写真:藤 華酉
地図を見るマルタ騎士団、と言う名前はもしかすると聞き覚えがないかも知れません。では「ロードス騎士団」「ヨハネ騎士団」という名前はどうでしょうか。
いずれも発生は同じで、イスラエルから退いた十字軍のヨハネ騎士団がロードス島に移り、ロードス島をオスマントルコ帝国に追われてマルタ島に移り、マルタ騎士団を名乗るようになりました。そんな経歴から、マルタ騎士団はガチガチの武闘派でした。マルタ共和国の首都、世界遺産の「ヴァレッタ」は、二重の城壁に囲まれたヨーロッパ最強級の城砦都市です。
その上、マルタ騎士団はまだ健在である、と主張しています。最近ではコンドームの使用を巡り、ローマ法王とマルタ騎士団が意見を相違して抗議が行われる、なんてニュースが21世紀に現在にさえ発生しました。マルタ騎士団は現在に生きる騎士団なのです。
写真:藤 華酉
地図を見るところで、ヴァレッタで観光客泣かせなのが、この非常に細かい坂道の階段。ハイヒール殺しです。
この階段は、重い甲冑を着た騎士が高く足を上げずに歩けるよう設計されたものです。こうした構造からも、ヴァレッタが戦闘第一・騎士ファーストで設計された街である事が伺えます。
写真:藤 華酉
地図を見るヴァレッタの中心部に建つのが「騎士団長の宮殿」。山の上にガツンと建つような「城」ではなく、作戦本部と言った雰囲気です。
コの字型、バロック調の質実剛健な造りですが、廊下の大理石や鉄柵の意匠などに堅実な美が宿っています。部屋を飾る巨大な絵の数々は、マルタ騎士団の活躍を誇るものが多く、若干血なまぐさいのも魅力的ですね。
写真:藤 華酉
地図を見る騎士団長の館は、現在の名を国会議事堂と言います。マルタ共和国の国会はいまだにこの館で開かれており、時期によっては長期閉館してしまう点にご注意下さい。しかしそんな時期は、生きている現在のマルタ騎士団の人々が此処に集結していると言う意味でもあります。
写真:藤 華酉
地図を見るマルタ騎士団の前身、今はギリシャ領となっているロードス島の旧市街ロドスの城壁は、それはそれは素晴らしい城壁でした。三重の城壁は、最も高い箇所で10mを越え、深い堀と無数の銃眼が敵を迎え撃つ完璧な城砦だったのです。
ロドスがどれ程強固だったかと言えば、10万人のトルコ兵に対して1000人の騎士団と町人で迎え撃ち、半年もの間町を守ったと言う奇跡的な歴史に示されています。騎士達の余りの奮闘ぶりに、当時のオスマントルコのスレイマン1世は、ロドスの騎士達を処刑する事なく、追放しました。のちにオスマントルコはこの選択を後悔する事になるのですが、ともかくロドスの旧市街は陥落してしまったのです。
命からがら、新天地マルタ島に辿り着いた騎士団。ヴァレッタがロドス以上の要塞都市として設計されるのは自明の理でした。
写真:藤 華酉
地図を見るかくして海に迫り出す、マルタの迫力ある城壁が築かれたと言う訳です。
この城壁は見事にロードス島での雪辱を果たしました。1565年、またしても攻めて来たスレイマン1世のオスマントルコ軍を今度は打ち破ったのです。
今回は、超有能な施政者だったスレイマン1世の急死や、流石にイスラム教徒の侵略に竦みあがった各国の協力もありましたが、勝利は勝利。以後、マルタ騎士団は対イスラム教徒への最後の砦として名声を高め、各国の寄進を集めて、益々栄えて行きます。
写真:藤 華酉
地図を見るヴァレッタの先端、「聖エルモ砦」は現在はイベント時のみの開放となっています。しかし陸地側の城壁は遊歩道が整備され、内部がレストランになっていたり、上まで登って眺めを楽しむ事が出来るようになっています。青い海が眩しい昼間はもちろん、夜景も素晴らしいですよ。
写真:藤 華酉
地図を見る派遣先に敵が攻めて来る為、武闘派として発展したマルタ騎士団ですが、彼らの本職はイスラエルへ向かう巡礼者の保護と救済、治療でした。
ヴァレッタに建築された病院は16世紀からのもの。当時の先端医療施設です。現在も残る建物は城館よりも更に実用的な、石造りの建物。「騎士団施療院」では、当時の医療現場をマネキンやミニチュアで覗き見る事が出来ます。
今となっては恐ろしくて直視できない治療や、効果の程を怪しんでしまうような治療風景も展示されており、当時の文化の一端を感じ取れますね。
写真:藤 華酉
地図を見る「騎士団施療院」の地下は、以前は地下牢だった事もあるようです。地下の展示は雰囲気がガラッと変わり、死体安置所や埋葬の様子を展示しています。
何しろ実際に死体が置かれていた場所ですから、迫力は満点。血なまぐさくて不気味なのも中世ヨーロッパの魅力の一つ。夏でも涼しい地下で、負の中世に触れてみて下さいね。
写真:藤 華酉
地図を見る何はともあれヴァレッタを訪れた人々が必ず見学するべきは「聖ヨハネ大聖堂」でしょう。金の装飾、大理石の柱、ラピスラズリをはじめとする輝石を埋め込んだ床……どこを切り抜いても富の塊です。
宿敵オスマントルコを退けた後のマルタ騎士団は黄金時代を迎え、有り余る富で贅沢三昧を繰り広げていました。その為に近代に入ってからは再び戦禍を蒙るのですが、幸いにして大聖堂は焼ける事もなく無事に済みます。
そこで注目して頂きたいのが、教会の壁を飾る紋章の数々。
写真:藤 華酉
地図を見るマルタ騎士団には、ヨーロッパ各国から人材が集まっていました。聖ヨハネ大聖堂は、その区画ごとに「イタリア」「フランス」「ドイツ」など、各国の騎士の墓、祭壇、そして紋章が飾られているのです。全体としての調和は取れていても、ひと区画ごとに異なる内装に是非ご注目下さい。
お気に入りの内装は決まりましたか?そのセンスが気に入ったなら、次はその騎士の生まれ故郷を旅するのも楽しいかも知れませんよ。
海が綺麗で食事が美味しい、マルタ共和国はヨーロッパの人々の夏の最高のリゾート地です。しかし、世界遺産に登録されているヴァレッタ旧市街の騎士団の歴史も見逃すには余りに惜しいもの。目が潰れる程の金銀財宝、ヨーロッパの盾となった堅牢な要塞、そして生きた中世の気配。今は平和な青い海と共に、是非争いの歴史に思いを馳せにマルタ島を訪れてみて下さい。
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(2024/4/26更新)
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