常滑焼は、古くから産地として栄えており、平安時代後期には、壺や皿などが焼かれていました。
日本古来の陶磁器窯で中世から現在まで生産が続いている6つの産地を「日本六古窯」と呼んでおり、常滑はその中でも最も大きな産地。
丘陵地の形状であり、窯を築くのに適しており、明治後期から「レンガ煙突」の石炭窯が普及。しかし、昭和40年代に大気汚染が問題になり、燃料がガスや石油などに変換。
時代の推移により、登り窯、レンガの煙突、タールを塗り込んだ黒板壁の工場なども不要になったのですが、工夫を重ね、使用されなくなったものが、今は、重要なオブジェとして目に飛び込んでくるでしょう。
建物は、飲食店、ギャラリー、陶磁器店など、おしゃれな空間に生まれ変わっています。
このような取り組みを後押しするように、町おこしにより「常滑焼き物散歩道」が整備され、焼き物の里として多くの旅行者が訪れています。
マップも完備されており、短時間で観光ポイントを回ることが出来るでしょう。アップダウンのある地形であり、運動不足解消にもおススメ。
常滑焼の代名詞は、急須。
急須は重要無形文化財の指定を受け、その技術を保持する人ということで、故山田常山氏は人間国宝に認定されています。
急須に含まれる酸化鉄(ベニガラ)は、お茶の成分であるタンニンと反応し、まろやかな味わいで飲用することができるでしょう。
朱色の急須は、「気」を養い、「栄」を招く縁起物でもあるとも言われています。
散歩道のあちこちで扱われていますので、「お茶を飲むこと」を見直すきっかけとして、購入をお勧めします。
散策コースには、でんでん坂、土管坂、男坂・女坂、上天の坂、ねぎとりの坂、窯坂など多くの坂があります。
この中でも「でんでん坂」と「土管坂」は、焼き物散策道を象徴する街並みをつくりあげているでしょう。
常滑市指定有形文化財「廻船問屋瀧田家」横の坂は、「でんでん坂」と言われており、常滑の港が一望することができる場所。なぜ、「でんでん坂」と言われていたかと言うと、「この丘が通称でんでん山と呼ばれていたから」と案内板に記載されていますが、「船が来ると、でんでん太鼓をたたいて知らせたから」という説もあります。
廻船問屋瀧田家は、廻船と言われる船を用いて積荷の輸送等を行い、繁栄しました。
ここで働く人たちは、常滑港に帰還してくる船をこのでんでん坂から見ていたのでしょう。
「でんでん坂」から南に少し進むと「土管坂」が見えます。
国土交通省手づくり郷土賞「ふるさとの坂道30選」にも選ばれており、常滑で一番有名な坂でしょう。
製造工程で製品化できなかった、明治時代の土管や昭和初期の焼酎瓶などが壁を覆い、焼き物が埋め込まれている様子は、圧巻。下から見て、左側の壁には土管が、右側には甕が積まれています。
左側は土管屋さん、右側は焼酎瓶の製造元だったそうです。
「とこにゃん」の愛称で親しまれる巨大招き猫。高さ3.8メートル、幅6.3メートのオブジェであり、常滑観光の目玉として観光客の目を引くことでしょう。何と言っても常滑は、招き猫生産量が日本一であることもあり、このオブジェが作られた意味が分ります。
高台にある「とこにゃん」が見下ろす通りは「とこなめ招き猫通り」。この通りには、「御利益陶製招き猫」が飾られ、招き猫の街を演出していることでしょう。
招き猫は、「右手挙げ」は、金運を招き。「左手挙げ」は、客を招くといわれます。日本独特の縁起物として、庶民に親しまれています。
常滑の一昔前は、焼き物工場が多かったのですが、時代のうねりと伴に様変わりをしました。
その変化をチャンスとして捉え、工場跡を改良し、陶磁器販売の店を営む「SPACEとこなべ」。
赤い看板が目印になっています。
むき出しの梁や当時使っていた機械等を残しつつ、商品展示をしており、良い意味での重厚感が醸し出され、その臨場感が、商品である「焼き物」の良さを引き立てています。
この店の素晴らしさは、急須に水を入れ、お湯の切れ具合、使い勝手などの様子を確認させてくれること。見た目の急須を第一とせず、使い手であるお客さん側に立つ姿勢が、独自の手法として、取り入れられています。お客さん本位であり、急須を使う人へのやさしさを感じることが出来るでしょう。
また、女性オーナーは、「迷ったら買わない」が私の考えですと、お客さんとの会話の中で語っておりました。
毎日使う急須、店の方にじっくり話を聞き、購入することをお勧めします。
若いカップルが、マップ片手に楽しそうに散策している光景をあちらこちらで見かけます。古い建物を現代にアレンジした陶磁器展や飲食店もあり、歴史を掘り起こして、「形」にしていく姿に日進月歩の言葉が思い浮かびます。
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