甦った鈴木屋敷!和歌山・藤白神社は200万人の鈴木姓のルーツ

甦った鈴木屋敷!和歌山・藤白神社は200万人の鈴木姓のルーツ

更新日:2023/04/18 17:14

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
和歌山県海南市にある「藤白神社」は全国に約200万人以上と言われる鈴木姓の氏神です。また藤白神社は、熊野九十九王子の中でも特に格式の高い五躰王子のひとつとされ、境内には南方熊楠ゆかりの樹齢約1000年の楠の大樹があり、権現堂には熊野路で唯一の熊野本地仏が祀られています。さらに若くして悲劇に散った有間皇子ゆかりの地でもあります。甦った鈴木屋敷、鈴木氏のルーツをたどる歴史体験の旅に出かけてみませんか。

「鈴木姓」の方は社務所で記念品をいただきましょう

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写真:モノホシ ダン

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熊野古道は京都から熊野本宮への巡礼路で、熊野の入り口と称された「藤白神社」は、熊野古道の九十九王子の中でもとくに格式の高い五躰王子のひとつです。

五躰王子とは、藤白、切目、稲葉根、滝尻、発心門の5社のことです。ちなみに「王子」とは、熊野詣の礼拝所のことで、現代風にいうと神社に道の駅が併設されたようなものです。

熊野の有力豪族であった鈴木氏は、平安時代に藤白の地に移住し全国に約3000あるといわれる熊野神社を建立し、空前の熊野詣ブームを巻き起こしました。現在でいう旅行ブームの仕掛人だったわけで、鈴木姓が全国に広まるきっかけともなりました。

「鈴木姓」の方は社務所で記念品をいただきましょう

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藤白神社の社務所では、鈴木姓の方は、記念品として「紀州 藤白鈴木家系譜」を頂けます。この家系図は、現在の藤白神社の名誉宮司であった吉田留信氏が製作した系図をもとにしたとても立派なものです。

鈴木姓の始まりについては、鈴木家の祖先が、神武天皇東征の時に、天皇に稲を献じて「穂積(ほずみ)」という姓を頂き、熊野では稲を積み重ねたものを「すずき」と言ったことから転じて「鈴木」になったといわれています。

「鈴木姓」の方は社務所で記念品をいただきましょう

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藤白神社の御朱印には、藤白王子権現と熊野一之鳥居、および境内社「有馬皇子神社」の押印があります。熊野一之鳥居とは、かつて神社の北側に建っていた高さ5mの大鳥居のこと。

授与品では、カラス文字で書かれた護符「牛王神符(ごおうしんぷ)」や千年楠御守、鈴木家のお守りなどが人気です。鈴木家のお守に描かれている紋は、藤白鈴木家の家紋です。

天然記念物「藤白神社のクスノキ群」からパワーをいただこう

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写真:モノホシ ダン

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藤白神社の拝殿の奥にある本殿は、三間社流造で県の重要文化財です。神社の由緒はたいへん古く、日本武尊の父として知られる第12代天皇の景行天皇の時代に遡ります。

のちに658年に斉明天皇が、牟婁の湯(現在の白浜温泉)に行幸の際に立ち寄り社殿が創建されました。

天然記念物「藤白神社のクスノキ群」からパワーをいただこう

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藤白神社の境内には、三ヶ所に分かれてクスノキの大木があり海南市指定の天然記念物になっています。境内社の「子守楠神社」(写真)は、樹齢1000年以上とされるクスノキをご神木とし、いまも子授け、安産、成長の神様として親しまれています。

熊野では子供が生まれると長命・出世を祈って「楠」「藤」「熊」のいずれかの字をつける風習がありました。

世界的な博物学者の南方熊楠も名を授かった一人です。熊楠はとくに身体が弱かったために熊と楠の2文字を授けられました。じかにご神木に触れてパワーを頂きましょう。

天然記念物「藤白神社のクスノキ群」からパワーをいただこう

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また、平安時代から鎌倉時代にかけての皇族の熊野御幸の際には、御宿泊所となった藤白神社で、法楽のために歌会や相撲会等が盛んに催されました。

写真のクスノキの下には、平安時代に宇多・花山・白河の三上皇の熊野御幸を記念して建てられた「聖皇三代重石」があります。

また鎌倉時代の1201年には、承久の乱で知られる後鳥羽上皇が催された藤白和歌会が有名で、その時の「熊野懐紙」ご宸翰は国宝になっています。ちなみに宸翰とは天皇直筆の文書のことです。写真の左手に歌碑と御歌塚があります。

「有間王子神社」で悲劇のプリンス「有間皇子」を偲ぶ

「有間王子神社」で悲劇のプリンス「有間皇子」を偲ぶ

写真:モノホシ ダン

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ふつう神社には仏像がありません。なぜなら明治政府の神仏分離令により神社とお寺に分けられてしまったからです。しかし、境内の「藤白王子権現本堂」には熊野三所権現と藤代若一王子の本地仏などの仏像が祀られています。

これは神道と仏教が同居していた頃の神仏習合の名残りです。熊野古道九十九王子の中で神仏分離令を免れて、仏像が残っているのはここだけです。入り口のガラス越しにそのお姿を拝むことができます。

「有間王子神社」で悲劇のプリンス「有間皇子」を偲ぶ

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ほかに境内には悲劇のプリンスとして知られる有間王子を祀った「有間王子神社」があります。有間皇子は、大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の謀略で謀反人に仕立てられ抹殺された悲劇の皇子です。

有間皇子の父は、中大兄皇子の母の皇極天皇の弟である孝徳天皇です。645年のクーデター「乙巳(いつし)の変」で、蘇我入鹿を抹殺して政治の実権を握った中大兄皇子は、皇位継承を確実なものにするため有間皇子の命を狙うようになります。

身の危険を感じた有間皇子は狂人を装うなどして、中大兄皇子から必死に逃れようとしました。しかし、658年、中大兄皇子の腹心の蘇我赤兄(そがのあかえ)に謀反をそそのかされ、たちまち捕えられしまいます。有間皇子は、牟婁の湯にいた中大兄皇子の下へ送られ、形ばかりの尋問をうけました。

「有間王子神社」で悲劇のプリンス「有間皇子」を偲ぶ

写真:モノホシ ダン

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そして政治犯として飛鳥に護送される途中、にわかに藤白坂で襲われ、絞首刑にされてしまったのです。わずか19歳でした。藤白神社から約200mほどの藤白坂の上り口には、有間皇子の墓があります。藤白神社では、命日の毎年11月11日に悲劇に散った皇子を慰める有間皇子まつりがあります。

観光施設としてよみがえった「鈴木屋敷」

観光施設としてよみがえった「鈴木屋敷」

写真:モノホシ ダン

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ところで、藤白神社の境内にある藤白鈴木家は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に122代で絶家し、江戸時代後期までに建てられた屋敷も老朽化により空き家になっていました。

その後、2015年(平成27年)に境内の一部が国の史跡となり、建て替えの機運が高まりました。

そこで地元有志らが寄付金を募り、鈴木姓の親睦団体や自動車大手「スズキ」などから約8500万円の寄付を受け、2023年(令和5年)3月に屋敷と庭園が復元されました。

観光施設としてよみがえった「鈴木屋敷」

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藤白の鈴木屋敷で有名なのは、鈴木三郎重家と亀井六郎重清の兄弟です。兄弟たちが幼少の頃に、牛若丸(のちの源義経)が熊野詣の際に必ず藤白の鈴木屋敷に滞在してともに遊び、敷地内には「義経弓立松」も残されています。

この鈴木兄弟は義経の家来として最後まで戦い、1189年(文治5年)の奥州平泉の衣川の戦いで、ついに最期を遂げたと言われています。

鈴木屋敷の復元にあたり、史跡のため新築ができず、座敷棟の柱や鴨居などには、元の材料が使われています。

観光施設としてよみがえった「鈴木屋敷」

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座敷棟からは、室町時代に造られた池泉庭園が望めます。復元された鈴木屋敷は、江戸時代のガイドブック『紀伊国名所図会』に描かれた敷地内の配置や建物の様子をそのままに、現在に受け継いでいます。

<鈴木屋敷の基本情報>
開館時間:10:00〜16:00
拝観料:300円
休館日:月曜と火曜(休日の場合は除く)、年末年始

藤白神社の基本情報

住所:和歌山県海南市藤白466
電話番号:073-482-1123
アクセス:JRきのくに線「海南駅」から徒歩約25分
車利用の場合は、阪和自動車道「海南IC」からすぐ、専用駐車場利用

2023年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2023/04/01 訪問

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