信長が天下取りを決意した絶景を!マムシの棲む岐阜県「稲葉山城」

信長が天下取りを決意した絶景を!マムシの棲む岐阜県「稲葉山城」

更新日:2017/05/30 16:10

岐阜市長良川の南岸にそびえる、標高329mの金華山は1560年頃は稲葉山と呼ばれ、鬱蒼とした山中には本物のマムシが、そして山頂の稲葉山城には智謀を内外の外交に発揮し、マムシの道三と呼ばれら恐れられた斎藤道三が住んでいました。

金華山は標高350mにも満たない山ですが、遠くは北アルプス、そして美しい濃尾平野を一望に見渡すことが出来、また眼下には長良川の雄大な流れを望むことができるのです。

濃尾平野の美しさを一望にして織田信長は眼下の景色を手中に収めたくなった?

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まだ“美濃のうつけ大名”と言われていた頃の信長は、うわさに聞くマムシの異名を持つ斎藤道三が恐ろしくてなりませんでした。何とか敵に回さないようにとして、道三の娘である帰蝶(濃姫)を嫁に貰って姻戚関係を結び、道三と義理の親子関係を築いて、道三の恐怖から逃れたのです。

現在はびっしりと住宅に覆われていますが、いまから450年前の永禄10年(1567年)、織田信長が入城した当時は豊かな田園が広がっていました。そしてこの景色を望見した信長は、天下を手中に収める野望を抱いたのです。

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その後斎藤道三は、息子である義龍に家督を譲ったのですが、義龍よりその弟たちを偏愛したため、義龍は弟たちを殺害。道三に対して1万7500の兵の率いて挙兵しました。道三は兵2500をもって長良川(写真)の河川敷で戦った末、娘婿である織田信長が差し向けた援軍が到達するのを待たずに戦死したのです。

稲葉山城攻略の名目は義父の敵討ち

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現代では山頂近くまでロープウェイが通っており、割合、楽に登頂できます。しかし織田信長の1567年当時の稲葉山は、麓から険峻な山道を徒歩で登らなければなりませんでした。しかも具足に身を固め、刀を腰に差し槍を担いで頂上を目指したということは、大変な困難であったろうと容易に想像ができます。

この稲葉山はその後、金華山と名を改め麓には「信長公の鼓動が聞こえる公園 岐阜公園」が整備されています。山頂までのロープウェイ乗り場をはじめ、美しい日本庭園、休憩所や三重塔、水源広場などがあります。

また、ロープウェイ山頂駅の展望台から眺める夜景の美しさは、素晴らしいの一言に尽きます。しかし残念なことロープウェイは18時までしか営業しておりませんので、この景色を見るのは10月初旬の季節が良いでしょう。

稲葉山城攻略の名目は義父の敵討ち
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ロープウェイ山頂駅に到着すると、リス園の側を通る比較的なだらかな登山道と、険峻な登山道とがあります。なだらかな登山道でも高さと踏み幅の不規則な石段となっており、足腰に自信のない方にはかなりの負担となります。このような石段を10分ほど登り切ると目の前に素晴らしい岐阜城がその全貌を現します。

稲葉山城攻略の名目は義父の敵討ち
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途中に数か所、休憩用のベンチが置かれ、愛煙家にはうれしい喫煙場所も設けられていますから、ゆっくりと周囲の景色を堪能しながら登ってみて下さい。現在では鬱蒼とした周りの木々にマムシはいませんが、最近ではイノシシが出ることがあるので、十分注意を払いましょう。

休日しか営業していない絶品のみたらし団子茶屋!

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山頂での城めぐりの後は、茶店に立ち寄ってみたらいかがでしょう。ロープウェイ山頂駅へ降りる途中の丁度良い位置に茶店があります。

この茶店の「みたらし団子」は甘さ控えめですが、なかなかの味。ですので、ちょっと立ち寄って疲れた足を休めて、みたらし団子を頬張ることをおすすめします。

※みたらし団子は土曜、日曜、祝日のみの販売です。

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「板垣死すとも自由は死せず」の名文句は岐阜公園で発せられた?

初代自由党総裁の板垣退助が、東海道を遊説中に岐阜に立ち寄り講演後、賊に襲われたのがこの岐阜公園であり、現在、板垣退助遭難の碑としてその銅像が立っています。

金華山ロープウェイを降りたあと、公園を散策する時に興味のある方は訪れてみるとよいでしょう。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/04/30 訪問

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