大本山正覚院は「本島」のほぼ中央に位置します。本島港からは西方向。正覚院は通称山寺と言われる通り、山の奥と言える場所で上り道が続きます。レンタサイクルで島巡りをしている場合は、坂道の手前で自転車を止めて歩きましょう。上り道は約15分。心地よい運動と言えるかも知れません。
やがて参道が正面に見えてきます。参道の右手に彫られているのが不動尊。願掛け不動と呼ばれパワースポット!
これは空海作とも言われています。空海が唐に渡る前、正覚院で修行し不動尊を刻んだというのです。後に密教の大聖地「高野山」を築きますが、弘法大師が、若き日に修行した場所は四国本土だけではない、ということにも繋がります。
山門に至る道の石段は不規則になっています。足元には十分に注意をしましょう。
見上げる山門。これが塩飽の山寺の佇まい。この地は聖宝理源大師御生誕地としても長い歴史を誇っています。
約千二百年前、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が備前の国、稗田山殿(今の倉敷市児島付近)の大木を取りよせ、一本の木から三体の仏像を刻んだのが最初とされます。現在の三十三年毎に開扉する秘仏は国指定の重要文化財ですが、平安、鎌倉時代の作となります。
その後、坂上田村麻呂が桓武天皇の勅願で七堂伽藍を建立したとされます。三度の火災に見舞われて、現在の建物は江戸時代の物ですが、古い歴史の場所であることに違いは無いのです。
鐘楼を右手側、石段を挟んで左にある黄色い塀。そこにある五本線は天皇の勅願を受けた場所を意味し、仏教界でも最も位の高い寺であることになります。
理源大師について触れます。後に京都の世界遺産である醍醐寺を建立。それが四十三歳の時です。
名は聖宝であり諡号が理源大師で、聖宝理源大師と呼ばれることもあります。天長九年(832年)二月十五日にこの地に生誕したとされ、天地天皇の六世孫にあたり、空海の実弟である真雅の弟子入りしたのが十六歳の時。年齢的には空海や真雅よりも年上となります。
敷地内にある身代り不動。様々な災害から守ってくれる不動尊ですので、参道入り口の願掛け不動尊同様に手を合わせて、祈りを込めて見てはいかがでしょうか。
鐘楼左手、山門からは正面に石段があり、上に上がることが出来ます。きれいな黄色い塀を左手に見ながら、足元に注意して上りましょう。
石段の上にあるのが観音堂です。床下の柱に昔の千石船の舵が使われ、とても珍しいお堂となっています。
ところで、正覚院には様々な文化財があります。観音菩薩像はもちろんですが、鰐口や弘法大師が保持していたとされる五鈷、法然上人自筆の六字の御名号等、まさに歴史ある古寺と呼ぶにふさわしい場所なのです。
丸亀市・本島は風光明媚なことからも、景色を眺める、散策をする等で楽しむことも出来ます。また、正覚院の他は、ほとんどの場所でレンタサイクルにて周ることが出来ますので、島の観光に活用しましょう。
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