ベートーヴェンは1770年、ドイツのボンに生まれます。初めてウィーンを訪れたのは17歳の時のこと。モーツァルトと出会ったのもこの時です。しかし、母危篤の知らせにより、わずか数ヶ月でボンへ戻らなければなりませんでした。再びウィーンへやって来たのは22歳の時、以後、故郷へ帰ることはなく、1827年に56歳で没するまでの35年間をこの地で過ごしました。
写真は旧市街をぐるりと取り囲む大通り、リンクシュトラーゼのすぐ外側のベートーヴェン広場にある彫像です。台座には楽器を手にした天使たち。「楽聖」と讃えられた偉大な作曲家にふさわしい、威厳たっぷりの姿です。
この像が造られたのは1880年。作者は当時のオーストリアを代表する彫刻家カスパー・フォン・ツムブッシュ。美術史美術館と自然史博物館の間に立つマリア・テレジア像や旧陸軍省の前のラデツキー将軍像なども彼の作品です。
「引っ越し魔」としても知られるベートーヴェン。ウィーンではなんと79回も引っ越しを繰り返しました。
ベートーヴェンの住んだ家の中には今も残っているものもあり、そのうちのいくつかは一般に公開されています。ウィーン旧市街でかつてのベートーヴェンの住居として公開されているのが「パスクァラティハウス」。今はベートーヴェンの記念館となっています。
この建物は当時宮廷の御用商人だったパスクァラティ男爵の持ち物で、ベートーヴェンはこの家の最上階である5階部分に1804〜1815年の間、断続的に住んでいました。彼はここで交響曲第4番、第5番「運命」、第7番、オペラ「フィデリオ」などを作曲しました。誰もが知るピアノ曲「エリーゼのために」が作曲されたのもこの家です。
記念館の内部にはベートーヴェンが実際に使用したピアノ、直筆の楽譜や手紙、彼のデスマスクなどが展示されています。
ピアノはシュトライヒャーの製作。ベートーヴェンは1809年からこのピアノを愛用していました。5つのペダルがついているところが現代のピアノと大きく違いますね。館内にはベートーヴェンの作品を聴けるコーナーもありますよ。
アン・デア・ウィーン劇場は1801年に建てられました。ベートーヴェンはこの劇場の音楽監督となり、自らも2階部分に住んでオペラ「フィデリオ」の改稿を進めました。 交響曲第2番、第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、ピアノ協奏曲第3番などがベートーヴェン自身の指揮で公開初演されたのもこの劇場です。
現在、劇場は大きく改修されていますが、北側には当時の建物の一部である「パパゲーノ門」が残っています。
門の上にあるのはモーツァルトのオペラ「魔笛」に登場する「パパゲーノ」の彫像。実はこのアン・デア・ウィーン劇場を創建したのは、モーツァルトのオペラ「魔笛」の台本を書いたエマヌエル・シカネーダーという人物です。歌手、俳優でもあった彼は「魔笛」で大成功をおさめたのを記念して、パパゲーノを演じる彼自身と、一緒に出演した3人の息子達を彫像として表しました。
王宮のすぐ近くにあるウィーン演劇博物館には「エロイカホール」と呼ばれるホールがあります。「エロイカ」はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」にちなんだ名前。
この建物はかつてベートーヴェンの有力なパトロンであったロブコヴィッツの宮殿でした。1804年12月、ベートーヴェンはこの宮殿内のホールで、ロブコヴィッツをはじめとする彼の支援者に向けて交響曲第3番を非公開で初めて演奏します。
大劇場とは違うこぢんまりとしたホール。天井には美しいフレスコ画が描かれています。当時の上流階級が集った音楽サロンの雰囲気が感じられる空間です。
また、 ベートーヴェンの交響曲では「7番が好き」という方も多いのではないでしょうか。 二ノ宮知子さん原作の「のだめカンタービレ」で使用され、一躍有名になった第7番。この曲が公開初演されたホールもウィーン旧市街にあります。
第7番は1811〜12年に作曲、1813年12月にシュテファン大聖堂近くのウィーン大学講堂で初めて公開演奏されました。その後、大学は移転しましたが、講堂の建物は残り、現在はオーストリア科学アカデミーの本部となっています。
そして、交響曲第9番。日本では年末にコンサートが多く開かれますが、この壮大な交響曲が初演されたのもまたウィーンでした。
場所は王宮にほど近いケルントナー・トーア劇場。劇場はその後取り壊されてしまいましたが、その跡地には現在、ザッハトルテで有名なホテル・ザッハーが建っています。
第9が初演されたのは1824年。ベートーヴェンはすでに50歳を過ぎ、この頃には耳の病気が悪化して聴力はほとんど失われていました。にもかかわらず、指揮台に上がり、演奏を行ったベートーヴェン。曲が終わり、盛大な拍手がおこってもそれが聞こえず、彼は楽団の方を向いたままでした。見かねた歌手の一人が近づいて彼を聴衆の方へ向け、そこで初めて成功を知ったというエピソードが残されています。
ベートーヴェンは、それまで上流階級の娯楽あるいは教養の一つととられていた音楽を芸術として確立し、自らも芸術家として生きた初めての音楽家といわれます。
美しいウィーンの町並みの中、ベートーヴェンの時代に思いをはせながら、散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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(2024/4/26更新)
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