布団をめくって撫でて病気平癒のご利益を!京都亀岡・穴太寺

布団をめくって撫でて病気平癒のご利益を!京都亀岡・穴太寺

更新日:2017/04/28 18:47

旅人間のプロフィール写真 旅人間 はらぺこライター、旅ブロガー
京都亀岡の穴太寺に撫でると病が治ると信じられている「釈迦如来涅槃像」をご存知でしょうか?布団の上のお釈迦さまと言われ多くの人に親しまれています。穴太寺は西国三十三所巡礼の二十一番札所で、秘仏の「薬師如来」と「聖観世音菩薩」、そして「安寿姫・厨子王丸肌守御本尊」でも有名。「西国三十三所草創1300年」記念事業が開催され、2017年の5月と6月は特別公開もあります。この機会に足を運んでみましょう。

西国三十三所巡礼の二十一番札所「穴太寺」

京都亀岡市にある「穴太寺(あなおじ)」は西国三十三所巡礼の二十一番札所。寺伝によると705年(慶雲2年)に文武天皇の勅願により大伴古麿によって薬師如来を御本尊に安置し建立されたと伝わっています。現在の伽藍は江戸時代の中期から後期に再建されたものですが、いかにも古刹と言った雰囲気は万人を魅了する風格に満ち溢れています。

南から真っすぐ伸びる街道(京都府道407号)の突き当りに位置する穴太寺は、最初に堂々たる存在感の仁王門が目に飛び込みます。この路上の風景に見とれ門の正面に立って黄昏たくなりますが門の前は車が行き交うT字路。車には十分に注意し、この歴史を感じさせる風情を楽しんでみて下さい。

西国三十三所巡礼の二十一番札所「穴太寺」

写真:旅人間

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この仁王門をくぐり抜ける時、出来ればこの門の形をよく覚えておいて下さい。と言うのも、見事な庭園が見られる書院の客間には、1676年に描かれた「安納寺観音縁起絵巻」を参考に再建当時の穴太寺の様子を描いた襖絵があるからです。

この襖絵は歴史ある古いものではありませんが、仁王門も当時の姿でしっかり描かれています。当時と現在を見比べ想像するのは歴史好きにはたまらないはずですよ。

西国三十三所巡礼の二十一番札所「穴太寺」

写真:旅人間

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穴太寺の「薬師如来」と「聖観世音菩薩」

1728年(享保13年)に焼失した本堂は、7年後の1735年に再建されました。本堂の内部には正面須弥壇に三つのお厨子があり、三尊を安置しています。真ん中には御本尊薬師如来、向かって左側には札所御本尊聖観世音菩薩立像、右側に御前立札所本尊聖観世音菩薩立像です。

ただし、この薬師如来と観世音菩薩は秘仏で厨子の扉は閉まっています。観世音菩薩は三十三年毎の御開帳、薬師如来に至っては完全な秘仏で、今まで御開帳した記録はありません。

穴太寺の「薬師如来」と「聖観世音菩薩」

写真:旅人間

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この穴太寺には「聖観世音菩薩」に関する不思議な昔話があります。それは平安時代の頃、宇治宮成と言う貪欲な男が信心深い妻の勧めで京より仏師を招き観音様を造立した時の話。その仏師による観音様の出来栄えが素晴らしく、男は御礼に愛馬を仏師に贈ります。しかし途中で馬を惜しくなった男は仏師を弓矢で射殺し、馬を取り返したのです。

男が奪い返した馬を連れ自宅に帰ると、観音様の胸には矢が刺さり赤い血が流れ、観音様の目からも赤い涙が流れていました。その姿を見て自分の犯した罪の大きさを知り、急いで使いをやると仏師は生きていて、奪ったはずの馬も仏師の傍にいたそうです。男は観音様が身代わりになられた事を理解し心の底から改心しました。観音様は仏師の命だけでなく、その男を罪人にする事からも救ったのでした。

そのあと、観音様は男の夢に出て、お前に傷つけられた胸の傷が痛くてたまらない。近くにお薬師さんがいるお寺があるので、私をそこに納めて欲しいと言ったという。そのお寺が穴太寺で、これらのお話は「穴太寺観音縁起」で伝えられ、『今昔物語』や『扶桑略記』でも語られています。

穴太寺の「薬師如来」と「聖観世音菩薩」

写真:旅人間

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巡礼者が参拝の記念に貼りつけたお札が数多く残る本堂の壁や天井を見上げていると3つの丸い額が目に入ります。この額の両端の二つは観世音菩薩、そして真ん中は薬師如来のお姿をしていると言われているのですよ。

今まで御開帳の記録がない薬師如来を誰が何時描いたのかは不明ですが、江戸時代の享保13年にお堂が焼けた時、仏様をとり出し書院にお祀りしていたそうです。もしかすると、その時に薬師如来をご覧になった方が額にお姿を描いたのかもしれませんね。完全秘仏の薬師如来が厨子の中でお座りになっていると想像するだけでもワクワクしてきます。

穴太寺の「薬師如来」と「聖観世音菩薩」

写真:旅人間

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病を取り除いてくれる「釈迦如来涅槃像」

この穴太寺には、お布団をかぶっている「釈迦如来涅槃(ねはん)像」があります。このお釈迦さまは撫で仏としても知られ、自分の患っている場所を撫でると病を取り除いてくれると深く信じられているんですよ。

このお釈迦様に関する詳しい由来は不明ですが、不思議な逸話が残っています。それは大阪の天満に住む女性の孫娘が難病になり、病気平癒を祈り続けていると夢の中に仏さまが現れ「穴太寺の釈迦如来像に祈れば快癒する」とお告げがあったそうです。そこで住職に相談するが当時の穴太寺には釈迦如来像は無く、不思議に思った住職が皆を集め寺の中を調べると本堂の屋根裏から釈迦如来涅槃像が見つかり、堂内にお祀りし祈ると孫娘さんの難病は治ったと言う――これは明治29年のお話です。

現在も自分の病の個所と同じ尊像の部分を撫で、自分の体をさすり返すとご利益に授かると深く信じられています。布団をかぶっているのは「横になって寝ていたら寒いでしょ」と祈りが通じて病が治った人々が感謝を込めて奉納したもの。布団をめくると人々の願いで撫でられ釈迦如来涅槃像は優しく黒光り、温もりを感じるほど美しい。

※本堂の中は撮影不可です。以下の写真は特別に許可を得て撮影したものです。

病を取り除いてくれる「釈迦如来涅槃像」

写真:旅人間

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天上に目を向けると格天井になっていて、その格子の円の中には様々な植物や生き物の姿が描かれています。蟹が傘をさしていたり、伊勢海老が向かいあっていたり、蟹と柿と猿を描いた猿蟹合戦を彷彿させるものなど。正面の入口付近を見上げていると、少し分かりにくいですが、狩野幸信の文字も残っています。

病を取り除いてくれる「釈迦如来涅槃像」

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多宝塔を借景とした見事な穴太寺庭園

仁王門をくぐると正面には堂々たる本堂があり、左側には亀岡市で唯一の木造塔である多宝塔が目に入ってきます。少し丸みがあって柔らかい雰囲気は見ているだけでホッとしてきます。この多宝塔は1804年に再建されたもので、柱は全て円柱、そして東西南北には四神(玄武・白虎・朱雀・青龍)の彫刻がありますので、そこもお見逃しなく。

多宝塔を借景とした見事な穴太寺庭園

写真:旅人間

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本堂と長い廊下でつながる書院に来ると、その南側には茶室があり、そこからは見事な庭園が見られます。多宝塔を借景として、これに合わして築山と石組みの配置は安定感があり穏やかな風景を楽しめます。手前は私たちのいる場所が現世を示し、園池の向こうは極楽浄土を表現され、よく見ると舟付があり沖合に向けて出舟の形式もある。これは極楽から救いが来る様子だといいます。

ここから見える多宝塔の姿は特に美しく、池に映ってゆらゆらと揺らめく姿に心癒されます。少し座ってみると、あまりに心地よく、不思議なほど時間を忘れてしまう。尚、この穴太寺庭園は、江戸時代中期の京都府の文化財に指定されています。

多宝塔を借景とした見事な穴太寺庭園

写真:旅人間

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「西国三十三所草創1300年」記念の特別公開は必見!

西国三十三所は日本最古の巡礼路になります。そんな西国三十三所は2018年に草創1300年を迎え、2020年まで「西国三十三所草創1300年」記念事業が開催され普段は非公開のお堂や諸尊のご開帳、庭の公開や寺宝の観覧などが行われます。詳しくは下部MEMOの「特別拝観|西国三十三所草創1300年 いまこそ慈悲の心を」にてご確認下さい。

尚、穴太寺では本堂内にて安寿姫と厨子王丸の悲話の伝説に語られる「安寿姫・厨子王丸肌守御本尊」が特別拝観されます。期間は5月1日〜6月30日(2017年)。
山椒太夫に捕らわれた二人が過酷な責めを受けた時、肌に当てると傷が癒えたと言われる仏さまと言われています。穴太寺は厨子王丸をかくまった寺の一つと言われ、厨子王丸が立身出世した後、こちらに奉納し供養したと伝わっています。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/04/24 訪問

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