このコースは「元箱根(芦ノ湖)」から「甘酒茶屋」手前までのハイキングコースとして子供からお年寄りまで多くの人々が楽しめます。所々、急な勾配や足元の悪い場所があるものの、道行く人々の恰好を見ると、ペットボトル一本で歩く姿も見受けられます。
芦ノ湖から約45分程度のコースですので、それほど入念な準備は必要ありません。このコースの利点は脇道に逸れて、県道732号線に抜けられることです。気分が悪くなったり、つらくなったら無理せず、コースから外れてください。
江戸時代、東海道が整備されたこともあり、箱根は関所として要であると共に、街全体も賑わいを見せるようになりました。
繁栄するにつれ、旅人の往来は増し、参勤交代する大名も次々と通るようになりました。しかし、街道は石畳の急坂が多く、思いのほか険しいルートでした。また、芦ノ湖畔の関所も検問が厳しく、箱根は「東海道随一の難所」といわれ、「天下の嶮」とよばれました。
旧東海道に残る石畳は、京都までの道程の中でも「箱根越え」として旅人を悩ませる苦難の道でした。箱根八里とは「小田原箱根」から「芦ノ湖畔」までの上り四里、三島までの下り四里をいいます。
ちなみに一里は現在の距離で3.9272…q、つまり約4qということになります。「なんだ、箱根八里といっても、たいした距離じゃないな」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時はわらじをはき、天気予報もない時代です。いつ天候が荒れるのかも分からないなか、ひたすら険しい山道を歩き続けたのです。
江戸時代の初め、それまで尾根伝いを通っていた湯坂路に替わり、須雲川に沿った谷間の道が東海道として整備されました。当初は箱根に群生する「ハコネダケ」という細竹を毎年敷き詰めていたと言われています。
しかし、莫大な費用と労力がかかることから1680年、石を敷き詰めた「石畳」の道になりました。その後、江戸時代の末期、14代将軍徳川家茂が京へ上洛する際、全面的に改修されました。
平安時代初期には、富士山の大噴火があり、砕石が足柄道を閉鎖しました。当時の朝廷は「足柄道」を廃止して、新しい宮道として「湯坂道」を開きました。
しかし、後に足柄道が復旧し、ふたたび宮道となりました。そのことを色濃く反映しているのが平安期の物語・紀行・和歌などです。その内容を見ると、ほとんどが足柄道を記したものであり、湯坂道を越えた記録は希少といえます。
平安時代に繁栄期を迎えた足柄道ですが、段々と湯坂道からの箱根越えを利用する人々が増え、鎌倉時代になると湯坂道が宮道として用いられるようになりました。
街道の途中では「芦ノ湖」を見渡せるスポットがあります。この周辺は勾配が急で、足を留める程度しかできませんが、脇には腰かけることができる大きさの石がいくつか転がっていますので、一息入れるのも良いでしょう。
ここで、道標を見ると「お玉ヶ池・精進湖」とあります。この地点で芦ノ湖から約15分、行程にして1/3ぐらいまで歩いたことになります。この先はアップダウンが多くなります。転んで怪我などをしないために、トレッキングシューズや履き慣れたスニーカーなどでない場合は、県道へ抜けたほうが良いでしょう。
江戸時代は女性も足袋・ぞうりを履いてこの街道を歩きました。現在は機能性に優れたシューズが多くありますが、それでも男性に比べるとでこぼこの石畳は膝にこたえます。
普段、運動をしていない方は自分のペースでゆっくりすぎるぐらい慎重に進んでください。途中、箱根湯本方面へバスで迂回するのも一つの手です。石畳のコースを選びながら、街道の歴史を肌で感じてください。
「まるでかき氷の抹茶シロップ!」と思ってしまうほど、街道沿いに生えている杉の木にはびっしりと苔が茂っています。
苔というと、じめじめして陽の当たらない場所に生息しているイメージですが、ここに繁殖している苔は太陽の光をいっぱいに浴び、触ってみると綿のようにふわふわとしています。これだけ日当りの良い場所でも繁殖するのは、日中の寒暖差と湿気に関係があります。
雨の日や曇りの日は湿気が一気に増し、蒸した状態になります。それに加え、日没から日の出までの時間は日中の気温から10℃以上寒くなりますから、一気に水滴となり苔の繁殖に一役買うわけです。
芦ノ湖南岸の箱根宿までの四里は、ほとんどが鎌倉時代からの道程と変化はありません。その後、「箱根宿」から「元箱根」付近を境にして、元箱根より東方への別ルートが利用されるようになります。
行程の終盤に差し掛かると、身の丈の2倍はある大きな石塊が横たわっています。この巨大な石は富士山の噴火に関連性があるのかは不明ですが、整備された街道にあって唐突に表れる光景は、歩く人々の目を引き付けます。
この先は下りが続き、膝が笑ってしまうほどブレーキが利かないので、横歩きで一歩、一歩踏みしめながら足元が滑らないよう注意してください。
その後は権現坂、白水坂へと進みます。ひたすら登りだった道もやがて下りに変わり、ホッと一息。この辺りは石畳も平らなものが多く、先まで景色が見通せるので、心理的にも落ち着きます。
実際に歩いてみると、これよりも劣悪な道を歩いていた昔の旅人はすごい、と改めて感服させられます。旧街道に入ると車の音も聞こえず、木々のせせらぎや風の音に包み込まれるので、心身ともにリフレッシュできること間違いなしです!
元箱根から約45分。ここで県道に辿り着きます。さらに小田原方面に歩くと、お餅や甘酒が名物の「甘酒茶屋」へ辿り着きます。この区間の良い所は自分でコースをカスタマイズできることです。
車を元箱根に置いても良いですし、バスを利用して畑宿あたりまで先回りし、戻ってくることも可能です。街道の石畳は元箱根からのスタートのほうが歩きやすく、前半が登りなので雄大な景色が疲れを癒してくれます。
逆ルートからの出発はアップダウンが多く、石畳もでこぼこしているので、出鼻をくじかれる可能性があります。県道の歩道を上手に使いながら、新旧の道を歩き比べるのも面白いかもしれません。
帰りは箱根登山バスに乗って、元箱根まで戻るのが便利です。体力に余裕のある方は「甘酒茶屋」まで行ってから、バスで戻ることも可能です。ただし、バスは1時間に2本しか来ませんので、時間に余裕をもっておいたほうが良いでしょう。
ここから歩いて元箱根に向かうと、途中に「お玉ヶ池」があります。この池は1702年、お玉という少女が奉公先から伊豆の実家に逃げ帰ろうとしたところ、手形を持っていなかったため箱根関を通ることができませんでした。
お玉は関所を通らずに、周囲の山を通って関所破りをしようとしますが、関所の番人に捕えられ処刑されました。その後、この池でお玉の首を洗ったという言い伝えから「お玉ヶ池」と呼ばれるようになりました。
箱根観光と聞いて、真っ先に「旧箱根街道」を思い浮かべる人はなかなかいないと思います。点在する美術館や箱根神社、芦ノ湖遊覧など、どうしても優先順位の上位には名前があがりません。
しかし、箱根観光のなかでも数少ない「アウトドア」のカテゴリーに入り、街道そのものが長い歴史を経て現在に至っていることは、とても貴重な観光スポットだと言えるでしょう。
そして、三島方面・小田原方面へ目を向ければ、まだまだ街道の趣きや風情は充分堪能できるので、訪れるほどに街道の奥深さを実感することができます。
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