岡山県庁側が正面。大手門となります。そこに架かるのが目安橋。藩主が池田光政治の時代。領民の意見を聞くための意見箱が橋のたもとに置かれたことから、この橋を目安橋と呼ぶようになりました。
岡山県の桜は3月下旬から咲き始め、4月中は楽しむことが出来ます。石垣の上に咲く桜。石垣が桜の美しさを引き立て、日本の良さが感じられるのではないでしょうか。この日本らしさこそが、外国人への人気急上昇中の理由かも知れません。
本丸に近づくと、更に見事な石垣が見えてきます。ここは時代の流れ、歴史の重さが感じられる場所かも知れません。
「岡山」と言う地名は岡山城があるこの場所が最初と言われます。宇喜多秀家(元亀3年(1572年)−明暦元年(1655年))は旭川の川筋を整備し、その土をこの地に盛り上げて岡山城本丸の土台を作ったと言われています。城が築かれることによってこの地は広く認知され、同時に岡山と言う地名も知られることとなったようです。
それでも築城年そのものは更に古く、南北朝時代の正平年間(1346年−1369年)頃とされます。「備前軍記」によれば名和氏一族の上神高直が最初の城主であり、その後150年間は記録が定かではありません。その後明治6年に廃城となるまで、宇喜多氏、小早川氏、池田氏が主な城主となっています。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦で有名になったのは小早川秀秋です。西軍であった宇喜多秀家は八丈島に流刑となり、備前・美作52万石の大名として小早川秀秋が入場するのです。しかしながらわずか2年後に秀秋は急死。小早川家は断絶してしまいます。そして姫路城の城主、池田輝政の次男である忠継が岡山城を継ぐことになるのです。幼少であった忠継なので、兄の利隆が支える形となりました。
黒漆塗りで「烏城」とも呼ばれる不当変五角形の岡山城。城壁が黒い城は他にも熊本城、松本城があげられます。一般的に黒色が戦国の流れをくみ、威圧効果を考えており、姫路城に見られる白色は芸術的要素も含まれていると言われます。
豊臣時代には防腐剤としての効果で渋柿と黒漆を使い、これは同時に耐火性にも優れていたと言われます。色の違いは大ざっぱですが、関ヶ原の合戦前が黒系、後が白系。関ヶ原以降は漆喰の技術が高まったことから、白系が多くなるのです。しかしながら、きっちりと線引き出来るものでもありませんので、あくまでも目安です。
それでもこのような視点で城を眺めてみるのも、楽しい時間ではないのでしょうか。
金の鯱鉾と言えば名古屋城が有名ですが、そもそもの始まりは織田信長と言われ、本格的な天守閣の始まりは織田信長であり、そこに金の鯱鉾が使われたとされます。では岡山城ではどうか。発掘調査ではまだ見つかっていないのです。しかし金箔の軒丸瓦等が見つかっていることから、安土桃山時代の城は、一般的に金の鯱鉾があったであろうと考え使っているのです。
なお、岡山城内には烏城の七不思議というものがあります。ぜひ、読んでみて下さい。抜け穴の話等、面白い物があります。
宇喜多秀家時代の石垣が残されており、見学することが出来ます。なお、城そのものに入らなければ、公園として無料で楽しむことが出来、この辺りも自由に行くことが出来ます。
香川県豊島産の凝灰岩(豊島岩)を使った切石の穴蔵。もともとは屋根があり、非常用の食糧庫だったのではないかと考えられています。
考えられている、ということで本当のところは分かっていません。どのような目的だったのか、色々と推理するのも楽しいのではないでしょうか。
桜が魅力の岡山城ですが、一年を通して様々な魅力があります。また、後楽園は有名な三名園の一つですから必見と言えるでしょう。
また、周辺には岡山の代名詞ともいえる桃太郎に関連する神社や歴史的見どころが。これらの詳細は下記の関連MEMOにリンク設定していますので、ぜひご覧のうえ、旅行の参考として下さい。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索