものが度々見られますが、こちらは完全に左右非対称です。
東側に回れば、写真のようにこれまで見えていなかった3本の煙突が現れ、計5本の煙突が屹立していたことが判ります。また、北側にはポーチが取り付けられ、その上にもやや広めのベランダが設けられてます。西側では山形破風や正面から見えなかった3つのドーマー窓が新たに姿を見せます。非常に要素が多いです。
ハーフティンバーなどの特徴からドイツ近郊様式という建築様式も当てはめられられるようですが、屋根が中国の様式なので折衷様式と呼ぶのが妥当そうです。由縁の複雑さがここに表れています。ちなみに、花崗岩やレンガは大連製を使用。石の表面に平行に走るノミの削り跡まで原形通りに再現したもの。細部までよくこだわって外観が再現されていることが判ります。
それでは中に入りましょう。まず迎えてくれるのが足元のタイルです。アンカサスの葉がモチーフと思われる優美なアールヌーボー調の絵タイルになっています。天井や壁は白く、窓枠はダークブラウン。装飾らしい装飾はローゼットの円形を重ねた模様くらいで外観とは対照的です。内部までは復元されていないようです。
階段は折り返し階段です。旋盤加工されたバラスター、太く平らな手摺り、目立つフィニアル(先端装飾)が施された親柱などシンプルながらも造形の美しさを感じられます。踊り場にはオレンジ色の照明が灯され、温かみのある洗練されたアプローチが魅力的です。
1階は明るい店内の中華レストラン、2階には中国や東アジア関連の書籍、3階には中国・韓国等の東アジア各国に関する書籍が書架に並べられ、北九州市と友好・姉妹都市提携をしている各都市の交流記念品を展示しています。収蔵数は1万8000点以上。
雰囲気が出色なのは3階です。オレンジ色の柔らかな明かりに書架に並ぶ赤や黒の背表紙を持つ大型本がよく合っています。デザインを重視して並べられているようにさえ見えます。窓際には座って読書できるスペースが設けられており、こちらで寛ぐのも一興です。
国際友好記念図書館のモデルは旧東清鉄道汽船会社事務所という建物です。ロシアが三国干渉で日本が遼東半島の領有を阻止した見返りとして、ロシアは清国から鉄道の敷設権を得たのち、遼東半島の2つの町、旅順と大連の租借権も獲得して自国が設立した鉄道会社に開発を行わせました。この時の鉄道会社というのが東清鉄道だったのです。
ところが、日露戦争開戦間もなく遼東半島は日本軍によって占領され、ロシアは敗戦。旅順と大連は再びロシアの手に戻ることはありませんでした。それでも、建物自体は日本統治時代も倶楽部や図書館などとして使われていたのです。
しかし、国際友好記念図書館が完成して間もなく旧東清鉄道汽船事務所は解体されてしまいました。現在は国際友好記念図書館が大連の名建築の存在を伝えています。建築は時として海を越えた先にあったものを伝える使命も帯びていることがあるのです。国際友好記念図書館は「遺す」という大切さを門司港で伝え続けています。
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