写真:島塚 渓
地図を見る「河原町妻入商家群」は、商人の家を中心とした伝統的な町家が立ち並ぶ地区。建物の妻側(つまがわ:長方形の家の短い辺にあたる部分)に玄関がある構造を“妻入り”と呼び、統一感のある昔ながらの家がずらりと並んでいます。
現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、篠山城が築かれた約400年前の雰囲気を今に伝える場所となっています。
写真:島塚 渓
地図を見るこの「河原町妻入商家群」のなかにある美術館が「丹波古陶館」。篠山地方で古くから製造されている丹波焼(たんばやき)を専門に扱う美術館です。
丹波焼とは篠山市今田地区付近で作られている焼き物で、その歴史は平安時代末期から続いているとのこと。現在でも約60軒の窯元があり、全国でも屈指の焼き物づくりが盛んな地なんです。
写真:島塚 渓
地図を見る「丹波古陶館」では丹波焼の初期から江戸時代末期までの代表的な作品が展示されています。
丹波焼は主に壺や甕、すり鉢といった日用品を中心に生産されており、特に平安末期や鎌倉時代に作られたものには、堅牢で力強い作品が多く残ってるのがポイントです。
これら中世のものは“紐作り”といって、細長く伸ばした粘土を巻き上げるように積み上げて成形されているんです。何百年も昔の人の仕事っぷりを想像するだけで、なんだかワクワクしてきませんか!
写真:島塚 渓
地図を見る赤い鳥居がトンネルのように続いているのが目印の「平左衛門稲荷神社(へいざえもんいなりじんじゃ)」。この“平左衛門”とはお稲荷様が相撲取りに化けて出たときの名前。
このような変わった名前が付いたのには、あるエピソードが関係しています。
江戸時代、篠山城主を務めていた青山忠裕(あおやまただひろ)は、負けず嫌いのお殿様として有名でした。しかし、将軍の前で開かれる相撲大会では毎年負け続き。
それがある年の篠山藩の相撲取りたちだけは以上に強く、連戦連勝だったということです。後になって調べてみると彼らはお稲荷様が化けた姿だったということが分かりました。
このお話をもとに平左衛門稲荷神社は、別名「負けきらい神社」とも呼ばれて、今でも信奉されています。
写真:島塚 渓
地図を見る「平左衛門稲荷神社」は今では商売繁盛や合格成就の神様として信仰されています。
また、春には少年相撲大会が開催され、「負けきらい稲荷」の発祥にふさわしい場所として現在でも親しまれています。
写真:島塚 渓
地図を見るさきほど紹介した「平左衛門稲荷神社」のすぐそばにあるのが、「王地山陶器所」。もともと江戸時代後期に京都の陶工、欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)を招いて、この地で製陶をはじめたことがきっかけになっています。
明治になると廃窯となり、一時はその伝統も途絶えてしまいますが、昭和63年に復活して当時の技法をもとに現在でも製作されています。
写真:島塚 渓
地図を見る代表的な王地山焼の作品が、高級品としても有名な青磁の器や花瓶。江戸時代に製作されていたときから名高い、まさに王地山焼の代表格と呼べるものです。
深い青が美しい青磁は今でも多くの人を引き付ける力を持っているので、ぜひ1度その目で確かめてきてください!
「河原町妻入商家群」は江戸時代の風情を残す、ノスタルジックで魅力的な場所。ここは歩いているだけでもワクワクしてくる町ですが、周辺には個性豊かな観光スポットが点在しているので、こちらも見逃せません!
それぞれのストーリーを知っておくと、さらに魅力が増していく場所ばかりなので、観光ガイドを参考にぜひ足を運んでみてください。
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(2024/4/20更新)
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