写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る本八幡駅から5分ほど歩くと、交通量の多い大通りに突きあたります。大通りに面している駐輪場のすぐとなりに、八幡の藪知らずはあります。
駐輪場と広さは大差なく、どんな恐ろしい場所なのだろうと思ってきた方は拍子抜けするかもしれません。ですがこの藪、江戸時代の紀行文や地誌にも記録が残るほどの歴史があるのです。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る過去の文献には「この藪大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず」「藪の間口漸く十間(約18メートル)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹薮にして、細竹・漆の木・松・杉・柏・栗の木などさまざまの雑木生じ――」などと書かれ、江戸時代から、せまいわりに木々が隙間なく生い茂っていたことが分かります。
またそういった文献には外観の説明だけでなく、「入ったら出られない」「祟りがある」などといった不吉な記述も見られ、江戸時代にも関わらず全国で名が知られていました。あの水戸黄門もかつて迷いこんだといわれています。水戸黄門は中で怪異に見舞われたものの、見逃されて抜け出せたそうです。その時のエピソードは錦絵となって、今でも後述する葛飾八幡宮に残されています。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見るこの藪の中に入ってはいけない理由ですが、諸説あります。
最初に葛飾八幡宮を勧請(分霊)した旧地だから、日本武尊が陣所とした跡だから、貴人の古墳だったから、毒ガスが発生しているから、平貞盛が八門遁甲(妖術の一種)を行い、今でも死門(あの世への門)の一角が残っているから、かつて平将門の家臣6人が泥人形と化した場所だから、などと、神聖さを理由とする説から危険な土地であることを理由する説まで様々です。
藪が生い茂っているため外からではまったく分かりませんが、この八幡の藪知らずの中央はへこんでおり、そのへこみが放生会(殺生を戒めるため獣や魚を自然に放す儀式)のための放生池の跡地なのでむやみに入ってはいけないという説もあります。
入ってはいけない理由を知る者が誰もいなくなり、決まりだけが残ったため、様々な説が都市伝説のように生まれているのが、今の状態です。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見るこの八幡の藪知らずですが、すぐ近くにある葛飾八幡宮が社宝として管理しています。
葛飾八幡宮は宇多天皇の勅願により石清水八幡宮から分霊されて誕生しました。祭神は誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依比売命です。
下総国における八幡信仰の中心地として支配者層から民衆まで幅広く愛され、平将門から幣帛(紙への捧げ物)を受けたほか、源頼朝による社殿の改築、徳川家康による御朱印地社領52石の寄進など、時の権力者からも援助をされています。八幡の藪知らずを抜きにしても一度は訪れたいスポットです。
葛飾八幡宮の社宝として管理されながらも、今なお畏敬の対象とされる八幡の藪知らず。あなたも謎に包まれたこの小さな藪を一度のぞいてみませんか?
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/4/26更新)
- 広告 -