甲斐の虎と呼ばれた漢!武田信玄の墓所「恵林寺」をめぐる

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甲斐の虎と呼ばれた漢!武田信玄の墓所「恵林寺」をめぐる

甲斐の虎と呼ばれた漢!武田信玄の墓所「恵林寺」をめぐる

更新日:2017/02/10 11:35

釜井 知典のプロフィール写真 釜井 知典

戦国時代に生まれた武田信玄は、父信虎とともに武田家の礎を築いた人物。知力に長けた武将として知られる一方で、京から公家を招いて詩歌会を開き、多くの歌や漢詩を残すなど、文化的な一面も持つ人です。そんな武田信玄が眠っているのが、山梨県の「恵林寺」。信玄公の足跡を残す、何とも風流で美しいお寺です。

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山門に残される「滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火も自ら涼し)」の意味

山門に残される「滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火も自ら涼し)」の意味

写真:釜井 知典

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武田信玄といえば「風林火山」が有名ですが、彼が帰依して禅を学んだのが、甲斐の国(現在の山梨県)にあった恵林寺の快川禅師です。

恵林寺の創建は、1330年。鎌倉末期から室町にかけて有名となった夢窓疎石という名の高僧を当時の領主二階堂氏が招き、開山したのが始まりといわれています。しかし、応仁の乱後寺は荒廃。それを復興させたのが、武田信玄だったのです。

快川禅師は武田信玄と親しくしていることから織田信長の怒りを買い、恵林寺は焼き討ちに合います。その際、「我々を焼き滅ぼすこの火炎に向かって、いかに対処するか」と周囲の僧に問い、最後の言葉を残しました。それが、「滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば火も自ら涼し)」という言葉です。これは「自分をしっかりと確立すれば、自分を焼き尽くす炎の恐ろしさや熱さに振り回されることはない」という意味で、快川禅師の澄み切った境地を指し表しています。

この言葉は、三門のある場所で読まれたといわれており、今も恵林寺の三門に残されています。三門とは涅槃(ねはん)に入るための三解脱門といわれていますが、まさにここから快川禅師も涅槃へと向かったのかもしれませんね。

自然そのものを表す、禅宗の庭

自然そのものを表す、禅宗の庭

写真:釜井 知典

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恵林寺の美しいところは、自然そのものを表す庭。夢窓国師の作庭した庭として有名で、禅宗らしい質素で美しい場所です。

夢窓国師は、正覚国師、心宗国師、普済国師など、生涯7度もの国師号を歴代の天皇から賜った人で、七朝廷師とも呼ばれています。また、恵林寺のほかにも、世界遺産に登録されている京都の西芳寺、天竜寺などでも作庭を行っており、日本に素晴らしい風景を残してくれた人物です。

彼が恵林寺で作庭した庭は、現在国の名勝に指定されており、禅宗らしい風景を見ることができます。この庭が表しているのは“自然の流れ”そのもの。季節ごとに変わる風景や、草木の香りなど、常に移ろいゆく自然の美しさと感動を与えてくれます。

重要文化財「四脚門」

重要文化財「四脚門」

写真:釜井 知典

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参道の先にある鮮やかな朱色の門は、通称「赤門」と呼ばれる四脚門です。現在の四脚門は、織田信長の焼き討ちにあった後、徳川家康によって再建されたものですが、桃山時代の寺院建築の遺構として、明治40年に国の重要文化財に指定されました。

そのほかにも、恵林寺を開山したといわれる夢窓国師座像、武田信玄の墓所、武田不動尊・二童子増などさまざまな文化財や史跡が残されており、喧騒的な日々を忘れて歴史に身をゆだねることができます。

武田信玄の命日である4月12日には、師であった快川禅師の法要に合わせて法事が行われますが、この日には『信玄公まつり』が開催されます。露天のほか、舞の奉納、24将の姿をあしらったのぼりが掲げられ、いつも以上に荘厳な風景を見ることができます。世界最大の武者行列とうたわれる祭りの時期に、足を運んでみるのもよいでしょう。

日々の喧騒を忘れて、恵林寺で美しい風景に出会う

武田信玄が帰依した恵林寺には、今もなおたくさんの人々が足を運びます。毎週土曜になると、朝の座禅会も行われていますので、身も心もリフレッシュしたいというときに尋ねてみるのもおすすめです。恵林寺で日々の喧騒から離れ、美しい風景や禅の心に出会ってみてはいかがでしょうか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/02/01 訪問

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