丸亀本島「正覚院」は行基、空海所縁のパワースポット!

丸亀本島「正覚院」は行基、空海所縁のパワースポット!

更新日:2017/05/26 15:25

岡山県倉敷市児島と、香川県丸亀市のどちらからでもフェリーで行くことが出来るのが丸亀市「本島」です。中でも訪れておくべき場所が正覚院(通称は山寺)で千二百年の歴史を誇る大本山。

行基菩薩開山の起源があり、三十三年毎に開扉する秘仏があります。坂上田村麻呂が勅願で建立した七堂伽藍という歴史を持ち、更には渡唐前の空海が不動尊を刻んだ場所とされ、お参りすると願いが叶うというパワースポットなのです。

大本山正覚院に至る道

大本山正覚院に至る道
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大本山正覚院は「本島」のほぼ中央に位置します。本島港からは西方向。正覚院は通称山寺と言われる通り、山の奥と言える場所で上り道が続きます。レンタサイクルで島巡りをしている場合は、坂道の手前で自転車を止めて歩きましょう。上り道は約15分。心地よい運動と言えるかも知れません。

やがて参道が正面に見えてきます。参道の右手に彫られているのが不動尊。願掛け不動と呼ばれパワースポット!

これは空海作とも言われています。空海が唐に渡る前、正覚院で修行し不動尊を刻んだというのです。後に密教の大聖地「高野山」を築きますが、弘法大師が、若き日に修行した場所は四国本土だけではない、ということにも繋がります。

大本山正覚院に至る道
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山門に至る道の石段は不規則になっています。足元には十分に注意をしましょう。

大本山正覚院に至る道
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見上げる山門。これが塩飽の山寺の佇まい。この地は聖宝理源大師御生誕地としても長い歴史を誇っています。

大本山正覚院とは

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約千二百年前、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が備前の国、稗田山殿(今の倉敷市児島付近)の大木を取りよせ、一本の木から三体の仏像を刻んだのが最初とされます。現在の三十三年毎に開扉する秘仏は国指定の重要文化財ですが、平安、鎌倉時代の作となります。

その後、坂上田村麻呂が桓武天皇の勅願で七堂伽藍を建立したとされます。三度の火災に見舞われて、現在の建物は江戸時代の物ですが、古い歴史の場所であることに違いは無いのです。

大本山正覚院とは
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鐘楼を右手側、石段を挟んで左にある黄色い塀。そこにある五本線は天皇の勅願を受けた場所を意味し、仏教界でも最も位の高い寺であることになります。

理源大師生誕地

理源大師生誕地
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理源大師について触れます。後に京都の世界遺産である醍醐寺を建立。それが四十三歳の時です。

名は聖宝であり諡号が理源大師で、聖宝理源大師と呼ばれることもあります。天長九年(832年)二月十五日にこの地に生誕したとされ、天地天皇の六世孫にあたり、空海の実弟である真雅の弟子入りしたのが十六歳の時。年齢的には空海や真雅よりも年上となります。

理源大師生誕地
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敷地内にある身代り不動。様々な災害から守ってくれる不動尊ですので、参道入り口の願掛け不動尊同様に手を合わせて、祈りを込めて見てはいかがでしょうか。

石段の上の観音堂

石段の上の観音堂
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鐘楼左手、山門からは正面に石段があり、上に上がることが出来ます。きれいな黄色い塀を左手に見ながら、足元に注意して上りましょう。

石段の上の観音堂
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石段の上にあるのが観音堂です。床下の柱に昔の千石船の舵が使われ、とても珍しいお堂となっています。

ところで、正覚院には様々な文化財があります。観音菩薩像はもちろんですが、鰐口や弘法大師が保持していたとされる五鈷、法然上人自筆の六字の御名号等、まさに歴史ある古寺と呼ぶにふさわしい場所なのです。

最後に

丸亀市・本島は風光明媚なことからも、景色を眺める、散策をする等で楽しむことも出来ます。また、正覚院の他は、ほとんどの場所でレンタサイクルにて周ることが出来ますので、島の観光に活用しましょう。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/02/11 訪問

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