写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る東光寺の入り口となる総門。ベンガラがぬられているため赤い色をしており、慧極(江戸時代前期の黄檗宗の僧侶)の書いた額が下げられています。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る「護国山」と書かれている額には「元禄癸酉六年孟春吉日」(1693年)と年期が記されており、東光寺創建から間もなく書かれたことが分かります。門自体もその頃に建てられたとされ、国の重要文化財に指定されています。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る総門を抜けると、前方に巨大な三門が見えてきます。この門は1812年に完成し、国指定重要文化財に指定されています。三間三戸二階二重門(柱間と戸口が3つあり屋根が上層と下層にある門)で、渡された桁の長さは11.6メートルという威風堂々とした門です。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る三門を抜けると見えてくるのが大雄宝殿です(黄檗宗では本堂を大雄宝殿と呼びます。中国、韓国では今でも本堂のことをこう呼び、ベトナムでもこの名称が使われることがあります)。ここには毛利吉就の妻・長寿院の寄付によって、釈迦如来、脇士迦葉尊者、阿難尊者が祀られています。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る境内で一際目立つ、つり下げられた巨大な魚の彫刻。これは開ばん(※かいばん、魚板とも)と呼ばれる木魚の原型です。現在の木魚は魚を象っていると一目では分かりませんが、この開ばんは極めて写実的な魚の形をしています。
魚を象った理由は諸説ありますが、有名なものとしては、「目を閉じない魚のようになまけず修行にはげむように(たたくことによる眠気覚まし)」という説が挙げられます。
余談ですが、この開ばんが今でも見られる他の場所としては、同じく黄檗宗の萬福寺(京都府宇治市)があります。元々木魚を本格的に使い始めたのが黄檗宗開祖の隠元隆gであり、木魚と黄檗宗は切っても切れない関係であることが分かります。
※開ばんの「ばん」は、きへんに邦
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る毛利家墓所の奥には、毛利家一族の萩藩三代藩主毛利吉就から十一代藩主毛利斉元までの奇数代の藩主と、その夫人の墓があります。両脇にあるのは彼らの子や孫、側室、侍女の墓です。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る墓所には500を超える石灯籠が左右対称に並んでいます。これは毛利家の家臣が寄進したもので、仕えていた藩主とその夫人の法名、そして寄進者名が刻まれています。
また、寺の中にも関わらず鳥居があるのは神仏習合の名残であり、ここが毛利家の眠る神聖な空間であることを示す意図があるといわれます。周囲が森におおわれ静まり返った空間に並ぶ石灯籠からは、かつて萩を納めた毛利家と、彼らを取りまく人々の息づかいが感じられる気がします。
吉田松陰や伊藤博文など、日本を変えた偉人たちを多く輩出した萩。ですが、萩が繁栄したのは萩城を建てて城下町を築いた毛利輝元とその子孫のおかげといっても過言ではありません。
萩を訪れた際は、ぜひ萩の繁栄のきっかけとなった毛利家一族の眠る東光寺に訪ねてみてくださいね。
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(2024/4/27更新)
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