写真:ゐさ よりこ
地図を見るチェコ第2の都市で、モラヴィア地方最大の都市であるブルノ。世界では「国際見本市の開かれる街」としても知られるところです。中世の街並みをそのまま遺したブルノの旧市街は、プラハとはまた違う、どこかのんびりした風情を漂わせていますが、実はそれは「地上の顔」とも言うべき姿。実は、ブルノにはもうひとつの「顔」があります。それは、地下。
11世紀から続くブルノの街には、広場をはじめとして地下にたくさんの空間があるのです。
その地下空間の中で、最も有名なところが、聖ヤコブ教会の地下。この地下室は、ヨーロッパで2番目に大きいとされる、地下納骨堂なのです。
(ちなみに……1番目に大きい納骨堂はフランス・パリのカタコンベ。)
写真:ゐさ よりこ
地図を見る自由広場のすぐ近くに建つ「聖ヤコブ教会(Jakubske namesti)」は、ブルノの街のシンボルにもなっている、13世紀建造の教会です。この荘厳なる教会の横に、納骨堂の入口があります。
その存在は長らく秘められ、2001年に行われた発掘調査でようやく発見されました。納められている数50,000体分以上とも推定されている納骨堂は、その後の調査で、13世紀から16世紀にかけて、「最後で最大の宗教戦争」とされる30年戦争や、当時大流行したペストをはじめとする疫病などの犠牲者が埋葬されていることが分かりました。2009年から一般公開され、現在ではブルノの名所にもなっています。
埋葬されている犠牲者は、もとは、「お墓」と聞いて思い浮かぶような、十字架の立つ墓地に埋葬されていました。死者が増えて墓地が手狭になってきたため、以前に埋葬した遺体を掘り起こして洗い、納骨堂に納めることで再び埋葬地を確保していったのです。ヨーロッパには、同様の経緯を経て造られた納骨堂が、チェコの他の街にも、チェコ以外にも、多く遺されています。
写真:ゐさ よりこ
地図を見るトラムの乗り場を背にして階段を下り、入口で簡単な説明を受けてから入ると、そこには、おびただしい数の骨が!ゴツゴツしている壁は、石ではなくほぼすべて人骨です。
壁を中世の人の頭蓋骨と大腿骨が隙間なく埋め尽くしている様は、圧巻。中央に建つ太い柱も人骨がびっしり。ヨーロッパ中世は、これだけ多くの人が亡くなってしまうほどの出来事が度々起きていた時代だったのですね……。
写真:ゐさ よりこ
地図を見る最奥部には祭壇があり、死者に対して祈りを捧げていたことも分かります。これだけの人骨が並ぶと、「自分も将来こうなるんだな……」という、現代人が抱く死への恐れよりもむしろ、中世の人が抱いていた死に対する畏敬の念のほうが強く出てくるようで、神秘的で、荘厳さも感じられます。
写真:ゐさ よりこ
地図を見る主にドイツと、このブルノの街があるチェコを舞台にして繰り広げられたとされる30年戦争。土地不足という現実的な事情に迫られたとはいえ、このように大規模な納骨堂を築き、街の中で守り続けてきたブルノの街の歴史は、過去に街の中で争いに巻き込まれて死んでいった人達を悼み弔う気持ちに基づくものでもあるのでしょう。人類が争いと、死にゆく者への祈りを積み重ねてきた存在であることは世界共通だと、改めて思い知らされます。
ガイコツが怖くてどうしてもダメ!という人でなければ、納骨堂は、ヨーロッパのもうひとつの顔とも言える文化と歴史を垣間見られる、ブルノの良質な観光施設です。
ヨーロッパ第2の規模ではありますが、だだっ広いものではなく、実際の大きさはブルノの街のようにコンパクト。数十分もあれば、隅々までその神秘的な様をしっかり鑑賞(?)できます。閉館日の月曜日を避けて、ブルノの地下に広がる神秘の空間を、じっくりとご覧ください。
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(2024/4/24更新)
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