写真:小々石 曲允子
地図を見る宝積寺(ほうしゃくじ)、通称・宝寺(たからでら)は、奈良時代の724年に聖武天皇の勅願を受けて行基が開創したと伝えられる歴史と由緒のあるお寺で、大阪府との府境に程近い大山崎町にあります。
そして、この大山崎町という場所自体が歴史的にもそしてパワースポット的にも非常に重要な意味を担っているのですが、それに関しましてはまた追々。
写真:小々石 曲允子
地図を見るお寺の境内には、本堂の他に、閻魔(えんま)堂、神仏習合の名残でもある大黒天が祀られている小槌(こづち)宮や弁財天堂、豊臣秀吉が明智光秀との「山崎の戦い」での勝利を記念してわずか一晩で建立したという伝説が残る三重塔(一夜之塔)などがあります。
本堂に祀られている十一面観世音菩薩像、閻魔堂の閻魔大王坐像とそれを取り囲むように祀られている4体の仏像と神像、また秀吉が建てた三重塔などは、国の重要文化財にも指定されており、パワースポットとしてだけではなく、歴史的にかなり見どころの多いお寺であるのもおすすめしたいポイントです。
今ご紹介したお寺の概要の一部は、パワースポットとしての宝寺の魅力とも大きく関係していますので、少しだけ頭にとどめておいてくださいね。
写真:小々石 曲允子
地図を見る昔話の「一寸法師」に登場する「打出の小槌(うちでのこづち)」。振ると、大判小判や宝物がザクザクと現れるというあの「打出の小槌」のモデルになったとされるものが、この宝寺に実在していると言ったら驚かれますか?
一寸法師(実際は普通の身長の男性)がここ宝寺で修行し、お寺にあった「打出」と「小槌」のご利益で鬼を退治したことからお姫様と結婚し出世がかなったという話が、寺伝として実際に伝わっているのです。
「打出の小槌」と一般に言われますが、実は「打出」と「小槌」は別々のもので、「打出」は実り(福)の種を蒔くために土にさして穴を開けるためのもの、「小槌」は実り(福)を祈願して振るためのものというのが本来であるとのご住職のお話。 今でもお寺には古より伝わる「打出」と「小槌」が保存されています。
「打出の(と)小槌」についてはこの他にも諸説ありますが、ここ宝寺の金運パワーの由縁となっているのが、まさにこの「打出」と「小槌」の存在。 小槌は元々大黒天が手にしておられるものでもありますし、これらがお寺の中に実在しているというだけでご利益がありそうに感じてしまいますよね。
写真:小々石 曲允子
地図を見るそれでは、大黒天と宝寺に伝わる「打出」と「小槌」のご利益で金運を授かるとされている方法をご紹介しましょう。
まず、大黒天が祀られている小槌宮でのご祈祷の申し込みをすると、黄色い袋状の「福財布」がいただけます。中にはお守りと、健康・智恵・財産の三福を表す銀杏の実3個が入っていて、導師であるご住職が秘法と祈祷を行った後に、「打出」と「小槌」(経年による傷みがあることから、現在は入魂済みの新しいもので代用)を振り下ろして、福財布の中に福を魂入します。
写真:小々石 曲允子
地図を見る加持祈祷が済んだ福財布は、中の福が逃げないように輪ゴムでしっかりと結わえ、必ず無言でそして後ろを振り返らないように気をつけながら、お寺の入口である仁王門まで歩きます。
帰宅後、福財布を開いて家の中を福で満たし、また中に預金通帳やお金などを入れて大事にしまっておくと、金運・財運のご利益を授かると言われています。
ご祈祷を受けた後は、無言でしかも一度も後ろを振り返らずに仁王門まで歩かなければなりませんので、本殿などへのお参りや拝観はご祈祷の前にすべて済ませておくのが必須です。
写真:小々石 曲允子
地図を見るTVのプロ野球中継を見ていると、「今日からの三連戦は優勝の行方を左右する、ペナントレースの“天王山”となる戦いです」などとアナウンサーが話していることがあります。「天下分け目の関ヶ原」という言葉がありますが、それと同じように「天王山」には勝負や運命の大きな分かれ目という意味が込められていて、宝寺の背後にある天王山付近で歴史的な合戦が行われたことから、このような使い方がなされるようになったものです。
その合戦こそが最初に少しお話しした「山崎の戦い」。信長を本能寺で討伐した明智光秀を秀吉が破った有名な戦いで、この勝利を契機に秀吉は天下人にまで登り詰めました。
天王山を中心とするここ大山崎の地がその主戦場でしたが、実は、宝寺はその際の秀吉の本陣になった場所でもあるのです。 戦勝記念の三重塔(一夜之塔)が宝寺の敷地内に建立されたのは、そういった所以(ゆえん)によるものです。
境内には、秀吉が実際に腰掛けたと伝えられる石「出世石」が置かれています。この石の前で祈念すると「立身出世」のパワーを戴けるという噂がありますよ!
写真:小々石 曲允子
地図を見るさらに最初にも説明しましたように、この宝寺は聖武天皇の勅願で建てられたものですが、即位以前、夢の中に現れた龍神から打出と小槌を授けられ、それに75日間祈ったところ無事天皇に即位することができたことから、この打出と小槌を奉納するためにお寺を建てることになったという話が言い伝えられています。
聖武天皇の即位と秀吉の出世に(もしかしたら一寸法師の出世にも)宝寺が少なからず関わっていたというのは興味深い話であり、金運のみならず、出世運にも多大なご利益があるという噂もうなずけます。
仕事で成功したい方は、是非、金運と同時に出世のパワーもこちらで戴いて帰ると良いかも知れませんね!
写真:小々石 曲允子
地図を見る最後に、宝寺の周辺の環境について触れておきましょう。
宝寺に隣接する広大な敷地には、ニッカウヰスキーの創業に参画した実業家、加賀正太郎氏が建てた「大山崎山荘」があり、現在ではアサヒビールが管理する美術館として、内部の貴重な調度品や庭園なども一般に公開されています。近くには、サントリーの山崎蒸留所があったり、邸宅が見受けられたりと、自然に恵まれた環境であると共に豊かな空気に包まれた一帯という印象を受けます。
宝寺のある地区が「銭原」というお金にまつわる縁起の良さを感じられる名前であることもそうですが、重要な歴史の舞台になり、また歴史を形づくってきた人々と縁の深い場所ならではの特別なパワーがこの一帯に満ちているのでは?などと勝手に思えて来てしまうから不思議です。
大黒天の前でご祈祷を受け、打出と小槌の金運パワーを福財布に入れて持ち帰り、秀吉の出世石に仕事の成功を祈念する。
豊かさと成功を手に入れたい方は、ぜひ宝寺を訪れてみてくださいね!
(お寺までの道には急坂がありますので、歩きやすい靴での参拝がおすすめですよ)
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(2024/3/29更新)
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