写真:麻田 ユウミ
地図を見る天空宮殿への入口は岩山を上った先のライオンテラスと呼ばれている広場にあり、ここが宮殿への入口です。現在は前足の一部のみしか残っていませんが、かつてはライオンが大きく口を開けて座っているデザインになっていたと考えられており、ライオンに飲み込まれるように宮殿に続いていました。
それはこの「シーギリヤ」の地名から推測されています。シンハラ語でライオンのことを「シンハ」、喉のことを「ギリヤ」と言い、これがこの「シーギリヤ」の地名の由来だと言われています。また、このシーギリヤ・ロックは、遠くからを見るとライオンがうずくまっているようにに見えることから、別名「ライオン・ロック」とも呼ばれています。
写真:麻田 ユウミ
地図を見る頂上まで上るとそこはカーシャパ王が建てた王宮跡。標高370メートルもある岩山の頂上は1.6ヘクタールもの面積があり、王宮の他にも兵舎やダンスステージ、プール、給水設備などの跡が残り、まさに天空都市の光景が広がっています。
周りに広がるのは広大なジャングルであり、この王宮に立った時に聞こえてくるのは風の音のみで、まさに静寂そのもの。1400年前、権力を手に入れたものの何かに怯えるように岩の上に住み、孤独と恐怖の中にいた王カーシャパの胸の内がそのままこの場所に現れているかのようです。
写真:麻田 ユウミ
地図を見る頂上にある王宮跡からは360度のパノラマビューの世界が広がります。ジャングルに囲まれた中から、ダンブッラの石窟寺院にある仏像や、アヌラーダプラにある白いダーガバ(仏塔)が顔を出し、大自然を感じられます。遠くまで360度見渡せる景色はまるで空の上にいるかのよう!天空宮殿からの眺めを思う存分楽しめますよ。
写真:麻田 ユウミ
地図を見る天空宮殿へと続くライオンテラスの入口までにも見所がたくさんあります。シーギリヤの庭園からシーギリヤ・ロックに入る入口でまず目にするのが、巨大な2つの岩のアーチ。どのようにしてこの岩を重ねたのか謎ですが、岩の芸術作品と言っても過言ではありません。宮殿までの道のりはダイナミックな岩山が迫り、迫力満点!まさにこの地でしか見られない光景です。
写真:麻田 ユウミ
地図を見る王宮跡と並んで見逃せないのが「シーギリヤ・レディ」と呼ばれる美女たちの壁画。、1400年前に描かれたとは思えない程の色鮮やかで妖艶な美女たちの姿に吸い込まれるよう!
この壁画は狂気の王カーシャパが殺害した父の霊を鎮めるために描かせたもの。この女性たちは天国に住む妖精アップサラで、妖精アップサラに守ってもらうように頂上の宮殿に住んでいたとされています。当時は500人もの美女が描かれていたシーギリヤ・レディですが、現在は18人。現在は撮影禁止で、シーギリヤ博物館にレプリカが展示されています。
写真:麻田 ユウミ
地図を見るシーギリヤ・レディの先にあるのがミラー・ウォール。一見普通の壁のように見えますが、当時は表面を磨き上げて鏡の役割をしていました。この鏡の壁に使われている秘密のアイテムはなんとハチミツ!樹脂とハチミツを混ぜて下地を作ることにより強度を高めることができ、さらに表面の加工と仕上げにもハチミツを使うことで反射する壁を作ることができるんです。まさに古代の人の知恵ですね。
かつては、このミラー・ウォールの反対側の岩壁にも美女のフレスコ画があり、ミラー・ウォールに反射して映る仕掛けになっていました。
写真:麻田 ユウミ
地図を見るジャングルの中にあるシーギリヤロックは、その周りには「水の広場」と呼ばれる整備された広場が広がります。もともと古代から仏教僧の修行の地であったシーギリヤ・ロックは、カーシャパ王が亡くなった後は仏教僧に寄進されました。そのため、仏陀の像が残る「石窟寺院」や「説教の岩場」と呼ばれる仏教の教えをわかりやすく人々に伝えるための場所も残っています。もちろんカーシャパ王時代の沐浴場もあり、当時を思い知ることができます。
写真:麻田 ユウミ
地図を見る入口すぐのところにある水の広場には王の沐浴場が残っています。当時カーシャパ王には500人もの側室がいたそうで、彼女たちはここで沐浴をしていたと言われています。
またこのシーギリヤには沐浴場の他に、水路や貯水池など、水を循環させるための施設が整っていて上下水道も完備されています。頂上の宮殿には風車の動力で水を上に汲み上げており、5世紀の技術とは思えない程です!
写真:麻田 ユウミ
地図を見るシーギリヤ・ロックのすぐ近くには僧の修行場と使われていた跡も残ります。説教の岩場(写真)は仏教の教えをわかりやすく人々に伝えるための場所として使われていました。この岩には複数の穴があり、僧が岩場に上る時にレンガを取り付けた穴だと言われています。満月のポーヤ・デーにはこの穴の中に100個のランプが灯されます。
写真:麻田 ユウミ
地図を見る何故、こんな場所に王宮の建てたのか?その背景には複雑で悲しい歴史があります。
この「シーギリヤ」を建てたのはカーシャパという名の王。カーシャパは前王ダートゥセナ王の長男でしたが、母親が平民の女性であったため、貴族の女性との間に生まれた腹違いの弟に王座を奪われるのを恐れ、父であるダートゥセナ王を殺し強引に王位につきました。
父を殺した後悔や苦しみなのか、弟の復讐を恐れたのか7年の歳月をかけて巨大な岩の上に王宮を建設し、11年間の間このシーギリヤを統治しました。その後、弟との戦いに敗れたカーシャパは自ら命を絶ちました。
写真:麻田 ユウミ
地図を見るシーギリヤ陥落後はしばらく修道院として使われていましたが徐々に衰退し、忘れられた存在となっていました。ジャングルの中に埋もれていたこの宮殿が発見されたのは1875年、カーシャパが亡くなった1400年も経ってからのことです。
シーギリヤが発見されたのは、イギリス植民地時代に望遠鏡でシーギリヤ・ロックを眺めていたイギリス人が、岩山に色鮮やかな絵を見つけたことからです。この色鮮やかな絵とは「シーギリヤ・レディ」。シーギリヤはシーギリヤ・レディの美女たちと共に長い眠りから覚めたのです。
1)登頂は早朝がお勧め!
シーギリヤ・ロックは朝7時から開いてるので朝早くに訪れるのがお勧めです。朝は涼しく、また観光客も少ないのでゆっくりと登れます。頂上は日陰になる場所もなく、昼間は日差しが強いのと強風が吹いているので、できるだけ朝早くに訪れましょう。
2)蜂に注意!
ライオンの足のある宮殿入口の上に大きい蜂の巣があります。蜂が活発になるのは午後で、運が悪ければ宮殿に登れない可能性もあります。
3)トイレは登頂前に!
シーギリヤ・ロックに入ってしまうとトイレはありません!博物館にトイレがあるのでここで済ませていきましょう。
4)お水は必ず!
シーギリヤ・ロックの中には売店等もありませんので、たっぷりの水分を持っていくことをお勧めします。
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(2024/3/19更新)
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